中村了昔

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中村 了昔(なかむら りょうせき)は、日本の僧侶である。

生涯[編集]

慶応元年11月17日 和歌山県海草郡西脇村字西庄に生まれる。幼名留野(とめの)

父 中村 幸衛門(こうえもん) 母、こぐす

明治12年、14歳の時弟が病気になる。 父は、二ノ宿(しゅく)山の十一面観音に日参し、病気平癒の祈願をする。 弟の病気は治るが、その病気が、父母と留野に伝染する。

留野は、弟の病気を治してもらった観音菩薩を思い出し、 「南無観世音菩薩! なにとぞ私の病も治してください。もし病気を癒してくだされば、この黒髪を切って差し上げます」 とお誓いし約束しました。 留野は回復するが、両親は死去。

明治12年11月、黒髪を根元から切る。 和歌山市にある慶蔵庵の土岐岡貞林尼の弟子になる。この時、貞林尼は「金剛寺(和歌山市粟)は、三代住職が若くして亡くなっているので、今は廃屋同然になっている。これをこのまま捨てておくことはできない。一人前の僧になったら、すぐ金剛寺の復興に当たらせることにしたい」と告げる。 明治13年3月6日津田了眠が剃髪式を行う。この後、年二回春と秋に7貫もある、観世音菩薩を背負って、 西国三十三所の札所を巡拝。その道中、明治20年、金田徳光が出会う。 その修行を、33回重ねる。(明治28年まで) 明治28年、和歌山市吉田の円満寺で、満願の供養が営まれる。このとき、金田徳光も出席。三日目に仏法の習わしで、 生きながらの葬式をしてもらい、一人前の僧となる。

了昔尼には、二人の弟子あり、了恵(りょうけい)尼と信定(しんじょう)尼である。

参考文献[編集]

  • 金田徳光先生伝