ヴォルガスト

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紋章 地図
(郡の位置)
基本情報
連邦州: メクレンブルク=フォアポンメルン州
郡: フォアポンメルン=グライフスヴァルト郡
アムト: アム・ペーネシュトロム
緯度経度: 北緯52度03分 東経13度46分 / 北緯52.050度 東経13.767度 / 52.050; 13.767
標高: 海抜 5 m
面積: 61.52 km²
人口:

11,890人(2021年12月31日現在) [1]

人口密度: 193 人/km²
郵便番号: 17438
市外局番: 03836
ナンバープレート: VG
自治体コード: 13 0 75 144
行政庁舎の住所: Burgstraße 6
17438 Wolgast
首長: シュテファン・ヴァイクラー (Stefan Weigler)
郡内の位置

ヴォルガスト(Wolgast)はドイツ連邦共和国の都市。メクレンブルク=フォアポンメルン州のオストフォアポンメルン郡に属する。ペーネシュトロム川に面しており、跳開橋を通して、道路と鉄道で行き来できるウーゼドム島と向かい合っている。

歴史[編集]

聖ペトリ教会(2013年)

現代ヴォルガストの先駆けは、ヴェンド人の拠点、ホロガスト砦であった[2]1123年、ホロガストはポメラニア公ヴァルティスラフ1世に明け渡された[3]1128年、ヴェンド人はバンベルク司教オットーに洗礼を施され、オットーは現地の神殿を破壊して、そこに聖ペトリ教会を建てた。まもなく、ドイツの入植者が発展しつつある町に移り住んだ。1282年、ヴァルティスラフ3世により、リューベック法を与えられた[4]

宮殿(1652年

ヴォルガストは、グライフェン家の支配が終わる1637年まで、1285年からポメラニア公の居住地であり[5]、公国の長年の分裂における、ポメラニア=ヴォルガスト公国の首都であった。居住用の宮殿は、ある島にルネサンス様式で建てられた。それゆえその島は、宮殿島と呼ばれている[6]。フィリップ・ユリウス公が跡継ぎを残さず死んだとき、ポメラニア=ヴォルガスト公爵の系譜は途絶えた[7]

三十年戦争の間に、スウェーデン王国はヴォルガストを占領し、1815年までスウェーデン領ポメラニアの一部として保持した。大北方戦争のおり、アルトナでのスウェーデンの放火に対する報復として、1713年ロシア・ツァーリ国軍によって町は焼き払われた[5]。1つの教会と4つの礼拝堂、もう4つの建築物だけは火災を免れた[5]。したがって、旧市街の建物は18〜19世紀のものであり[6]、町役場は火災の後、バロック様式で再建された[5]

1815年のポメラニアからのスウェーデンの撤退後、町はプロイセン王国のポンメルン州に組み入れられた。宮殿の最後の残骸は、1849年に運び出された[6]。ヴォルガストは、穀物取引のための港として19世紀を通じて繁栄した[5]

1994年6月12日、ヴォルガストは郡役所所在地としての地位を失い、ヴォルガスト郡はオストフォアポンメルン郡と合併した。2011年には、フォアポンメルン=グライフスヴァルト郡の一部となった。

出身者[編集]

引用[編集]

参考文献[編集]

  • Schmidt, Roderich (2009). Das historische Pommern. Cologne 
  • Dubilski, Petra (2003) (German). Die Ostseeküste : Mecklenburg-Vorpommern (2 ed.). DuMont. ISBN 3-7701-5926-8 
  • Wolgast, Eike (1995) (German). Hochstift und Reformation: Studien zur Geschichte der Reichskirche zwischen 1517 und 1648. F. Steiner. ISBN 3-515-06526-1 
  • Berger, Christine (2008) (German). Mecklenburg-Vorpommern (7 ed.). Baedeker. ISBN 978-3-8297-1062-6 
Rathaus Wolgast(旧市庁舎)