淑嘉皇貴妃

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淑嘉皇貴妃

淑嘉皇貴妃(しゅくかこうきひ、康熙52年7月25日1713年9月14日) - 乾隆20年11月15日1755年12月17日))は、乾隆帝の側妃。高麗佐領正黄旗包衣(内務府所属の朝鮮族)の出身。姓は金氏、のち金佳氏上駟院金三保の娘。金氏は朝鮮半島義州に起源を持つ朝鮮系の一族。

はじめ、宝親王の弘暦(のちの乾隆帝)の府邸に入り、格格(側女)となったとされる。

乾隆帝の即位後、貴人に冊立され、乾隆2年(1737年)には、嘉嬪となった。 乾隆4年(1739年)1月14日、第四皇子永珹を産み、乾隆6年(1741年)2月13日,皇太后の命で、嘉妃に冊封され、同時に三人の貴人が嬪に晋封された。

乾隆11年(1746年)7月15日、第八皇子永璇を産んだ。

乾隆13年(1748年) 7月1日,乾隆帝は出産を控えた嘉妃を貴妃に封じた。同年7月9日、第九皇子が生まれたが、夭逝した。

乾隆14年(1749年)4月5日、嫻貴妃が皇貴妃に封じられた際に、嘉貴妃に封じられた。

乾隆17年(1752年)2月7日、第十一皇子永瑆を産んだ。

乾隆20年(1755年)11月15日、嘉貴妃は、熱中症や熱疲労などを伴う赤熱で亡くなった。享年43歳。翌日、乾隆帝は彼女に淑嘉皇貴妃の位を追贈した。

嘉慶4年(1799年)、嘉慶帝により金氏の一族は正黄旗満洲旗人に抬旗(八旗制のなかで格上の所属に変更すること)され、満州姓「ギンギャ(金佳)」が授けられた。

子女[編集]

登場作品[編集]

伝記資料[編集]