柳泉園組合

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柳泉園組合
柳泉園組合の位置(東京都内)
柳泉園組合
柳泉園組合の位置(日本内)
柳泉園組合
情報
用途 廃棄物処理
開館開所 1961年昭和31年)10月
所在地 203-0043
東京都東久留米市下里四丁目3番10号
座標 北緯35度45分17秒 東経139度29分44秒 / 北緯35.75472度 東経139.49556度 / 35.75472; 139.49556 (柳泉園組合)
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柳泉園組合(りゅうせんえんくみあい)は、清瀬市東久留米市および西東京市(関係市)の廃棄物を共同で処理するために設立された一部事務組合[1][2]

主要施設は柳泉園グランドパーク内に所在する[1][2]。組合設立は1960年[1][2]、初期の施設竣工は1961年[1][2]

概要[編集]

所在地は東京都東久留米市下里となっているが、東久留米市の西端であり、敷地の一部は東村山市にまたがっている[1][2]。また、清瀬市がかつて利用していた、ごみ処理施設「清柳園」(清瀬市下宿)の敷地も柳泉園組合が所有する用地となっている[1][2]

沿革[編集]

※出典[1][2]

組合設立は1960年(昭和35年)9月30日、初期施設の竣工・稼働開始は1961年(昭和36年)10月。

組合設立当初の名称は「北部三ケ町衛生組合」(「三カ町」とする表記も確認されている)で、参加自治体は田無町保谷町および久留米町の3町であった。昭和45年に清瀬町が柳泉園組合に加入。その後の市制移行および合併を経て、現在の参加自治体は清瀬市、東久留米市および西東京市となっている。

  • 1960年(昭和35年)09月 - ごみを共同処理する目的で、田無町、保谷町および久留米町の3町で「北部三カ町衛生組合」設立
  • 1961年(昭和36年)10月 - ごみ焼却場固定炉竣工・稼働
  • 1962年(昭和37年)10月 - し尿共同処理を追加
  • 1965年(昭和40年)09月 - 名称変更。「北部三町衛生組合」となる。
  • 1967年(昭和42年)01月 - 参加自治体の田無町、保谷町が市制施行しそれぞれ田無市、保谷市となる。
  • 1967年(昭和42年)04月 - 名称を「柳泉園組合」に変更(参加自治体2町の市制移行による名称変更)。
  • 1970年(昭和45年)04月 - 清瀬町が柳泉園組合に加入。参加自治体は4つ(2市2町)となる(田無市、保谷市、久留米町、清瀬町)。
  • 1970年(昭和45年)10月 - 参加自治体の久留米町、清瀬町が市制施行しそれぞれ東久留米市、清瀬市となる。
  • 1971年(昭和46年)08月 - 屋外プール竣工・供用開始。
  • 1973年(昭和48年)07月 - テニスコート2面、バレーコート1面の竣工・供用開始。
  • 1976年(昭和51年)04月 - バレーコートをテニスコートに改修。
  • 1984年(昭和59年)01月 - テニスコート1面増設(計4面)供用開始。
  • 1985年(昭和60年)03月 - テニスコート1面増設(計5面)供用開始。
  • 1986年(昭和61年)04月 - 室内プール竣工・供用開始。
  • 1993年(平成05年)10月 - リサイクルセンター竣工・稼働開始。
  • 2000年(平成12年)11月 - ごみ処理施設「クリーンポート」竣工・稼働開始。
  • 2001年(平成13年)01月 - 参加自治体である「田無市」と「保谷市」が合併し「西東京市」となり、参加自治体は3つとなる。
  • 2002年(平成14年)07月 - 浴場施設「湯~プラザ柳泉園」竣工・供用開始。屋外プール解体。
  • 2020年(令和02年)10月 - 清柳園(清瀬市下宿)の旧施設解体

関連項目[編集]

関係市(3市)

周辺自治体

脚注[編集]

外部リンク[編集]