浅岡満俊

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浅岡満俊

浅岡 満俊(あさおか みつとし、1861年12月28日文久元年11月27日) - 1936年昭和11年)8月26日)は、日本海軍軍人海軍造船中将正五位勲二等

経歴[編集]

伊予松山藩士、豊島節之進の二男。浅岡氏の養子となり姓を改める。1879年明治12年)に慶應義塾に入学し、1880年(明治13年)まで在学。

慶應義塾を中退して、造船職工となり、1882年(明治15年)に海軍省主船局御用掛となった。翌年から8年間にわたって渡英し、その間グリニッジ海軍大学校で学んだ。1891年に帰国後は、横須賀造船所の監督官となった。日清戦争の際に米国に派遣。海軍工廠に転じる。日露戦争の際に英国に派遣。1907年に造船大監・舞鶴海軍工廠造船部長となり、翌年に佐世保海軍工廠造船部長に転じ、さらに1913年大正2年)には横須賀海軍工廠造船部長、海軍造船総監に就任した。1917年(大正6年)、技術本部第四部長。

1919年(大正8年)、予備役編入、海軍造船中将。

栄典[編集]

位階[編集]

勲章等[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第3729号「叙任及辞令」1907年12月2日。
  2. ^ 『官報』第159号「叙任及辞令」1913年2月12日。
  3. ^ 『官報』第539号「叙任及辞令」1914年5月18日。
  4. ^ 『官報』第1190号「叙任及辞令」1916年7月19日。

参考文献[編集]