京町 (台北市)

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京町
台北郵便局
京町の位置(台湾内)
京町
京町
京町の位置
北緯25度2分42.7秒 東経121度30分40.9秒 / 北緯25.045194度 東経121.511361度 / 25.045194; 121.511361
大日本帝国の旗 大日本帝国
州・庁 台北州
台北市
人口
(1935年10月1日現在)[1]
 • 合計 2,199人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)

京町(きょうまち[2])は、日本統治時代の台湾に存在した台北州台北市町丁。京町一丁目から京町四丁目までで構成された。人口は2,199人、世帯数は382世帯(1935年10月1日現在)[1]

地理[編集]

現在の京町(台北郵局

かつての台北市中心部、本町の西に位置する。

現在の博愛路開封街一段、武昌街一段、永綏街沅陵街の各一部が京町に含まれる。博愛路は日本統治時代に「京町通」という名であった。開封街一段は「宝通」、漢口街一段は「中通」、武昌街一段は「春日通」、永綏街は「公会堂通」、沅陵街は「都通」であった。

歴史[編集]

年表[編集]

町名の変遷[編集]

町名の変遷は以下の通りとなる[7]

実施後 実施年月日 実施前(各町名ともその一部)
京町 1922年4月1日 台北城内 北門街
府直街
府後街
府前街
石坊街
撫台街
西門街

施設[編集]

公共[編集]

  • 台北電信局(京町四丁目8)

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b 『台湾昭和十年国勢調査結果概報』台湾総督官房臨時国勢調査部、1935年12月、6頁。doi:10.11501/1281972 
  2. ^ 新道満『ローマ字発音台湾市街庄名の読み方』東都書籍、1938、11頁。doi:10.11501/1239821 
  3. ^ 明治二十八年勅令第百六十七号(標準時ニ関スル件)”. e-Gov法令検索. 2023年8月31日閲覧。
  4. ^ 除去日本色彩省垣改正街路名稱」『民報』、1946年1月1日。2023年9月1日閲覧。
  5. ^ 臺北市文獻委員會 編『臺北市 志卷三 政制志 行政篇』臺北市政府、1962、31-35頁https://tm.ncl.edu.tw/article?u=006_001_00003940152023年9月1日閲覧 
  6. ^ 臺北市文獻委員會 編『臺北市志 卷三 政制志 行政篇』臺北市政府、1987年6月15日、148-150頁https://data.taipei/dataset/detail?id=8df811be-26af-41a4-96ad-9dc474db2f532023年9月1日閲覧 
  7. ^ a b 臺北市文獻委員會 編『臺北市志 卷一 沿革志 封域篇』臺北市政府、1988、122頁https://tm.ncl.edu.tw/article?u=006_001_00003048732023年9月1日閲覧 

関連項目[編集]