徳田御稔

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徳田 御稔(とくだ みとし、1906年10月13日 - 1975年1月29日)は、日本動物学者

人物[編集]

兵庫県神戸市に生まれる。北海道帝国大学農学部を卒業後、京都帝国大学理学部大学院に進学、第1講座駒井卓教授の指導を受けた[1]。大学院入学後から、日本および近隣の大陸や島嶼のネズミ類の分類・生物地理の研究を精力的に行い、1941年には日本動物学会賞を受賞した[1]。しかし、第2次世界大戦後は進化学ルイセンコ論争への啓蒙的な活動が主となり、戦前・戦中に行ったネズミ類分類の研究には関与しなくなった。ルイセンコ派として佐藤七郎らと共に、獲得形質が遺伝することを薬剤耐性の獲得で説明しようと試みたが(「ヤロビ農法」も参照のこと)[2]、駒井卓は反ルイセンコ派の急先鋒となっていった。1970年3月の定年退職後、1972年12月に病に倒れ、1975年死去[1]

年譜[編集]

主として金子之史制作の年表[1]を元にした

記載した種など[編集]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『齧歯類の遺伝』遺伝・育種学叢書 養賢堂 1936
  • 『日本生物地理 東亜鼠類の進化学的研究より見たる日本列島の地史及び生物相の発達史』古今書院 1941
  • 『生物進化論』日本科学社 1947 学生叢書 自然科学篇 のち講談社学術文庫
  • 『進化論』1951 岩波全書
  • 『二つの遺伝学』理論社 1952
  • 『続・二つの遺伝学』理論社 1956
  • 『進化学入門 種の問題を中心に』1963 紀伊国屋新書
  • 『生物地理学』築地書館 1969
  • 『進化・系統分類学』第1-2 共立出版 1970 共立全書

共編著[編集]

  • 『あひる』内藤克三 上坂章次と鼎談 富民社 1948
  • 『現代の進化論 どこに問題があるのか?』編 理論社 1953
  • 『国民のための理科教育 生物教育の基礎』編 法律文化社 1964 教育シリーズ
  • 『国民のための生物教育』編著 法律文化社 1969 教育シリーズMitoshi Tokuda

翻訳[編集]

論文[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 大舘ほか、2011
  2. ^ 「日本のルイセンコ論争」 (2006-09-30) [1]
  3. ^ 朝比奈英三北大農学部の動物学と北海道」『北大百年史』通説、北海道大学、1982年7月、865-880頁、NAID 120000968021 

外部リンク[編集]