新月形橋 (富山県)

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新月形橋
基本情報
日本の旗 日本
所在地 富山県滑川市魚津市
交差物件 早月川
用途 道路橋
路線名 富山県道137号堀江魚津線
竣工 1999年平成11年)12月3日
構造諸元
形式 鈑桁橋
全長 230.5 m
15.5 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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富山県道137号標識

新月形橋(しんつきがたばし)は、富山県滑川市栗山と魚津市浅生の早月川に架かる一般県道堀江魚津線である。

本項では、旧橋にあたる月形橋(つきがたばし)についても記述する。

新月形橋の概要[編集]

六径間連続工法の免震構造を採用している[3]。橋の名称は1998年(平成10年)12月から公募を行い、1999年(平成11年)5月31日に決定された[5]

同橋の開通により、富山中部広域農道の全線開通が実現することになった[6]

月形橋[編集]

大正時代までは中流で往来する人が流され死亡する事故が絶えなかったため、大正時代に橋銭を徴収する釣橋が架橋されたが、両岸の住民にとっては大きな負担となっていた[6]

1919年(大正8年)、下新川郡会は同郡上中島村(現・魚津市)有山 - 中新川郡早月加積村(現・滑川市)栗山間の架橋促進を決議し、その後も住民たちの強い要望が実って、1936年昭和11年)、長さ230m、幅員4.5mの木造橋が架橋された。その後も洪水などで度々被災しながら補修を繰り返しながら使用されてきたが[6][7]、木造橋の為老朽化によりバスや大型自動車の通行が出来なくなったことから、1963年(昭和38年)の災害を機に魚津側1連のみ永久橋化された[8]1964年(昭和39年)7月9日午前7時ごろ、中央部約20mが流失した[9]ため、富山県魚津土木出張所が全面改良に踏み切っり、同年10月1日より仮橋を設けるとともに5,200万円の工費で着工した[8]

1966年(昭和41年)1月に現在の鉄筋コンクリート橋に架け替えられた[6][7]、舗装工事や雪解けを待った上で[8]、同年5月9日に完工式が挙行された[10]。これにより魚津、滑川の山手を結ぶバス路線も再開し、長年にわたった不便も解消された[8]。橋長234 m、幅員6 mの鉄筋コンクリートの永久橋(鈑桁橋)である。総工費は9,870万円[1][10]

新月形橋完成後は魚津市道有山2号線の橋となったが、橋梁の定期点検を実施により著しい損傷が確認されたため、2017年(平成29年)12月6日より通行止めとなっている[11]

周辺[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d FR16:川を渡る橋・富山県(2022年8月28日閲覧)
  2. ^ 『北日本新聞』1999年12月4日付朝刊20面『孫と手をとり渡り初め 魚津 - 滑川結ぶ新月形橋開通 地元民・完成祝う』より。
  3. ^ a b c 『北日本新聞』1996年11月26日付朝刊5面『魚津 - 滑川の県道 免震構造で高い安全性 11年度完成 早月川・月形橋が着工』
  4. ^ 『滑川市制五十周年記念誌 眼でみる滑川五十年のあゆみ』(2003年11月1日、滑川市総務部企画情報課発行)62頁。
  5. ^ 『富山新聞』1999年6月1日付20面『「新月形橋」と命名 滑川と魚津結ぶ大型橋りょう 交通渋滞緩和に期待』より。
  6. ^ a b c d 『早月川風土記』(2008年4月10日、早月川風土記の会編集・発行)58ページ『早月橋、月形橋』より。
  7. ^ a b 『空から見るなめりかわ 昭和今昔写真館』(2016年4月2日、滑川市立博物館編集・発行)42頁。
  8. ^ a b c d 『富山新聞』1966年2月1日付朝刊6面『魚津の月形橋かけかえ完了』より。
  9. ^ 『北日本新聞』1964年7月9日付夕刊5面『早月川の月形橋流失』より。
  10. ^ a b 『北日本新聞』1966年5月10日付朝刊(富山新川版)8面『4年がかりの念願実る 月形橋(早月川上流 魚津 滑川間)の完工式』より。
  11. ^ 月形橋(市道有山2号線)通行止めのお知らせ(魚津市、2022年8月27日閲覧)

関連項目[編集]