掛下栄一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

掛下 栄一郎(かけした えいいちろう、1923年大正12年〉9月13日[1] - 2011年平成23年〉8月6日[2])は、日本哲学者早稲田大学名誉教授。専門は哲学及び美学

来歴[編集]

佐賀県大牟田市に生まれ、数ヶ月後に和歌山県和歌山市に移る[1][注釈 1]和歌山県立和歌山中学校を経て、1942年4月に第二早稲田高等学院文科に入学する[3]1943年12月、学徒出陣により大阪の高射砲隊に入隊し、満州にて幹部候補生としての教育を受ける[3]1946年1月、早稲田大学文学部哲学科(西洋哲学専修)に復学する[3]1947年10月に卒業した後、大学院において樫山欽四郎の指導を受け、また、早稲田大学図書館書記に嘱託される[3]

1949年4月、早稲田大学高等学院の助手となる[3]1966年4月、早稲田大学社会科学部の創設により助教授(哲学担当)に、1968年3月、社会科学部学生担当教務主任に、1970年4月、社会科学部教授に就任する[5]1971年10月、早稲田大学商議員に選任される[5]1973年7月、在外研究員としてフランスに出張する[5]1976年10月、早稲田大学評議員に選任される[5]1980年9月、社会科学部長となる。1982年11月、理事(文化事業担当)に、1986年11月、常任理事(学生就職担当)に就任する[5]1991年4月、在外研究員として再びフランスに出張する[5]1994年3月、定年により早稲田大学を退職し、名誉教授の称号を受ける[6]

1999年11月3日勲三等旭日中綬章を受章する[7][8][9][10][11]

著作[編集]

著書[編集]

翻訳[編集]

共訳[編集]

監訳[編集]

共編[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 出身地を和歌山と表記することがある[3][4]

出典[編集]

  1. ^ a b 掛下 2002, p. 163.
  2. ^ 稲門だより 2012, p. 111.
  3. ^ a b c d e f 掛下栄一郎教授年譜・主要業績目録 1994, p. 207.
  4. ^ 教員紹介 1968, p. 1.
  5. ^ a b c d e f 掛下栄一郎教授年譜・主要業績目録 1994, p. 208.
  6. ^ 掛下 2002, pp. 164–165.
  7. ^ 「秋の叙勲受賞者」『朝日新聞』、1999年11月3日、1面。
  8. ^ 「秋の叙勲 晴れの受章者 勲三等」『産経新聞』、1999年11月3日、3面。
  9. ^ 「99年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人、在日外国人の受章者一覧」『読売新聞』、1999年11月3日、15面。
  10. ^ 「秋の叙勲受章者」『毎日新聞』、1999年11月3日、17面。
  11. ^ 「秋の叙勲受章者」『日本経済新聞』、1999年11月3日、32面。

参考文献[編集]

  • 「教員紹介」『早稲田社会科学研究』第1巻、早稲田大学社会科学部、1968年6月20日、1頁。 
  • 「掛下栄一郎教授年譜・主要業績目録」『早稲田社会科学研究』第48巻、早稲田大学社会科学部学会、1994年3月20日、207-216頁、NAID 40003922568 
  • 掛下栄一郎『一哲学遊子の記』行人社、2002年10月、163-165頁。 
  • 「稲門だより」『早稲田学報』第66巻第2号、早稲田大学校友会、2012年3月15日、107-123頁。 

外部リンク[編集]