一〇式繋留気球

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一〇式繋留気球(ひとまるしきけいりゅうききゅう)は、大日本帝国海軍繋留気球。製造は藤倉工業が行った[1][2]。同時期に海軍が用いた藤倉製の繋留気球には一号型繋留気球(いちごうがたけいりゅうききゅう)と呼ばれるものもあり[3]、本項では併せて解説する。

概要[編集]

主に戦艦巡洋艦潜水母艦などの大型艦艇に艦載される有人気球[4]、射撃観測や偵察・哨戒・捜索といった用途が想定されていた[5]

1921年大正10年)度に製造された第一号から第六号繋留気球までの6機を皮切りに調達が始まり[6][2]、これは1927年昭和2年)5月12日に「一〇式繋留気球」の名で兵器として採用された[2]。1921年以後も、1926年(大正15年)度までに「一号型」とされる繋留気球が五一号(製造番号八六号)まで製作されるなど増備は続けられ[3]連合艦隊横須賀海軍航空隊などに配備されて[7]教練発射などの訓練や[3]航路保安といった運用法の研究に用いられた[8]1931年(昭和6年)には「一時」という形で海軍の気球は廃止され、当時残っていた気球は軍需部に還納されている[9]。気球廃止に先駆けて廃兵器となった一〇式の中には、落下傘研究のための投下試験用として製造元の藤倉に払い下げられたものもあった[10]

一〇式と一号型の差異の有無など、諸元や図面といった海軍の繋留気球の仕様が判る史料はアジア歴史資料センターなどにも収蔵されておらず、詳細は不明である[11]。一号型の気嚢は舵嚢を有する形式のもので[3]水素ガスを充填して用いられる[8]

脚注[編集]

  1. ^ 『日本の軍用気球』 343,397 - 401頁。
  2. ^ a b c 『海軍制度沿革 巻九』 1006頁。
  3. ^ a b c d 『日本の軍用気球』 397 - 401頁。
  4. ^ 『日本の軍用気球』 391 - 393,397 - 401頁。
  5. ^ 『日本の軍用気球』391 - 393頁。
  6. ^ 『日本の軍用気球』 343頁。
  7. ^ 『日本の軍用気球』 391頁。
  8. ^ a b 『日本の軍用気球』 390頁。
  9. ^ 『日本の軍用気球』 403頁。
  10. ^ 官房第3811号 5.11.26 廃兵器貸与の件 藤倉工業株式会社」 アジア歴史資料センター Ref.C05021311000 
  11. ^ 『日本の軍用気球』 409頁。

参考文献[編集]

  • 佐山二郎『日本の軍用気球 知られざる異色の航空技術史』潮書房光人新社、2020年、343,390 - 393,397 - 401,403,409頁。ISBN 978-4-7698-3161-7 
  • 海軍制度沿革 巻九海軍大臣官房、1940年、1006頁。国立国会図書館書誌ID:000004203273https://dl.ndl.go.jp/pid/1886715/