今倉城

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岩倉城
鳥取県
別名 島田城
城郭構造 平城
天守構造  なし
築城主 吉川元春
築城年 天正8年(1580年
主な改修者 不明
主な城主 正受院西堂利安小鴨四郎次郎経春須藤丹波
廃城年 不明
遺構 郭、堀切、土塁
指定文化財 なし
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今倉城(いまくらじょう)は、鳥取県倉吉市福光にあった日本の城。別名島田城

歴史[編集]

八橋往来に近い交通の要衝に位置する当城は天正8年(1580年)、吉川元春によって岩倉城に対する付城として築城され、城には正受院西堂利安小鴨四郎次郎経春らが置かれた。南条方となった後は須藤丹波が置かれたが、南条氏の命令を聞かず、ほどなくして滅ぼされた。

遺構[編集]

現在、城跡は完全に宅地、竹林となっているが、昭和57年(1987年)に倉吉市の発掘調査が行われた当時は土塁が残存していた。発掘調査では土塁、堀の一部が調査され、堀は薬研堀で水の張られていた痕跡があることが判明した。このほか、調査によって城は土塁と堀で囲まれており、東西97m、南北82mの単郭方形で城の南中央部に張り出し部分があることがわかった。

参考文献[編集]

  • 鳥取県教育委員会『鳥取県中世城館調査報告書 第2集(伯耆編)』2004年
  • 新編倉吉市史編纂委員会『新編倉吉市史 第二巻 中・近世編』倉吉市、1995年
  • 高橋正弘『因伯の戦国城郭 通史編』自費出版、1986年

関連項目[編集]