久世綏之

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久世綏之
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 明和8年9月5日1771年10月12日
死没 天保10年5月29日1839年7月9日
改名 雄之助(幼名)、綏之
官位 従五位下出雲守
幕府 江戸幕府
下総関宿藩世嗣
氏族 久世氏
父母 久世広誉
兄弟 綏之土井利器秋田長季正室、安藤信馨正室、伊保子ら
正室西尾忠移の娘
広運大友義路
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久世 綏之(くぜ やすゆき)は、江戸時代中期から後期にかけての下総国関宿藩の世嗣。官位従五位下出雲守

略歴[編集]

久世広誉の長男として誕生。幼名は雄之助。生年は安永2年(1773年)とも。正室は西尾忠移の娘。

寛政3年(1791年)6月1日、第11代将軍・徳川家斉に初御目見する。12月16日、従五位下、出雲守に叙任する。しかし、文化10年(1813年)に病弱を理由に廃嫡された。

代わって、子・広運が文化14年(1817年)に隠居した広誉の跡を継いだ。綏之は広運の末期養子となった広周の時代に死去した。