柏木由紀子

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かしわぎ ゆきこ
柏木 由紀子
本名 大島 由紀子
旧姓:柏木
生年月日 (1947-12-24) 1947年12月24日(76歳)
出生地 日本の旗 日本東京都世田谷区[1]
血液型 A型
職業 女優タレント歌手
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1964年 -
配偶者 坂本九[1]1971年1985年)※死別
著名な家族 大島花子(長女)
舞坂ゆき子(次女) [1]
事務所 坂本九音楽事務所
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柏木 由紀子(かしわぎ ゆきこ、1947年昭和22年〉12月24日[1] - )は、日本女優タレント。本名:大島 由紀子(おおしま ゆきこ)旧姓:柏木。

東京都世田谷区生まれ[2]。坂本九音楽事務所所属。玉川学園小中高を経て玉川学園女子短期大学中退。夫は坂本九、長女は大島花子、次女は舞坂ゆき子

来歴[編集]

印刷会社社長を父に持ち、三人姉妹の三女として育った[2]。幼い頃は童謡を歌うのが好きだった(「カナリア児童合唱団」に所属していたという)が引っ込み思案なため、母親の勧めで小学生5年生の時に劇団若草に入団[2]。2歳年下の酒井和歌子とは劇団同期で家族ぐるみで親しくしていた[2]。入団後は芝居(役者業)よりファッションショー[2]や、雑誌『女学生の友』(小学館)などでモデルをつとめることが多かった。

高校2年生の時に知人に誘われ、松竹映画『明日の夢があふれている』(1964年)で映画デビュー[2]。その時に共演した三田明の所属事務所の勧めで、翌1965年に『若い真珠』でレコードデビュー。1966年、玉川学園短期大学教養科を中退。

TBS放映「東京の人」のヒロインに登用後、東宝テレビ部に所属し、主にテレビドラマでキャリアを重ねる。1969年、『炎の青春』ではマドンナ教師役に抜擢されるなど期待を集めていたが、1970年の『細うで繁盛記』で人気を博する。

1971年12月8日、30歳の誕生日を目前にしていた坂本九と結婚。結婚後は女優活動を減らしつつ、夫をサポートする形で福祉活動に貢献。『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』では長らく札幌テレビ放送でパーソナリティーをつとめた。

1985年8月12日月曜日)の日本航空123便墜落事故による夫の死去後は女優活動の他に講演活動などを行っている。2004年に娘2人と家族ユニット「ママエセフィーユ」結成。坂本九の楽曲カヴァーを中心に、坂本九の映像や歌声を使った家族4人の共演が話題となる。全国でコンサート活動中。

2017年に始めたInstagram(インスタグラム)で自らの私服コーディネートを紹介して以降、フォロワーが増えていった(2023年7月時点で6万人越え)[2]。また、2023年(75歳)頃にはさらにSNSを通じて柏木のファッションが話題となり、「シニア世代のおしゃれ番長」とも称されるようになった[2]

エピソード[編集]

坂本九との出会い、結婚[編集]

映画デビュー後のある日プライベートで銀座を歩いていたところ、当時スター歌手となっていた坂本九が俳優仲間と車で通りかかった[2]。当時23歳だった坂本は車中で「ああいう娘(こ)を嫁にもらいたい」と話すと、仲間から「あれは女優の柏木由紀子だよ」と告げられたという。5年後、とある撮影所で別のドラマを撮影していた坂本と正式に対面し[注 1]、彼から電話番号を書いたメモを渡されたが電話はしなかった[注 2]

1年後、母と一緒に大阪に行って梅田コマ劇場を通りかかった際、その日が坂本のワンマンショー開催日であることを偶然知った[2]。母が坂本のファンだったこともあって楽屋に挨拶に訪れ、坂本のステージを客席で鑑賞して感動すると共に、人知れず柏木の方をじっと見て歌う彼の姿に恋愛感情を持ち始めた[2]

1年の交際を経て、柏木23歳、坂本29歳で結婚し、やがて2女に恵まれた[2]。結婚後から毎日のように、坂本は柏木の洋服や髪型などの良い所をメモ[注 3]に残して褒めてくれたという[2]。クイズ番組『なるほど!ザ・ワールド』では解答者として夫婦で何度か出演し、坂本の衣装をコーディネートするのが柏木の役目だった[注 4]

おしゃれに関して[編集]

小さい頃からおしゃれが大好きである[2]。20代の時には、ニット製品やバッグをデザインし、自分の名前をつけたファッションアイテムもプロデュースした[2]。昔から痩せ型で、20代の時に着ていた服が50年以上経った今(2023年)でも着られるとのこと[2]

2010年代前半に、長女・大島花子からの勧めによりオフィシャルブログ『柏木由紀「子」でございます』を開設[注 5]。以来、ブログで日常生活の一コマと共に日々のファッションを取り上げ、最近(2023年)はアメブロの閲覧数で女優部門1位になることも多い[2]。また、2023年に出版したムック本「柏木由紀子ファッションクローゼット」(扶桑社)は発売前に重版が決定し、書店の売上ランキングでも上位となった[2]

柏木にとっておしゃれすることは見た目を着飾るだけでなく、日常の辛い時や悲しい時に心を落ち着かせることにも繋がっている[2]。遡って日航機の事故で夫を亡くした悲しみから、柏木が心を奮い立たせて翌年に仕事復帰できたのも、ファッションの力が大きかったという[注 6]

人物[編集]

  • 趣味は麻雀で、徹夜で麻雀をすることもある。
  • 夜型の生活を送っている。
  • ハワイやニューヨーク等の都市へ旅行するのが好きである。ブティック等の店でウィンドーショッピングをするのが好き。
  • ハワイへ1人旅をしたとき、偶然に黒柳徹子森光子と会い、レストランで一緒に食事をしたことがある。
  • 日航機墜落事故の翌年、坂本が事故直前まで広島のテレビ局で担当していたクイズ番組『クイズクロス5』の司会を引き継いだ[注 7]
  • 自宅には亡き夫・坂本九の遺品を展示するギャラリー(展示コーナー)がある。また、ガレージには生前夫が乗っていたメルセデス・ベンツがあり、ナンバープレートは彼の名前に因んで「9」であった。しかし、車内に入るぐらい排気ガスの煙が凄かったため、現在は乗っていない。
  • 2023年現在は、「レア」と名付けたトイプードルと暮らしている[2]
  • 長女、次女ともに結婚した後、2023年現在はそれぞれの家族が柏木の自宅近くの住居に住んでいる[2]。2人の孫(男の子)から「チュチュ」(ハワイ語で「おばあちゃん」の意味)と呼ばれている。
  • アイドルグループAKB48のメンバー・柏木由紀がブレイクしてからは名前を混同されることが多く、ブログのタイトルも『柏木由紀「子」でございます』と混同しないように呼びかけるかのようなものになっている[1]。また、自身の旧姓が同姓であるが、血縁関係は一切無い。
  • 坂本九の遺作である『心の瞳』を、親子3人のコーラスを交えて再レコーディングし発売した。
  • 長年、肩パッドを愛用してきたが、2人の娘からの助言もあって、最近肩パッドをやめた。
  • 2023年の数年前に白内障の手術をして視力が良くなったため眼鏡はいらなくなったが、本人曰く「眼鏡をかけると(目の周りの)シワが隠れるので(笑)」として、以後の生活では伊達メガネを着用することがある。2023年現在は、フランスのラフォンというブランドの眼鏡を中心に30個ほど所有している[2]
  • シンガー・ソングライターの竹内まりやはホームパーティーをする友人の一人で、時々柏木の自宅に訪れている[2]
  • 子役から女優やモデルになった同世代の酒井和歌子小川知子音無美紀子、渡辺政江などと、「子役会」と称して時々集まっている[2]
  • 坂本を通じて親しくなった黒柳徹子とは、数年間毎年一緒に初詣に出かけたり、坂本を亡くした頃は彼女が柏木を精神的に支えてくれたという[2]

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

バラエティ番組[編集]

他多数

CM[編集]

映画[編集]

  • 明日の夢があふれている(1964年12月12日、松竹
  • コント55号 俺は忍者の孫の孫(1969年10月10日、東宝) - 鷲塚亜矢子役
  • ブラボー!若大将(1970年1月1日、東宝) - 昌子役
  • 喜劇 負けてたまるか!(1970年6月13日、東宝)
  • 喜劇 おめでたい奴(1971年2月6日、東宝)
  • 必殺! 主水死す(1996年5月25日、松竹)
  • CUTE(1997年4月26日、エヌ・ケイ・ケイ)
  • The Harimaya Bridge はりまや橋 (2009年6月13日、ティ・ジョイ) - クボ夫人役

音楽作品[編集]

シングル[編集]

発売日 規格品番 タイトル 作詞 作曲 編曲
ビクターレコード
1965年12月 SV-332 A 若い真珠 佐伯孝夫 吉田正
B 乙女の願い
1966年6月 SV-405 A 東京の人[注 8][注 9] 佐伯孝夫 吉田正
B 恋人のいる道[注 9]
1966年7月 SV-412[注 10] A 氷点[注 11] 佐伯孝夫 山本直純
1966年8月 SV-438 A 愛の手紙は幾年月[注 12] 佐伯孝夫 吉田正
1968年1月 SV-653 A 知られざる湖
B 信じているわ
1968年11月 SV-760 A 恋のかけら こうじはるか 高橋五郎
B わたしはひとりぼっち 戸麻竜吾 倉知輝
1969年5月 SV-840 A 愛の真珠 ?文人 高橋五郎
B 愛のひとこと こうじはるか
東宝レコード
1970年11月 AS-1017 A 北国のわたしは幸せ 下平高子 木下雅夫
B いっしょにあなたと
1971年8月 AS-1082 A ごめんなさい 小川悠一朗

補:高水陣

小川悠一朗
B ひやかせないで 岩谷時子
ファンハウス
1986年 07FA-1082 A 愛をそえて[注 13] 内藤綾子 吉実明宏 船山基紀
B あなたへつづく風
1987年 PRF-1012[注 14] A 心のリボン[注 15] 荒木とよひさ 三木たかし
B 心のリボン(カラオケ) -
ユニバーサル・ミュージック
2017年12月6日 UPCY-5055 1 心の瞳(コーラス入り) 荒木とよひさ 三木たかし 川口真

著書[編集]

  • 『上を向いて歩こう』(扶桑社、1986年)

オーディオコメンタリー[編集]

  • DVD『ブラボー!若大将』(東宝、2006年3月20日発売)
    • 岩内克己監督とともに出演。自身の経歴なども含めて語っている。

柏木由紀子を演じた女優[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 柏木はこの時、スタッフから「九ちゃんはユッコちゃん(柏木)のこと好きらしいよ」と煽られたとのこと。
  2. ^ この時柏木は彼から電話番号を聞かれなかったことから、彼女は内心“女の私から電話をかけさせるなんて…”と思ったため、電話はかけなかったと回想している[2]
  3. ^ 「今日の洋服はとても似合ってるよ」、「髪型がすごく素敵だったよ」等。
  4. ^ また柏木は、「あの番組では仕事ながら夫婦水入らずで過ごせるので、毎回とても楽しみだった」と回想している[2]
  5. ^ 大島は、「出かけない日でも、毎日コーディネートを考えて身支度をする母を見てきて、その姿を誰にも見せないのはもったいないと思ったんです」と理由を語っている。[2]
  6. ^ 柏木によると、「事故後からしばらくの間悲しみに暮れていたんですけど、シングルマザーとして2人の子どもたちを育てていくためにも、仕事をする必要がありました。仕事復帰のための洋服を選んでいるうちに、ようやく自分を取り戻すことができました。私の場合、おしゃれをすることで少しずつ前を向いて歩いていく気持ちになれたのです」と述懐している[2]
  7. ^ 依頼された当初は断ろうとしたが、番組スタッフから「私たちの広島は原爆のどん底から立ち上がった。痛ましい事故で坂本さんを亡くされた柏木さんにも立ち直っていただきたい」と説得されて引き受けることにした[2]
  8. ^ 三浦洸一とデュエット
  9. ^ a b TBS系テレビドラマ「東京の人」主題歌
  10. ^ 片面は、東京混声合唱団の「氷点のテーマ」
  11. ^ 柏木由紀子・和田弘とマヒナスターズ名義
  12. ^ 三田明とデュエット
  13. ^ TBS系テレビドラマ「早春物語-私、大人になります-」挿入歌。
  14. ^ テレビ新広島からの委託製作盤
  15. ^ テレビ新広島『クイズクロス5』挿入歌。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.74.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 週刊女性2023年8月15日号・人間ドキュメント「あの夏から38年 おしゃれインスタが話題~柏木由紀子」p36-42

参考文献[編集]

  • 『日本映画俳優全集・女優編』(キネマ旬報社、1980年12月31日)「柏木由紀子」の項目、190頁。

外部リンク[編集]