ヴェーラ・チャプリナ

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ヴェーラ・チャプリナ
Вера Васильевна Чаплина
ライオンのキヌーリと写るチャプリナ
誕生 (1908-04-24) 1908年4月24日
ロシア帝国の旗 ロシア帝国 モスクワ
死没 (1994-12-19) 1994年12月19日(86歳没)
ロシアの旗 ロシア モスクワ
墓地 ヴァガニコヴォ墓地
職業 児童文学作家
動物文学作家
動物園職員
言語 ロシア語
国籍 ロシアの旗 ロシア
ジャンル 児童文学
動物文学
主な受賞歴 労働優秀記章
1941年-1945年大祖国戦争勇敢労働記章
退役軍人労働記章
モスクワ800周年記念記章
デビュー作 "Трильби"
配偶者 アレクサンダー・ミハイロフ
署名
ウィキポータル 文学
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ヴェーラ・ヴァシリエヴナ・チャプリナ: Вера Васильевна Чаплина: Vera Vasilievna Chaplina1908年4月24日 - 1994年12月19日)は、ソビエト連邦およびロシア児童文学作家、動物文学作家、動物園職員[1][2][3][4]:78。「チャプリナ」は「チャプリーナ」とも表記される[5]。30年以上の間、モスクワ動物園に尽力した[4]:80[6][7]。およそ1年半の間、仔ライオンを自宅アパートで飼育したことでも知られる[2]。著書の総発行部数は、2019年時点で2000万部を超えている[8]1941年-1945年大祖国戦争勇敢労働記章ロシア語版英語版などを受章した[9]

生涯[編集]

生い立ち[編集]

モスクワボリシャヤ・ドミトロフカ通り16番にある、母方の祖父、ウラジーミル・チャップリンの家に生まれる[4]:78[10][11]チャップリン家ロシア語版は代々貴族の家系である[1][10]。ウラジーミルは暖房および換気を専門とする技術者であり、建築家のコンスタンチン・メーリニコフを教育した人物でもある[10][4]:78。父親のヴァシーリー・ミハイロヴィッチ・クティリン (Василий Михайлович Кутырин) は、モスクワ大学法学部出身の弁護士であった[12][13][4]:78。母親のリディア・ヴラジーミロヴナ・チャプリナ (Лидия Владимировна Чаплина) は、モスクワ音楽院をピアノ専攻で卒業した[10][4]:78

ヴェーラは3人きょうだいの真ん中に生まれ、1歳年上の兄の名はヴァーシャ (Вася) であり、1歳年下の妹の名はヴァーリャ (Валя) である[13]。チャプリナは幼少期から家でペットを飼っており、動物に対する愛情が強かった。これは父方の祖父、ミハイル・ドミトリエビッチ・クティリン (Михаил Дмитриевич Кутырин) の影響を受けているものとされる[10]。ミハイルは犬を溺愛しており、帝国ロシア動植物環境適応協会ロシア語版の会員でもあった[10]

1917年の十月革命の後に発生したロシア内戦による混乱の中で、当時10歳であったチャプリナは迷子になったが、警察に保護されてタシュケントの孤児院に送られた[14][15][1][4]:78。孤児院では、ひよこや仔猫、仔犬を飼うことができた[16]:51。チャプリナは「この悲劇を乗り越えるのに、ペットに対する愛情が役に立った」との旨を後に語っている[4]:78。1923年、15歳のとき、母親に探し出されて一緒にモスクワに戻り、まもなく動物園に通い始める[15][6][4]:78

モスクワ動物園へ[編集]

オオカミのアルゴとともに

1924年にモスクワ動物園の若い動物学者のサークル "Кружок юных биологов зоопарка"(ロシア語)が設立され、チャプリナは同サークルを主宰するピョートル・マンテイフェルロシア語版英語版に誘われて加入する[10][15][4]:78[16]:52と、他のメンバーとともに、動物園のスタッフが飼育動物に餌を与えたり、檻の中を掃除したり、動物の行動を観察して日誌に記録したりする作業を手伝った[10]。チャプリナの最初の短編物語に、この日誌の内容が反映されていることが後に明らかになっている[10]

1926年から1927年にかけて、チャプリナはオオカミのアルゴロシア語版とともにいくつかの映画の撮影に参加し、アルゴは役を与えられチャプリナはトレーナー役で出演した[17][10]。1927年の冬に、学生のアレクサンダー・ミハイロフ (Александр Михайлов) と出会い、1928年の春に2人は結婚している。翌1929年に息子のトーリャ (Толя) が誕生し[13][14]、その次の年(1930年)に動物園の係員になる[13]。25歳を迎えた1933年、就職して3年目のチャプリナはモスクワ動物園の革新者になり、幼い動物の遊び場 "Площадка молодняка Московского зоопарка" を設けるよう提案し、実現すると自ら最初のリーダーとなる[18][19]


作家デビュー[編集]

1933年6月、チャプリナの最初の短編物語 "Трильби" (Tryl'by) が『ヤング・ナチュラリストロシア語版』誌に掲載される[20][10][19]。このすぐ後に、国立の児童文学出版所Детгиз(現・ジェーツカヤ・リテラトゥーラロシア語版英語版)は、幼い動物の遊び場に関する書籍を出版する契約をチャプリナと結ぶ[6][16]:52。1935年、同出版所から短編物語集 "Малыши с зелёной площадки" (Malyshi z zeronoy ploshchadki) が出版される[16]:52

1935年から1936年にかけて、ライオンのキヌーリロシア語版を自宅アパートで育てる[2]。この出来事は、新聞やニュースでさかんに報道され、1935年の秋には国内だけでなく外国にも広く知れ渡ることとなった。様々な国から多くの便りが届くようになり、チャプリナの住所を詳しく知らない人でも、宛て先として単に「モスクワ動物園、キヌーリ・チャプリナ」あるいは「モスクワ、ボリシャヤ・ドミトロフカ、チャプリナさんちのキヌーリ」と書くだけで彼女のもとに届いた[4]:79[16]:52。1935年12月、アメリカ合衆国の新聞『クリスチャン・サイエンス・モニター』がチャプリナとキヌーリについて大きく取り上げる[4]:79

1937年、物語集 "Мои воспитанники" (Moi vospitanniki) が発表される。物語『キヌーリロシア語版』も収録したこの物語集は好評を博し、後に外国でも出版されている[10]。1937年、チャプリナはモスクワ動物園の捕食動物部門の責任者となる[16]:52。1938年6月、イギリスの『マンチェスター・ガーディアン』紙(現・ガーディアン紙)がチャプリナと動物たちについての記事を掲載する[21]。1939年、物語集 "My animal friends" がイギリス・ロンドンジョージ・ラウトレッジ・アンド・サンズ社から出版される[4]:79

戦争と戦後[編集]

大祖国戦争が始まると、避難のために一部の動物とともにウラル動物園に疎開する[14][7]。1941年5月、モスクワ動物園の特別な労働者として表彰され[9][4]:80、1942年にウラル動物園の副園長となる[16]:53。疎開先からモスクワに戻った1943年の春、モスクワ動物園の生産事業の長となる[12][16]:53。1944年3月、Нагрудный знак «Отличник городского хозяйства Москвы» (Nagrudnyy znak "Otlichnik gorodskogo khozyaystva Moskvy"(ロシア語)) を受章する[4]:80。1940年代後半からは、児童文学作家のゲオルギー・スクレビツキーロシア語版との共著も発表するようになる[4]:80

モスクワ動物園を辞した1946年より、執筆活動に専念する[14][4]:80[7]。1947年、『しろくまのこフォムカ』("Фомка-белый медвежонок”) や改訂版『キヌーリ』などを収録した短編物語集 "Четвероногие друзья" (Chetveronogiye druz'ya) が出版される。この作品は好評を博し、発売から数年後にはベルリンワルシャワブラチスラヴァプラハでも刊行されている[4]:80。スクレビツキーとベラルーシの西部へ旅行した後、1949年にエッセイ "В Беловежской пуще" (V Belovezhskoy pushche) が出版される[4]:80。1950年、レフ・カッシーリロシア語版英語版およびサムイル・マルシャークから強く推薦されてソビエト連邦作家同盟に加入する[4]:80[21][7]

チャプリナの著作は1950年代から1960年代にかけて、東ヨーロッパなど社会主義国の他に、アメリカ合衆国や日本、フランスやポルトガルなどに紹介された[12][4]:81。1960年代から1970年代に英語の他、スペイン語ドイツ語ヒンディー語ウルドゥー語ベンガル語韓国語など多くの言語に翻訳されて出版された[21]。1994年に死去する。墓所は、モスクワのヴァガニコヴォ墓地である[4]:78[12]

キヌーリ[編集]

キヌーリ、ペリとともに

1935年4月にモスクワ動物園でメスのライオンが生まれたが、母親が授乳などの育児をしようとせず、仔ライオンの健康状態が良くなかったため、チャプリナは、ボリシャヤ・ドミトロフカ通りの自宅アパートに連れて帰り養育することにした。ライオンは「取り残された子」という意味をもつキヌーリと名付けられた。チャプリナは哺乳瓶を使ってミルクを与え、飼い犬のシェットランド・シープドッグのペリ (Пери) は、キヌーリの身体を温めたり優しく舐めたりした。キヌーリは1年半ほどアパートで過ごした後、動物園に戻された[10][22][15][2]

受賞・栄誉[編集]

著作[編集]

  • Малыши с зеленой площадки、1935年
  • キヌーリロシア語版、1936年
  • Мои воспитанники、1937年
  • My animal friends、1939年
  • Четвероногие друзья、1947年
  • В Беловежской пуще、1949年、ゲオルギー・スクレビツキーロシア語版との共著
  • Орлик、1954年
  • Питомцы зоопарка、1955年
  • Друг чабана、1961年
  • Несносный питомец、1963年
  • Крылатый будильник、1966年
  • Случайные встречи、1976年

絵および写真[編集]

次のような動物画家やイラストレーターが、チャプリナの著作に絵を描いた[4]:80

次のような写真家が、チャプリナの著作に添える写真を撮影した[4]:80

脚注[編集]

  1. ^ a b c Берестова 2021, p. 309.
  2. ^ a b c d アレクセイ・ティモフェイチェフ (2019年2月26日). “ゴリラに魅せられた女性とモスクワ動物園で起きたその他の4つの不思議な話”. ロシア・ビヨンド. https://jp.rbth.com/history/81662-mosukuwa-doubutsuen-de-okita-fushigi-na-hanashi 2021年9月18日閲覧。 
  3. ^ ИСТОРИЯ”. モスクワ動物園. 2021年6月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月18日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac И.А. Гетажаева (2017年). “ТЕРРИТОРИЯ ЧТЕНИЯ Выпуск 11. - К ГОДУ ЭКОЛОГИИ”. ГБУК РО «РОСТОВСКАЯ ОБЛАСТНАЯ СПЕЦИАЛЬНАЯ БИБЛИОТЕКА ДЛЯ СЛЕПЫХ». 2021年9月18日閲覧。
  5. ^ Chaplina, Vera”. 国立情報学研究所. 2021年9月18日閲覧。
  6. ^ a b c Берестова 2021, p. 310.
  7. ^ a b c d Рассказы о животных”. Зоологический музей МГУ. 2021年9月18日閲覧。
  8. ^ В библиотеке №138 обсудили творчество Веры Чаплиной”. モスクワ市 (2019年9月24日). 2021年9月18日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g ЧАПЛИНА ВЕРА ВАСИЛЬЕВНА”. MEGA-STARS.RU. 2021年9月18日閲覧。
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m Вера Васильевна Чаплина (1908-1994)”. Ростовская областная детская библиотека имени В.М.Величкиной. 2021年9月18日閲覧。
  11. ^ Хомутский Юрий (2019年8月18日). “Чаплин Владимир Михайлович (1861–1931)”. МИР КЛИМАТА/ХОЛОДА. 2021年9月18日閲覧。
  12. ^ a b c d Авторы”. Издательство "Мелик-Пашаев". 2021年9月18日閲覧。
  13. ^ a b c d Тавьев Максим (2008年11月6日). “Зоопарк Веры Чаплиной”. Литературная газета. https://lgz.ru/article/N24--6176--2008-06-11-/Zoopark-Vеrы-Chaplinoy4714/ 2021年9月18日閲覧。 
  14. ^ a b c d “Мама всех зверей - Писательница в Московском зоопарке”. コメルサント. (2008年4月27日). https://www.kommersant.ru/doc/2300688 2021年9月18日閲覧。 
  15. ^ a b c d Лилит Мазикина (2021年4月6日). “Мама львицы из коммуналки: почему Веру Чаплину знал каждый советский пионер”. Журнал «Домашний очаг». 2021年9月18日閲覧。
  16. ^ a b c d e f g h Н. Н. Кульчицкая, et al. (2016年). “ТВОРЧЕСТВО ЖИЗНИ”. Орловская областная детская библиотека им. М. М. Пришвина. 2021年9月18日閲覧。
  17. ^ В рамках онлайн-проекта «Марафон литературных и памятных дат» предлагаем Вам познакомиться с авторами, которые родились 24 апреля.”. МБУК "Централизованная система библиотек г. Курска". 2021年9月18日閲覧。
  18. ^ Всемирный день мира”. Библиотека им. Н.А Некрасова. 2021年9月18日閲覧。
  19. ^ a b 112 лет со дня рождения Веры Васильевны Чаплиной”. Муниципальное бюджетное учреждение культуры Ангарского городского округа «Централизованная библиотечная система». 2021年9月18日閲覧。
  20. ^ "Дары Марины Юрьевны Агафоновой к 110-летию В.В.Чаплиной"”. Омские муниципальные библиотеки. 2021年9月18日閲覧。
  21. ^ a b c Королева Московского зоопарка”. Издательство АСТ (2019年4月23日). 2021年9月18日閲覧。
  22. ^ «Ни один из них не был похож на Раджи». Истории известных тигров Московского зоопарка”. モスクワ市 (2021年7月29日). 2021年9月18日閲覧。

参考文献[編集]

  • Елена Берестова, et al. (2021). Полный справочник школьника. 1-4 классы. ISBN 978-5-45783722-5. https://books.google.com/books?id=8VCgAAQBAJ 

外部リンク[編集]