呂凱 (孫呉)

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呂凱

副軍校尉
出生 生年不詳
徐州広陵郡海陵県
拼音 lǚ kǎi
主君 孫権孫亮
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呂 凱(りょ がい)は、中国三国時代の武将。

三国志』呉書に伝のある呂岱の嫡子。本貫徐州広陵郡海陵県。

生涯[編集]

赤烏9年(246年[1]、呂岱が上大将軍に昇進した時、呂凱は副軍校尉に任じられ、呂岱が軍事を担っていた蒲圻の地での兵の指揮を引き継いだ。

太平元年(256年)、呂岱が亡くなり、呂凱が爵位を継いだ。呂岱の遺言に「(葬儀の際は)簡素な棺、粗末な頭巾、麻製の単衣を用い、葬送の儀礼も倹約に努めること」とあり、呂凱はこれに従って葬儀を執り行った。

出典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『三国志』呉書 呉主伝 s:zh:三國志/卷47