正司考祺

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正司 考祺(しょうじ こうき、1793年寛政5年)- 1858年[1]1月20日安政4年12月6日))は、江戸時代後期の経世家である。字は子寿、通称は庄治。号に碩渓、南鴃がある。

経歴・人物[編集]

肥前有田商人の子として生まれる。幼年期は貧困に悩まされたが、後に独学経済を学び、産業開発や国産の増殖、町の復興に携わり貧窮から脱した。後に経世書を数多く執筆し、古今の学説を参照して、平等な社会の重要を唱えた。

金利の制限の撤廃や均田制の反対、武士の帰農を主張して、商人の自由を唱えるといった新しい学説を唱えた。この発想は、極めて類がない学説であり、後のブルジョワジーの発端ともなったと一部の学者からみなされている。

また、安積艮斎佐藤一斎儒学者とも親交をもった。

主な著作物[編集]

主著[編集]

その他の著書[編集]

  • 『家職要道』
  • 『武家七徳』- 1845年弘化2年)刊行。

※いずれも経世書である。

脚注[編集]

  1. ^ 1857年とする説もある。

出典[編集]