永田恒治

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永田 恒治(ながた つねはる、1936年8月8日[1] - 2016年3月28日)は、日本弁護士[2][3]松本サリン事件において、事件の第一通報者で、一時は事実上の容疑をかけられる状態にあった河野義行を、弁護士として支援したことで知られる[3]

経歴[編集]

長野県東筑摩郡山形村出身[3]

東京大学法学部卒業[2]。当初は官僚を目指していたが、60年安保闘争の中で、向坂逸郎の指導下で政治運動に関わり、公安条例違反での逮捕も経験した[4]。30歳を過ぎてから弁護士を志し[4]1972年に弁護士登録して[2]、松本市で弁護士事務所を開業し[4]1991年から1992年にかけては長野県弁護士会の会長も務めた[2]

松本サリン事件の際には、警察が、被疑者不詳のまま河野宅を家宅捜索し、さらに河野に長時間の事情聴取を行なったこと、また、マスコミが河野を犯人同然に扱う報道を展開したことを厳しく批判し、河野の人権擁護と、後の名誉回復に尽力した[2][3]

永田は行政を相手取った訴訟なども手がけた[2]1996年には、長野県の住民たちが、長野県東京事務所などが支出した食糧費がいわゆる「官官接待」にあたる違法な支出だとして、吉村午良知事に支出の返還を求めた行政訴訟を担い、1999年に和解に至った[5]

2006年長野県知事選挙の際には、長野県政連絡協議会の代表幹事として、現職の田中康夫知事への対抗馬として、当時は総務省の官僚であった務台俊介の擁立に動いたが果たせず[6]、代わって村井仁を出馬させ[7]、村井の県知事当選後は後援会の副会長のひとりとなった[8]。  

脚注[編集]

  1. ^ 『現代物故者事典2015~2017』(日外アソシエーツ、2018年)p.417
  2. ^ a b c d e f “河野さん無実信じ支援 サリン事件 弁護士・永田さん死去”. 読売新聞・東京朝刊・長野: p. 33. (2016年3月30日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  3. ^ a b c d 【おくやみ】永田恒治さん サリン、河野さん支援”. 東京新聞 (2016年3月30日). 2016年4月1日閲覧。
  4. ^ a b c “みすず野”. 市民タイムス: p. 2. (2016年3月31日). "松本サリン事件から10年後、松本市沢村の弁護士事務所を訪ね、永田恒治さんにロングインタビューした春を思いだす。… 弁護士を目指して東大法学部に入ったのではなく、官僚志向だったが、60年安保の渦の中で、社会への見方が変わったという。社会党左派の理論的指導者、向坂逸郎に弟子入り、政治活動に明け暮れた末に公安条例違反で逮捕された◆いつから弁護士に?「人生ぐちゃぐちゃに悩んで、食えなくなったんだ」。30歳を過ぎていた。" 
  5. ^ “県の食糧費返還訴訟 地裁案で和解成立 県は厳正な処理に努力”. 読売新聞・東京朝刊・長野: p. 30. (1999年9月15日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  6. ^ “知事選 意中は羽田氏? 村井氏? 「考える会」候補発表先送り”. 読売新聞・東京朝刊・長野: p. 31. (2006年5月21日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  7. ^ “知事選 新県政連絡協の村井氏に出馬要請へ”. 読売新聞・東京朝刊・長野: p. 35. (2006年6月20日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  8. ^ “村井氏の後援会副会長12人就任 選対本部は解散”. 読売新聞・東京朝刊・長野: p. 31. (2006年8月27日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧

外部リンク[編集]