下野寺村

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下野寺村(しものでらむら)は、江戸時代から1889年(明治22年)3月31日まで福島県信夫郡に存在した村。明治22年4月1日、隣接する笹木野村上野寺村及び八島田村と合併し、野田村の大字となった。

村域は、福島市の下野寺、野田町の一部であったが、1989年(平成元年)の区画整理により、下野寺地区は一部を残し、東中央、西中央、南中央、北中央になった。

歴史[編集]

  • 古代より岩代国(現福島県)信夫郡内の「野寺村」であったがいつの頃からか上下に分村し、以来泉福寺のある下(東)の方を下野寺村と、大林寺のある上(西)の方を上野寺村と称すに至る。
  • 戦国時代、伊達晴宗より関帯刀に宛てた書状に、「下野寺鶴島在家一件安堵」旨の記載あり。
  • 万治元年、笹木野村が分村。
  • 幕領のまま明治を迎える。
  • 明治22年4月1日、合併により野田村となり消滅。
  • 昭和32年、野田村の一部(大字下野寺、大字八島田)が福島市に分村合併し、福島市野田町となる。

主な小字[編集]

  • 薬師堂
  • 猫内(現在一部が西中央)
  • 鶴島(現在南中央)
  • 鶴巻
  • 大田
  • 四斗蒔田(現在南中央)

出典[編集]

  • 信夫郡村誌
  • 信達二郡史