朝井景命

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朝井 景命(あさい かげのり、天明8年9月26日1788年10月25日) - 天保14年7月10日1843年8月5日))は、江戸時代官人藤原朝臣。身分は地下人勧修寺門跡諸大夫。最後の官位従五位下陸奥守家紋丸に三つ引き

経歴[編集]

天明8年(1788年)9月26日に勧修寺門跡家士修理権亮朝井景福従五位上土佐守)の子として誕生。文化10年(1813年)4月14日、朝井家を継ぐ(3代当主)。文政元年(1818年)12月19日に従六位下に叙し、右兵衛大尉に任ぜられた。また諸大夫となり文政7年(1825年)2月3日に正六位下に叙し、陸奥守に任ぜられ、天保元年(1830年)12月19日従五位下に進み、同8年(1837年)12月隠居。

系譜[編集]

先代
朝井景福
朝井家
第3代
次代
朝井景逸