中村俊定

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中村 俊定(なかむら しゅんじょう、1900年〈明治33年〉2月13日 - 1984年〈昭和59年〉8月19日[1])は、日本の日本文学研究者。専門は日本近世文学、特に俳諧

来歴・人物[編集]

愛知県宝飯郡形原町(現・蒲郡市)生まれ[2][3]。旧名・市川唯治。3歳で、幡豆郡幡豆町浄土宗西山派の僧中村俊達の養子となり僧籍に入る[2][3]京都で7年間僧侶の修行をする[2][3]。1922年、早稲田高等学院に入学し、片上伸ロシア文学を学ぶ[2]。のちに国文学に転じて早稲田大学文学部国文科に入学し、山口剛に師事する[2]1928年に卒業して実業之日本社に入社する[2][3]。担当雑誌の廃刊を機に退職し[2]、深川高等家政女学校、豊島高等女学校、調布高等女学校で教鞭をとる[3]。この間、伊藤松宇の『俳書解題』編纂を手伝い、荻野清と『大芭蕉全集』の企画・刊行に尽力した[2]1936年には多くの研究者によびかけ「俳諧研究会」を興し、初の研究誌『連歌と俳諧』を創刊した[3]1950年俳文学会設立時は研究者のまとめ役として尽力[2]。『日本古典文学大系 芭蕉句集(連句篇)』で昭和37年度文部大臣賞受賞[2]1942年から早稲田大学で教えはじめ[2]、1956年同大学教授[3]1970年に定年退職[2]。のち二松学舎大学教授[3]

中野三敏は「エレベーター信仰の様なものがあって、日立製以外には絶対に乗られない」「大福餅が好物」「必ず急行を待たれた。これも途中で閉じ籠められたらどうしよう、とに角早く降りたいという強迫神経症のなせる業だったらしい」といったエピソードを語り、「極めて人間的な先生でありましたナ」と評している[4]

中村の三回忌にあたる1986年、治子夫人のご好意により、蔵書中の冊子本および巻子本が早稲田大学図書館に寄贈され、中村俊定文庫が設立された[3]。江戸期の版本・写本を中心とする連歌・俳諧資料が中心。書籍の各冊に押された「中村俊定文庫」の印は、資料受取りの際に治子夫人より托されたもので、夫人が土方寿に依嘱して用意したものである[3]

著書[編集]

  • 『現代俳句』学燈社〈学燈文庫〉、1954年12月。 
  • 『蕪村以後』岩波書店〈岩波講座日本文学史 第8巻〉、1958年11月。 
  • 『随筆集 餅花』りゅうの会、1970年2月。 
  • 『俳諧史の諸問題』笠間書院、1970年9月。 
  • 『芭蕉の連句を読む』岩波書店〈岩波セミナーブックス 16〉、1985年8月。 

編纂など[編集]

記念論集[編集]

  • 『近世文学論叢』 中村俊定先生古稀記念 早稲田大学俳諧研究会編、桜楓社、1970

脚注[編集]

  1. ^ 『「現代物故者事典」総索引(昭和元年〜平成23年) II 学術・文芸・芸術篇』(日外アソシエーツ、2012年)p.794
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 大江令子「表紙解説 : 中村俊定(1900-1984) 「中村俊定文庫」旧蔵者」『ふみくら : 早稲田大学図書館報』第46巻、早稲田大学、1994年7月、13頁。 
  3. ^ a b c d e f g h i j 中村俊定文庫”. www.wul.waseda.ac.jp. 2019年12月3日閲覧。
  4. ^ 中野三敏『師恩 忘れ得ぬ江戸文芸研究者』岩波書店、2016年、114-122頁。 

参考文献[編集]

外部リンク[編集]