仁科盛家

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仁科 盛家(にしな もりいえ、- 没年不明)は、平安時代末期の武将。通称は次郎。

信濃国安曇郡仁科御厨の豪族。治承3年(1179年)「大施主平朝臣盛家」として安曇郡藤尾郷の覚薗寺に千手観音像を寄進した。治承・寿永の乱では源義仲挙兵に参陣し、各地を転戦し入洛にも随行。寿永2年(1183年)の水島の戦いで平氏に敗れ、翌月の法住寺合戦では内裏に近い鳥羽の四至を警固しているが(『吉記』寿永2年7月13日条)、その後の動向は不明。

正室の佛母尼(大伴氏)は承元4年(1210年)高野山遍照光院に阿弥陀堂を寄進し、仁科氏累代が崇敬した。

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参考文献[編集]