柳沢吉次

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柳沢吉次
時代 江戸時代前期
生誕 不明
死没 寛文4年1月28日1664年2月24日
別名 八大夫、八郎右衛門(通称
戒名 昌巖
墓所 東京都新宿区市谷河田町正覚山月桂寺
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家光家綱綱吉
氏族 柳沢氏
父母 柳沢安吉窪嶋孫兵衛
兄弟 信安吉次安冶信花
信尹
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柳沢 吉次(やなぎさわ よしつぐ)は、江戸時代前期の旗本柳沢安吉の次男。母は窪嶋孫兵衛の娘。通称は八大夫、のち八郎右衛門。妻は不詳。

男子がいなかったため死後、養子の信尹山高信吉の次男)が家督を継いだ。

略歴[編集]

※日付は旧暦

脚注[編集]

  1. ^ 史籍研究会編纂 『干城録:巻6』 汲古書院、1986年、pp.179~180に拠る。『寛政重修諸家譜』には慶長3年(1598年)9月3日と記されているが、これは明らかに誤りで慶安の間違いだと思われる。

参考文献[編集]