杉原重長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
杉原重長
時代 江戸時代前期
生誕 元和2年(1616年
死没 寛永21年10月28日1644年11月27日
別名 吉兵衛(通称)
戒名 悟空院殿覚全浄本大居士
墓所 東京都港区三田林泉寺
官位 従五位下伯耆守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家光
但馬豊岡藩
氏族 杉原氏
父母 杉原長房浅野長政の娘
兄弟 重長長俊北条氏重正室、浅野長政養女、長晴院、堀親昌正室、浅野長晟養女、竹中重常正室、青山幸通継室、上田重安正室
正室小出吉親の次女
継室織田高長の娘
杉原重玄正室
養子重玄
テンプレートを表示

杉原 重長(すぎはら しげなが)は、但馬国豊岡藩の第2代藩主

生涯[編集]

元和2年(1616年)、江戸で初代藩主杉原長房の長男として生まれる。寛永6年(1629年)、父の死去により家督を継いだ。寛永21年(1644年)10月28日、29歳で死去する。

重長には娘が1人いるだけで男児がいなかったため、父・長房の外孫に当たる重玄交代寄合竹中重常の三男)を養嗣子に迎え、自分の一人娘を娶わせることで跡を継がせようとしたが、この末期養子は認められず、重長の死後、豊岡藩は2万石から1万石に減知された上で重玄の家督相続が認められた。

系譜[編集]