小林宏 (棋士)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 小林 宏 七段
名前 小林 宏
生年月日 (1962-12-18) 1962年12月18日(61歳)
プロ入り年月日 1984年8月3日(21歳)
引退年月日 2022年4月19日(59歳)
棋士番号 167
出身地 三重県度会郡玉城町
所属 日本将棋連盟(関西)
師匠 真部一男九段
段位 七段
棋士DB 小林 宏
戦績
一般棋戦優勝回数 1回
通算成績 435勝564敗
999対局(勝率0.4354)
竜王戦最高クラス 3組
順位戦最高クラス C級1組
2022年4月19日現在
テンプレートを表示

小林 宏(こばやし ひろし、1962年12月18日 - )は、将棋棋士真部一男九段門下。棋士番号は167。三重県度会郡玉城町生まれ。 父は編集者、文学研究者の小林察

戦績[編集]

1989年度(第2期)竜王戦5組ランキング戦の準々決勝で佐藤康光、決勝で森内俊之と後に永世称号を獲得する2名に勝利し、島朗竜王(当時)への挑戦権を争う本戦トーナメントに進出。本戦も1回戦で6組優勝の長沼洋に勝利を挙げた。(2回戦で羽生善治に敗退[1]

竜王戦では2年後の第4期でも4組ランキング戦で優勝し、谷川浩司竜王(当時)への挑戦権を争う本戦トーナメントに進出。日浦市郎(3組2位)、島朗(1組優勝)、塚田泰明(1組3位)を破って、挑戦者決定三番勝負に進出するが、森下卓(3組優勝)に2連敗で敗れる。なお、竜王戦は挑戦者になるだけで、他棋戦の優勝賞金レベルの稼ぎになる。翌期に自己最高位の3組に昇進し、以降8期連続で在位した。

1992年度、第11回早指し新鋭戦棋戦初優勝。決勝で佐藤康光の3連覇を阻止した。

順位戦では初出場から6期目、1990年度(第49期)C級2組で初戦から9連勝し、最終局を待たずしてC級1組への昇級を決める。(最終局で神崎健二に敗れ、3位昇級となった。)以降13期連続でC級1組に在位、その間第55期(1996年度)と第58期(1999年度)で8勝2敗の好成績を修めたが、B級2組への昇級には至らなかった[2]

2010年度(第69期)を最後にフリークラスへの転出を宣言。順位戦以外の公式戦は2026年度まで参加が可能であったが、2021年度末に連盟に引退届を提出[3]

2022年4月19日の第35期竜王戦6組昇級者決定戦・上野裕和戦の対局を最後に現役を引退した[4]。通算対局数は999局(435勝564敗)だった。

棋風[編集]

居飛車戦法(矢倉など)、振り飛車戦法、相振り飛車のいずれも指しこなすオールラウンドプレーヤーである[要出典]

激しい攻め合いを好む棋風である[要出典]

人物[編集]

  • 父の小林察(こばやしさとる)は元光文社の編集者であるほか[5]、詩人竹内浩三の研究者でもあり、玉川大学大阪学院大学教授を歴任している。
  • 師匠の真部一男とは年が近く(真部は1952年、小林は1962年生まれ)、また真部門下唯一の棋士[6]なので、師弟のつながりはかなり強いものがあった。真部が2007年に死去したときは、週刊将棋将棋世界に追悼文を寄稿。真部が病院で絶局(2007年10月30日、順位戦C級2組、対豊島将之戦)について語ったことを綴り、2008年の升田幸三賞特別賞を受賞した手である『幻の△4二角』の生き証人となった。
  • 1993年から1997年まで、関東奨励会の幹事を務めた。
  • 本格的な登山愛好家。奨励会在籍期間の約4割を占めた二段時代に、ザイルやハンマーなどを少しずつ揃えていったという[7]。平成10年度版「将棋年鑑」のプロフィール(アンケート)で、「棋士以外でやってみたい職業は?」との問いに「冬の小屋番」と回答している。二段時代の1984年、谷川岳で猛吹雪で山小屋に閉じ込められ、奨励会の対局が不戦敗となる[8]。五段時代の1993年、富士山で滑落事故で足を骨折して一時行方不明となり、ニュースで報道までされたが、無事、救出された[9]

昇段履歴[編集]

主な成績[編集]

棋戦優勝[編集]

優勝合計1回

在籍クラス[編集]

順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦 (出典)竜王戦
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1984 43 四段昇段前
1985 44 C244
1986 45 C220 棋戦創設前
1987 46 C240 1 5組 --
1988 47 C227 2 5組 --
1989 48 C213 3 4組 --
1990 49 C214 4 4組 --
1991 50 C123 5 3組 --
1992 51 C112 6 3組 --
1993 52 C107 7 3組 --
1994 53 C108 8 3組 --
1995 54 C112 9 4組 --
1996 55 C111 10 4組 --
1997 56 C102 11 4組 --
1998 57 C108 12 4組 --
1999 58 C124 13 5組 --
2000 59 C104 14 5組 --
2001 60 C122 15 6組 --
2002 61 C129 16 6組 --
2003 62 C123 17 6組 --
2004 63 C201 18 6組 --
2005 64 C231 19 6組 --
2006 65 C240 20 6組 --
2007 66 C232 21 6組 --
2008 67 C238 22 6組 --
2009 68 C231 23 6組 --
2010 69 C215 24 6組 --
2011 70 F宣 25 6組 --
2012 71 F宣 26 6組 --
2013 72 F宣 27 6組 --
2014 73 F宣 28 6組 --
2015 74 F宣 29 6組 --
2016 75 F宣 30 6組 --
2017 76 F宣 31 6組 --
2018 77 F宣 32 6組 --
2019 78 F宣 33 6組 --
2020 79 F宣 34 6組 --
2021 80 F宣 35 6組 --
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

脚注[編集]

  1. ^ 羽生はその後、当期の本戦を勝ち続け、挑戦者となり、七番勝負も4勝2敗で制し、19歳で竜王位を獲得した。
  2. ^ 第55期では仮に中川大輔が最終局で敗れていれば小林が2位で昇級となっていた。
  3. ^ 昇段・引退・休場棋士のお知らせ”. 日本将棋連盟 (2022年4月1日). 2022年4月2日閲覧。
  4. ^ a b 小林宏七段が引退”. 日本将棋連盟 (2022年4月20日). 2022年4月20日閲覧。
  5. ^ 『将棋マガジン』1991年12月号、高橋呉郎「形のメモ帳:真部一男 楽しきかな夜型生活」より
  6. ^ 真部が生涯で取った弟子は小林を含めて僅か2名であった。
  7. ^ 将棋世界」2000年1月号付録
  8. ^ 鈴木宏彦『将棋 好プレー珍プレー集』 (マイナビ将棋文庫)P.316
  9. ^ 鈴木宏彦『将棋 好プレー珍プレー集』 (マイナビ将棋文庫)P.313
  10. ^

関連項目[編集]

外部リンク[編集]