容楊黛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

容楊黛(ようようたい、生没年不詳)とは、江戸時代中期の人物。

来歴[編集]

容楊黛は、以下の義太夫浄瑠璃の作者としてその名が知られている。

実際にはこのふたつ以外に浄瑠璃の作は無い。容楊黛というのはペンネームで、その正体は三田村鳶魚によれば、下谷長者町(現在の台東区上野三丁目および五丁目)に住む町医者の松田なにがしだったという。浄瑠璃のほかに読本『敵討連理橘』と洒落本『歌舞妓の華』を著している。なお外記座で初演された『加々見山旧錦絵』はその翌年の4月、森田座において同名の外題歌舞伎として上演されているが、このときの役割番付をみると「狂言作者」として勝俵蔵(のちの鶴屋南北)らとともに、容楊黛の名が記されている。容楊黛についてこれ以上のことは現在のところ知られておらず、ただ『加々見山旧錦絵』が初演当時大当りし、その後もこの中の六段目と七段目が繰り返し上演されたことにより、江戸の浄瑠璃作者のひとりに数えられている。

参考文献[編集]

  • 東京音楽学校編 『近世邦楽年表』(第3巻) 1965年(復刻版、初版は1927年刊行)
  • 森銑三野間光辰朝倉治彦編 『三田村鳶魚全集』(第18巻) 中央公論社、1976年 ※『芝居と史実』所収「加賀見山旧錦絵」
  • 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館編 『演劇百科大事典』(第5巻) 平凡社、1986年、p.503 「容楊黛」の項
  • 国立劇場調査養成部調査資料課編 『国立劇場上演資料集.454 七福神宝の入舩・絵本太功記・鳴響安宅新関・加賀見山旧錦絵(第143回文楽公演)』 日本芸術文化振興会、2003年 ※『加賀見山旧錦絵』上演記録
  • 秋山虔ほか編 『日本古典文学大辞典』(第6巻) 岩波書店、1988年、p.149 「容楊黛」の項
  • 早稲田大学演劇博物館 デジタル・アーカイブ・コレクション※天明3年森田座上演の『加々見山旧錦絵』の番付の画像あり。