御船氏主

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御船氏主
時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位上大学博士
主君 淳和天皇仁明天皇
氏族 御船宿禰
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御船 氏主(みふね の うじぬし)は、平安時代初期の貴族儒学者宿禰官位従五位上大学博士

経歴[編集]

大学博士として、延暦19年(800年)生まれの滋善宗人の若い頃に三礼(『儀礼』『周礼』『礼記』)を教授したとされることから[1]弘仁から天長年間(820-830年代)頃には既に大学博士の任にあったか。天長8年(831年従五位下に叙せられる。

仁明朝に入り、天長10年(833年)本拠地を河内国から平安京の右京六条に改める。その後、引き続き大学博士を務める一方で、承和元年(834年)従五位下、承和8年(841年)従五位上に叙せられている。あるとき、経学を深く尊んでいた仁明天皇に召されて、助教苅田種継経義について議論した際、氏主はを執り、種継はを挙げ、激しい議論の末、決着がつかなかったとの逸話がある[2]

官歴[編集]

六国史』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『日本三代実録』貞観5年正月20日条
  2. ^ 『日本三代実録』仁和2年5月28日条

参考文献[編集]