小川悦子 (編集者)

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小川 悦子(おがわ えつこ、本名:小川 悦[1]1935年[2] - )は、日本編集者著作家セーラー出版株式会社(後のらんか社)社長を務めた[1]

経歴[編集]

1953年に、文園女子高等学校(大妻中野中学校・高等学校の前身)を卒業し、印刷会社に勤めた後、1957年セーラー万年筆に入社した[1]。同社では、20年間にわたって社内報の編集を続けた[3]。また、在職中から文芸同人誌『文芸首都』、『新現実』に参加していた[1]

1985年2月、当時、秘書係長であった小川は、新設されたセーラー出版へ出向し、社長となった[1][4]。小川社長の下、同社はおもに諸外国の絵本の翻訳出版事業を展開した[1]。最初に手がけたのは、親会社のセーラー万年筆がキャラクター商品を手がけていたペヨの「スマーフ」のシリーズで、その後、ヨゼフ・ウィルコンポーランド語版ウィリアム・スタイグアニタ・ローベル英語版マックス・ベルジュイスなどの作品が翻訳出版された[3]1997年には、初めて、翻訳ではないオリジナル作品(野村なおこ『しましまパーティー』)の出版を手がけた[3]

小川が社長だった当時、セーラー出版は、小川自身を含め少人数(1999年時点で3人)の体制で業務をこなしており、全員が編集も営業も担う状態であったという[3]。また、自ら翻訳を手がけたこともあった。

小川は、2008年にセーラー出版を退職した[1]。その後2012年に、セーラー万年筆はセーラー出版の全株式を売却し、翌2013年にはらんか社となった。

エピソード[編集]

河毛二郎は、セーラー万年筆の大株主であった王子製紙の社長在職中に、レーシー・ヘルプス英語版童話の翻訳を4件手がけているが、これは、河毛が英語小説を読むのが趣味だと聞きつけた小川が翻訳を勧めたことを受けて取り組まれたことであった[5][6]

おもな著書[編集]

著書[編集]

  • 『一九五二年十七歳』(沖積舎) 1989年
  • 『ほどけばもとの』(作品社) 2011年
  • 『伊左衛門の狐』(作品社) 2012年

訳書[編集]

翻訳は「おがわえつこ」名義による。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 小川 悦 (etsu.ogawa) - Facebook
  2. ^ 一九五二年十七歳 小川悦子 著”. 国立国会図書館. 2019年6月15日閲覧。
  3. ^ a b c d 月刊児童文学翻訳 ─99年6月号(No.11 情報編)─ 出版社研究 第2回 セーラー出版株式会社”. やまねこ翻訳クラブ. 2019年6月15日閲覧。
  4. ^ “[人模様]絵本の出版続け10周年 セーラー出版社長として出向した小川悦子さん”. 毎日新聞・東京夕刊: p. 5. (1995年8月28日)  - 毎索にて閲覧
  5. ^ 岩城元 (1987年10月4日). “河毛二郎・王子製紙社長=69(編集長インタビュー)”. 朝日新聞・朝刊: p. 13  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  6. ^ “[わたしの道]河毛二郎さん(2)金沢の旧制中・高時代(連載)”. 読売新聞・東京朝刊: p. 14. (1998年11月10日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧

外部リンク[編集]