佐藤浩貴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐藤 浩貴
Hirotaka Sato
ワンリーズワカヤマ AC
ポジション センター
役職 アシスタントコーチ
基本情報
愛称 ヒロ
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-12-08) 1981年12月8日(42歳)
出身地 神奈川県
身長(現役時) 203cm (6 ft 8 in)[1]
体重(現役時) 110kg (243 lb)[1]
キャリア情報
高校 相洋高等学校
大学 専修大学
ドラフト 2006年 4位
経歴
選手時代:
2004-2006パナソニックトライアンズ
2006-2008大阪エヴェッサ
2008-2011滋賀レイクスターズ
2011-2012三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ
2012-2013島根スサノオマジック
2013-2015大阪エヴェッサ
2015-2016西宮ストークス
2016-2017サイバーダイン茨城ロボッツ
2017-2018秋田ノーザンハピネッツ
2018-2019西宮ストークス
2019-2020金沢武士団
2021ランポーレ三重
コーチ時代:
2021-ワンリーズ和歌山
選手情報 ウィキデータを編集 B.LEAGUE.jp
代表歴
キャップ 日本の旗 日本 2003, 2005

佐藤 浩貴(さとう ひろたか、1981年昭和56年〉12月8日 - )は、日本の元プロバスケットボール選手。神奈川県出身。現役時代のポジションはセンター[1]。役職はアシスタントコーチ。ワンリーズ和歌山所属。

経歴[編集]

大学まで[編集]

小・中学校時代は特にスポーツをせず、帰宅部だった。中学3年生時には身長190cm、体重100kgにまで成長している。

相洋高等学校入学後にバスケットボールを始める。

恵まれた体格と運動能力を見込まれて入学した専修大学では、1年時からスタメンを任される。2年生の時にオールジャパンに出場する。3年時には、中川和之中川直之波多野和也長澤晃一青木康平らと共にインカレで優勝する。4年時には、日本代表監督に就任したジェリコ・パブリセヴィッチに見込まれ、日本代表候補選手に選ばれ、欧州遠征に参加する。帰国後、日本代表としてキリンカップ2003に出場し、アテネオリンピックアジア予選日本代表に学生で唯一選出される。関東学生一部リーグ戦では優勝。この年韓国で行われたユニバーシアードの日本代表(U-24)メンバーに大学でチームメイトの波多野、大宮宏正らと共に選出され、出場。大学4年の最後の冬には、第1回スプリングキャンプメンバーにも選出される。しかし、大学卒業直前の2004年1月、練習中に左アキレス腱断裂という大怪我に見舞われる。

大学卒業後[編集]

2004年春、スーパーリーグ松下電器に入団。この年の日本代表候補に再び選出されるも、大学4年時に負った怪我のため辞退する。

2005年には日本代表に復帰し、キリンカップ2005に出場する。しかし、怪我が響き、2005-2006シーズン終了後に、松下電器からカットされる。

2006年、bjリーグ合同トライアウトを受験。ドラフト会議で大阪エヴェッサより1巡目4位指名を受け入団。2006-2007シーズンは総出場時間136分に終わる。2007-2008シーズンも総出場時間25分にとどまる。シーズンオフ、エクスパンションドラフトで滋賀レイクスターズに移籍。移籍後はロバート・ピアスヘッドコーチに見出され、相手スコアラーを封じ込める典型的なセンターとして出番が増え、総出場時間も547分と大幅に増加する。

2011年、JBLの三菱電機ダイヤモンドドルフィンズに移籍したが、2012年にはbjリーグの島根スサノオマジックに移籍。島根では出場試合7、出場時間19分に留まり、1シーズンで自由契約となった。

2013年に、古巣の大阪エヴェッサに復帰。シーズン開幕の9月に網膜剥離が明らかになり[2]開幕には間に合わなかったが、11月2日の滋賀レイクスターズ戦にて2013-14シーズン初出場を果たした。2014-15シーズン終了後に退団。

2015-16シーズンNBL西宮ストークスと契約し、11試合に出場した。

NBLとbjリーグが統合され、B.LEAGUEが発足した初年度となる2016-17シーズンは、B2東地区所属のサイバーダイン茨城ロボッツに加わる。茨城にでは17試合の先発出場を含む49試合に出場した[3]

2017年7月、秋田ノーザンハピネッツと契約することが決まった。谷口大智とのツインタワーとして期待されたが、シーズン途中で負傷してしまい、以後ツイッターを使った広報としての活動が目立った。

2018年8月、西宮ストークスに復帰。

2019年7月、金沢武士団に移籍。シーズン終了後、現役引退[4]

2021年6月、地域リーグのランポーレ三重に加入し現役復帰[5]

2021年11月、ワンリーズ和歌山のアシスタントコーチに就任[6]

人物[編集]

ミュンヘン五輪の男子バレーボール日本代表で金メダルを獲得した佐藤哲夫は父。またバスケットボール選手の石井講祐従弟にあたる[7]

個人成績[編集]

略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック   TO  平均ターンオーバー  PPG  平均得点
 太字  キャリアハイ  *  リーグリーダー  †  優勝シーズン
シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
2004-05 松下電器
2005-06 松下電器
2006-07 大阪 24 0 5.7 50.0 - 50.0 0.8 0.2 0.1 0.1 0.4 0.8
2007-08 大阪 8 0 3.1 0.0 - 50.0 1.2 0.0 0.0 0.0 0.1 0.2
2008-09 滋賀 51 28 10.7 53.3 - 50.0 2.5 0.1 0.1 0.1 0.4 1.4
2009-10 滋賀 23 0 3.7 55.6 - 66.7 0.7 0.0 0.0 0.0 0.2 0.5
2010-11 滋賀 21 0 5.4 50.0 - 0.0 1.4 0.1 0.0 0.0 0.3 0.4
2011-12 三菱電機 16 0 3.1 33.3 - 50.0 0.6 0.0 0.1 0.1 0.2 0.2
2012-13 島根 7 0 2.7 - - - 0.0 0.0 0.1 0.0 0.0 0.0
2013-14 大阪 17 1 2.4 100 - - 0.4 0.1 0.0 0.0 0.2 0.1
2014-15 大阪 16 0 2.9 - - - 0.3 0.0 0.0 0.0 0.1 0.0
2015-16 西宮 11 0 2.5 100 - 0.0 0.5 0.0 0.0 0.0 0.1 0.2
2016-17 茨城 49 17 3.5 50.0 - 50.0 0.8 0.0 0.1 0.0 0.1 0.2
2017-18 秋田 20 4 5.2 25 - 0 0.6 0.1 0.1 0.1 0.2 0.2

脚注[編集]

  1. ^ a b c 【新入団】佐藤 浩貴選手 契約合意のお知らせ』(プレスリリース)秋田ノーザンハピネッツ、2017年7月17日https://northern-happinets.com/news/29394.html2017年7月17日閲覧 
  2. ^ No.1呉屋貴教選手、No.91佐藤浩貴選手の負傷について』(プレスリリース)大阪エヴェッサ、2013年9月26日。 オリジナルの2016年5月16日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20160305205726/http://www.evessa.com/news/2013/09/entry_20561/2013年11月22日閲覧 
  3. ^ 元日本代表の佐藤浩貴、茨城から秋田へ移籍「B1の舞台で戦うために全力を尽くす」”. バスケットボールキング. フロムワン (2017年7月17日). 2017年7月17日閲覧。
  4. ^ 佐藤浩貴選手 現役引退のお知らせ 金沢武士団 2020年5月7日
  5. ^ 佐藤浩貴選手2021-2022シーズン選手契約基本合意のお知らせ ランポーレ三重 2021年6月21日
  6. ^ アシスタントコーチ就任のお知らせ ワンリーズワカヤマ 2021年11月26日
  7. ^ 2015年12月2日の、石井のinstagramへの投稿、2017年7月17日閲覧。

外部リンク[編集]