大野氏 (豊後国)

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大野氏(おおのし)は、日本氏族豊後国における有力な在地武士の一族、大神氏の支流の一つで、豊後国大野郡大野郷(現在の大分県大野郡大野町朝地町あたり)を本拠とした。通字は「」(もと)。

概要[編集]

詳しくは「大神氏」の項を参照のこと。

本流の大神氏(おおがし)、の子孫大神良臣仁和2年(886年)に豊後介を任じられたが、その善政を慕った領民の願いによって、任期後にその子庶幾(これちか)が大野郡領としてとどめられ、子(曾孫とも)である惟基がその始祖となったとされている。そして、惟基の子のうち栄基が領地の名称である「大野」を苗字としたのが豊後国の大野氏の始まりである。以降の当主も引き続き「基」の字を通字として名前に用いた。

大神氏(おおがし)は、大友氏が入国する以前から豊後国における有力な在地武士の一族であったが、15代貞基の養子となって跡を継いだ著基(出自不詳)以降の当主が大友氏歴代当主(大友義鎮(宗麟)を除く)から偏諱を賜っていることから、途中から大友氏に仕えていたことがわかる。

歴代当主[編集]

(*大友氏に仕え始めた16代著基以降、偏諱を与えた主君(当主)の人名を < の右側に示してある。 )

主な支流[編集]

※詳しい系図は「日本の苗字七千傑 大野氏系図」(以下外部リンクより)を参照。

外部リンク[編集]