杉山神社 (横浜市都筑区中川)

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杉山神社


拝殿

地図
所在地 神奈川県横浜市都筑区中川6-1-1
位置 北緯35度33分16.38秒 東経139度34分34.72秒 / 北緯35.5545500度 東経139.5763111度 / 35.5545500; 139.5763111座標: 北緯35度33分16.38秒 東経139度34分34.72秒 / 北緯35.5545500度 東経139.5763111度 / 35.5545500; 139.5763111
主祭神 日本武尊五十猛命
社格 式内小社、旧郷社
別名 大棚杉山神社
例祭 10月15日
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杉山神社(すぎやまじんじゃ)は神奈川県横浜市都筑区センター北駅近くに鎮座している神社。旧大棚村(おおだなむら)の郷社で、横浜市内唯一かつ旧武蔵国式内社である「杉山神社」の有力論社の一つとされている。旧大棚村に鎮座していたことから、大棚杉山神社とも呼称される。

祭神[編集]

遷座[編集]

当社は現在までに3度ほど遷座(転社)している。元々は大棚477番地の杉の森(龍福寺付近)に鎮座しており、1914年大正3年)まで旧跡があった[2][3]1912年明治45年)1月には中川町1084番地(大塚・歴博付近)に遷座したが、横浜市の六大事業の一つである「横浜国際港都建設事業・横浜北部新都市(港北ニュータウン)土地区画整理事業」による再開発のためその後も度々遷座している[1][4][5][6]

1983年昭和58年)11月30日には同町757番地の吾妻山山頂(元吾妻社跡地)に仮社殿を設け遷座した。さらに、1992年平成4年)4月に新たな社地として同町1194番地(現:中川6-1-1)が仮換地指定され社殿が1994年(平成6年)9月に竣工、同年10月13日祭神勧請および配神遷座式が執り行われ、翌1995年(平成7年)10月15日には鳥居社務所などその他の建造物や植栽整備も完了し遷宮式典および落慶祝賀が執り行われている。なお、この遷座の際に当社に最も関わりがあるとされる和歌山県伊太祁曽神社に赴いて五十猛命の霊璽を拝受しており、以来旧来の祭神である日本武尊と共に祀られている。

式内社の論社として[編集]

式内社を標榜する、氏子らによる1856年安政3年)の石碑が置かれている[1]。また当社を論社とする説は旧大棚村出身の栗原恵吉によるものであるが、式内社研究会『式内社調査報告』にて三橋健西八朔の説と共に本説に惹かれるとしている[7]。当社も他の多くの論社と同じく、鶴見川水系早渕川)沿いの高台に鎮座している。

なお、江戸時代以前における当社の別当寺は「大杉」を山号とする龍福寺であった[8]

境内[編集]

境内には以下の社(境内社)や力石が置かれている[9][10]

祭事・年中行事[編集]

その他[編集]

当社には神職が常駐しておらず、青葉区荏田町にある劔神社の兼務社となっている。

所在地・交通[編集]

神奈川県横浜市都筑区中川6-1-1

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 武蔵の五十猛命 神奈川県横浜市:中川 杉山神社(神奈備)
  2. ^ a b 杉山神社 大棚社 港北ニュータウン(歴史と素適なおつきあい)
  3. ^ 都筑区中川六、七丁目 平成5年(1993年)(ひろたりあん通信2012年12月号 わが街 今昔/廣田新聞店)
  4. ^ 杉山神社 (中川)(あかね台.net)
  5. ^ 杉山神社(都筑区中川)(延喜式神社の調査)
  6. ^ 境内の「宗教法人 杉山神社移築記念碑」より
  7. ^ 港北区の歴史と文化(シリーズ わがまち港北 2003年4月号):第52回 杉山神社の有力候補(公益財団法人 大倉精神文化研究所 )
  8. ^ 武蔵国都筑郡唯一の式内社杉山神社を推理(津軽古代王国)
  9. ^ 中川・杉山神社(延喜式内論社)/神奈川県横浜市都筑区(四季歩のつれづれ)
  10. ^ 神社巡り(横浜市あちこち):大棚杉山神社(事事関心!)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]