亀磯

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亀磯(かめいそ)とは、徳島小松島港の沖合にある暗礁である。御甕[1]大神子海岸を含めた雪濱[2][信頼性要検証]などの異称がある。

概要[編集]

もともと、亀磯は四国島と大神子海岸で接続したであり、その浜辺には「おかめ千軒」と称された大規模な集落があった[3]。しかし、1361年正平地震の津波[4][5]または1586年天正地震[6][7][信頼性要検証]、あるいはそれらの組み合わせによって岬のほとんどは海中に没して先端のごく一部だけが岩礁となった。

残った岩礁も1854年安政南海地震による沈降でほぼ完全に水没し[8]波食の影響もあって2015年現在では干潮の時でも4つの岩がわずかに海面から出るだけである(干出岩)。このため、安易に喫水の深い船で近づかないように灯標が建てられている(オ亀磯灯標)。

亀磯の岩礁は1810年伊能忠敬により測量されており、『大日本沿海輿地全図』にも記載されている[9]。また、国土地理院の地図は『沿岸海域土地条件図』では亀磯が海面下に描かれているが、『地理院地図』などでは2015年現在でも安政南海地震以前の大きさの島が地図に記載されている[10]

出典[編集]

  1. ^ 佐野, 山陰[他]「山川 龜磯」『阿波志』 8巻、1815年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2595900/21 
  2. ^ 佐野, 山陰[他]「土産 白沙」『阿波志』 9巻、1815年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2595902/23 
  3. ^ 島田泉山「第三章 お亀の陥没 第一節 お亀は地續」『徳島市郷土史論』1932年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1191441/71 
  4. ^ 太平記・国民文庫本・巻三十六[リンク切れ], http://j-texts.com/taihei/tk036.html, "中にも阿波の雪の湊と云浦には、俄に太山の如なる潮漲来て、在家一千七百余宇、悉く引塩に連て海底に沈しかば、家々に所有の僧俗・男女、牛馬・鶏犬、一も不残底の藻屑と成にけり。" 
  5. ^ 島田泉山「第三章 お亀の陥没 第二節 お亀の陥没の年代」『徳島市郷土史論』1932年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1191441/77 
  6. ^ 潮見寺の歴史”. 2015年6月7日閲覧。
  7. ^ 佐野, 山陰[他]「佛刹 潮見寺」『阿波志』 8巻、1815年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2595900/40 
  8. ^ 『勝浦郡志』
  9. ^ 米国議会図書館に保存されていた『大日本沿海輿地全図』の複写。
  10. ^ 電子国土#地理院地図

関連項目[編集]

座標: 北緯34度2分18秒 東経134度37分54秒 / 北緯34.03833度 東経134.63167度 / 34.03833; 134.63167