水口煙管

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水口煙管(水口歴史民俗資料館に展示)

水口煙管(みなくちきせる)とは、江戸時代東海道水口宿(現在の滋賀県甲賀市水口町)の名物土産として広く知られていた煙管である[1]

概要[編集]

1796年刊の大槻玄沢によるたばこ研究書「蔫録」によると、日本で最初に作られたという煙管の木版画があり、それには「太閤銅」と「水口 権兵衛 吉久 天正五」と刻まれており、1577年豊臣秀吉の好みで水口の権兵衛吉久に作らせたと言われている[1]。16世紀末の遺品は見つかっていないが、江戸時代初頭の旧江戸城下で発見され[2]、全国的に流通したことが確認されており、明治期まで流行した[3]

1638年刊の「毛吹草」に煙管の産地の一つとして水口宿が記載されている[2]

狂言での利用[編集]

1771年3月上演の「助六狂言で揚巻は水口煙管を吸っており、遊女の差し出す煙管に水口煙管を使っている[3]。助六のパロディーである「新板替道中助六」で朝顔千兵衛が「総角様は水口の名物の煙管を長羅宇にして」と言う表現があり、1793年まで揚巻は水口煙管を用いていたと考えられる[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b 街道の旅を楽しむ会 (2009-08-27). 東海道五十三次が超おもしろくなる本. 扶桑社 
  2. ^ a b 甲賀市 (2010). “東海道のお土産-水口煙管-”. 広報あいこうか 7月1号: 12. http://www.city.koka.lg.jp/secure/7034/2010_0701_p12.pdf. 
  3. ^ a b c Bjoer kTove「研究発表<助六>をめぐる江戸中期の煙草文化と歌舞伎における「型」の発展」『国際日本文学研究集会会議録』第34巻、国文学研究資料館、2011年3月、190頁、CRID 1390009224823098240doi:10.24619/00002906ISSN 0387-7280