三ツ村繁蔵

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三ツ村 繁蔵(みつむら しげぞう、本名:三ツ村 繁、1909年明治42年)10月8日 - 2006年平成18年)6月16日)は、日本詩人

来歴[編集]

東京市芝区三田四国町(現東京都港区三田)出身。慶應義塾大学を中退する。

1939年昭和14年)から1943年(昭和18年)まで『歴程』の編集・発行者として活動した。この間に『歴程詩集』、高村光太郎の『歴程』改訂版(1940年(昭和15年)11月刊、第一回芸術院賞)などを編集した。この間、高村光太郎の命を受けて、高村や『歴程』主催者の草野心平が高く評価していた八木重吉の詩集刊行に助力した[1][2]

1973年(昭和48年)10月15日、“魔法の会”編集人・発行人となり、同人誌を発足した(詩人と作曲家の集まりである)。

実業では、ニッポン放送創立準備委員編成局次長取締役となり、その後子会社の(株)深夜放送(のちのフジサンケイエージェンシー)専務を務めた。

また、以下の文化関係の役職に就いていた。

著作[編集]

  • 「エミリオ・グレコ素描と日本の詩人達」
  • 「土門拳現代彫刻写真と日本の詩人達」編集

など

受賞[編集]

  • 第1回芸術院賞(高村光太郎詩集「道程改訂版」編纂による)
  • 現代詩人会(先達詩人の顕彰)

脚注[編集]

  1. ^ 吉野登美子『琴はしずかに 八木重吉の妻として』彌生書房、1976年、pp.177 - 181
  2. ^ 田中清光「解説」『八木重吉全集』第3巻、筑摩書房、1982年、p.479