梅平 (身延町)

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梅平
身延町中心部付近の空中写真。画像中央付近が梅平地区。画像左上が身延山久遠寺。画像右下が身延駅付近。1976年撮影。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
身延町中心部付近の空中写真。画像中央付近が梅平地区。画像左上が身延山久遠寺。画像右下が身延駅付近。1976年撮影。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
梅平の位置(山梨県内)
梅平
梅平
梅平の位置
北緯35度22分15.17秒 東経138度26分36.1秒 / 北緯35.3708806度 東経138.443361度 / 35.3708806; 138.443361
日本の旗 日本
都道府県 山梨県
南巨摩郡
市町村 身延町
標高
181 m
人口
2015年(平成27年)10月1日現在)[1]
 • 合計 712人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
409-2531[2]
市外局番 0556 (身延MA)[3]
ナンバープレート 山梨
※座標・標高は身延町役場身延支所付近
身延山山頂から梅平一帯を望む

梅平(うめだいら)は山梨県南巨摩郡身延町の地名。郵便番号は409-2531[2]

地理[編集]

富士川の西岸に位置し、身延線身延駅身延山久遠寺のほぼ中間に位置する。また、富士山のほぼ真西に位置している[4]が、天子山地に阻まれ当地から直接富士山を見ることは困難である。

身延駅前はしょうにん通り商店街、身延山が門前町として商店が並ぶのに対し、梅平は役所をはじめ教育、医療、金融などの施設が集中している。

歴史[編集]

鎌倉時代中期に南部実長(波木井実長)が父・南部光行から波木井郷を分与され、当地に移り住んだのが始まりとされている[5]。その後実長は日蓮を招き入れ、日蓮は身延山を開山、久遠寺を建立した。実長が住んでいた氏館はその後寺に改修され鏡圓坊となり、日蓮宗宗門史跡として同地に現存している。

また、古くから駿河国甲斐国を結ぶ駿州往還が同地区を通り、大正時代になると身延線の延伸と身延橋の開通により対岸からも身延山への参拝客が増加した。さらに長距離路線バスが通るなど交通の要でもあった。その後モータリゼーションの進展により長距離路線バスは廃止された一方で観光バスなどの大型車が増えたため、バイパス道路が作られた。

1872年明治5年)に実施された県内80区制において巨摩郡梅平村(本遠寺寺社領)となったが、[6]1876年(明治9年)に寺社領は廃され、身延村・波木井村・大野村の周辺3村と合併して「南巨摩郡身延村梅平」となった。1931年(昭和6年)1月1日に町制執行され「南巨摩郡身延町梅平」となり、その後 1955年昭和30年)と2004年平成16年)に合併が行われたが字はそのままとなっている。

世帯数と人口[編集]

2015年(平成27年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字 世帯数 人口
梅平 237世帯 712人

交通[編集]

道路[編集]

現在は「身延バイパス」として通っており、立体交差点で接続されている。
市川三郷町から富士川の右岸を通り、身延橋を渡って当地区まで伸びている。
身延山へ通じる県道。身延バイパスが開通するまでは国道52号線であった。

バス[編集]

路線バス
  • 山梨交通
    • 身延駅‐身延町役場身延支所入口身延高校‐身延山
このほか、学校休校日を除き身延駅と身延高校間を直通するスクールバスが通っている。
身延支所前バス停は山梨交通身延町役場身延支所前と同じ場所にある。
高速バス
バスタ新宿方面へ向かうバスのみ乗車可能(降車はその逆)。

施設[編集]

かつては身延町立身延中学校があったが、2024年令和6年)に下山地区へ移転した。

脚注[編集]

  1. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat)”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2018年9月24日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月27日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年9月26日閲覧。
  4. ^ 週刊少年マガジン』にて連載されている「賭博覇王伝 零 ギャン鬼編」に梅平が登場し、富士山の真西であることが紹介されている。
  5. ^ 南部氏とのつながり遠野テレビホームページより)
  6. ^ 身延町ホームページより

関連項目[編集]