前田秀樹

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前田 秀樹
名前
カタカナ マエダ ヒデキ
ラテン文字 MAEDA Hideki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1954-05-13) 1954年5月13日(69歳)
出身地 京都府京都市右京区
身長 169cm
体重 65kg
選手情報
ポジション MFDF
ユース
1969-1971 京都商業高校
1972-1975 法政大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1977-1990 古河電気工業 209 (35)
代表歴
1974  日本 U-20
1975-1984[1] 日本の旗 日本 65 (11)
監督歴
1994-1996 ジェフユナイテッド市原U-18
1997 ジェフユナイテッド市原U-15
1998-1999 横河電機
2003-2007 水戸ホーリーホック
2008- 東京国際大学
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

前田 秀樹(まえだ ひでき、1954年5月13日 - )は、京都市右京区出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF(攻撃的MF)、DF(リベロ)。

略歴[編集]

選手として[編集]

小学校 (京都市立太秦小) 時代にサッカーをはじめ、京都商業高校(現在の京都学園高校)で国体京都府代表に選出された。法政大学では関東大学リーグおよび大学選手権の優勝を経験した。大学卒業後は古河電気工業に所属し、1981年および1982年に日本サッカーリーグのベストイレブンを受賞した。

また、法大在学中より日本代表に選出。1980年代前半の日本代表で主将を務めた。

日本サッカーリーグの1988-89シーズンにて、元号が「昭和」から「平成」に替わった後の1989年2月26日、対住友金属工業戦で後藤義一からのコーナーキックを頭で合わせてゴールを決めた。これが「平成」初となる日本サッカー公式戦初得点であり、かつ前田自身の現役最後のゴールともなった[2]

解説者として[編集]

1990年に引退後はサッカー解説者を務め、スカパー!では主に水戸戦の解説を担当。

また、1994 FIFAワールドカップ・アジア予選の日本代表×イラク代表戦(1993年10月28日、「ドーハの悲劇」)のテレビ中継で解説を務めた[2]実況久保田光彦で、久保田と前田のコンビは、当時放送されていた『ダイナミックサッカー』でも見られた。

指導者として[編集]

2003年よりJ2所属の水戸ホーリーホックの監督に就任[3]。「水戸ナチオ」と呼ばれる堅守速攻が特徴的であり、水戸ホーリーホックの新監督となった時に他クラブより劣っていた資金面・戦力面を徹底した専守防衛で補おうとした。守備時は全選手が自陣深くまで退き、攻撃はカウンター一筋でポゼッションは放棄していた。一部サポーターが「水戸ナチオ」と呼ぶようになり、2007年以降は攻撃的サッカーへ転換するが、水戸を代表する代名詞として用いられている。2007年のシーズン終了を以って、監督を退任[3]

2008年1月25日、東京国際大学体育会サッカー部の監督に就任[4]。2013年より関東リーグ2部へ昇格。

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1977 古河 9 JSL1部 16 0 0 2 2
1978 18 0 1 1 2
1979 18 7 4 2 3 2 25 11
1980 16 8 3 1 3 0 22 9
1981 15 1 3 2 2 1 20 4
1982 13 7 5 1 1 0 19 8
1983 13 1 0 0 1 0 14 1
1984 18 5 0 0 5 1 23 6
1985 20 4 3 0 1 0 24 4
1986-87 16 1 5 6 21 7
1987-88 15 0 2 0 2 0 19 0
1988-89 22 1 2 1 2 1 26 3
1989-90 9 0 0 0 1 0 10 0
通算 日本 JSL1部 209 35 14
総通算 209 35 14

※1986年度の天皇杯は、古河電工がアジアクラブ選手権1986-87出場のため辞退

JSL東西対抗戦 3回出場(1981年、1982年、1984年)

・JSL選抜チーム(1986年)1試合0得点

代表歴[編集]

出場大会など[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 65試合 11得点(1975-1984)[1]


日本代表国際Aマッチ その他期間通算
出場得点 出場得点出場得点
1975 5 1 2 0 7 1
1976 6 1 0 0 6 1
1977 3 0 8 3 11 3
1978 7 1 7 2 14 3
1979 9 3 9 1 18 4
1980 11 3 13 2 24 5
1981 11 0 15 2 26 2
1982 3 0 10 1 13 1
1983 7 2 4 1 11 3
1984 3 0 5 1 8 1
通算 65 11 73 13 138 24

得点数[編集]

# 年月日 開催地 対戦相手 スコア 結果 試合概要
1 1975年8月7日 マレーシアクアラルンプール インドネシアの旗 インドネシア 4-1 勝利 ムルデカ大会
2 1976年3月17日 日本東京 フィリピンの旗 フィリピン 3-0 勝利 モントリオール五輪予選
3 1978年12月13日 タイバンコク バーレーンの旗 バーレーン 4-0 勝利 アジア競技大会
4 1979年5月31日 日本、東京 インドネシアの旗 インドネシア 4-0 勝利 ジャパンカップ
5 1979年6月27日 マレーシア、クアラルンプール マレーシアの旗 マレーシア 1-1 引分 ムルデカ大会
6 1979年7月1日 ビルマの旗 ビルマ 1-0 勝利
7 1980年3月24日 フィリピンの旗 フィリピン 10-0 勝利 モスクワ五輪予選
8 1980年3月28日 インドネシアの旗 インドネシア 2-0 勝利
9 1980年12月28日 香港 ポルトガルの旗 マカオ 3-0 勝利 1982 FIFAワールドカップ・アジア・オセアニア予選
10 1983年9月7日 日本、東京 フィリピンの旗 フィリピン 10-1 勝利 ロサンゼルス五輪予選
11 1983年9月20日 中華民国台北 チャイニーズタイペイの旗 チャイニーズタイペイ 1-1 引分

指導歴[編集]

監督成績[編集]

年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 試合 勝点 勝利 引分 敗戦 リーグ杯 天皇杯
1998 旧JFL 横河電機 8位 24 20 7 0 17 - 予選敗退
1999 JFL 12位 22 9 2 3 17 - 予選敗退
2003 J2 水戸 7位 44 56 15 11 18 - 3回戦
2004 9位 44 37 6 19 19 - 4回戦
2005 10位 44 52 13 13 18 - 4回戦
2006 10位 48 51 14 9 25 - 3回戦
2007 12位 48 34 8 10 30 - 4回戦

DVD[編集]

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b “前田 秀樹”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_ma/hideki_maeda.html 
  2. ^ a b “平成1号の前田秀樹氏が語る令和1号の意味”. ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. (2019年5月3日). https://www.nikkansports.com/soccer/news/201905030000060.html 2019年5月3日閲覧。 
  3. ^ a b c d e f g 水戸ホーリーホック前田秀樹監督の契約について”. J's GOAL (2007年12月3日). 2014年12月24日閲覧。
  4. ^ Inc, SEESAW GAME (2017年9月20日). “1部定着狙う東京国際大、後期開幕戦で4発快勝…昨季王者・明治大を撃破”. サッカーキング. 2023年11月2日閲覧。

外部リンク[編集]