中院通教

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中院通教
時代 鎌倉時代中期
生誕 寛元4年(1246年
死没 不明
別名 中院
官位 正二位権中納言
主君 後嵯峨上皇後深草天皇亀山天皇後宇多天皇
氏族 村上源氏中院家
父母 父:中院通成、母:宇都宮頼綱
兄弟 通頼通教、禅助、顕子、房子、
三条実重正室
養兄弟:大炊御門冬忠?
三条公俊娘・中納言典侍、高倉清俊
通藤通冬[1]
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中院 通教(なかのいん みちのり)は、鎌倉時代中期の公卿内大臣中院通成の二男。官位正二位権中納言

官歴[編集]

以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 左中将
  2. ^ 父・通成が内大臣を辞した際の挙任である。

出典[編集]