ヴィルヌーヴ=ラ=ガレンヌ

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Villeneuve-la-Garenne
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) イル=ド=フランス地域圏
(département) オー=ド=セーヌ県
(arrondissement) ナンテール郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 92078
郵便番号 92390
市長任期 アラン・ベルナール・ブーランジェ
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) メトロポール・デュ・グラン・パリ
人口動態
人口 24,711人
2008年
人口密度 7,722人/km2
住民の呼称 Villéno-Garennois
地理
座標 北緯48度56分14秒 東経2度19分40秒 / 北緯48.9372222222度 東経2.32777777778度 / 48.9372222222; 2.32777777778座標: 北緯48度56分14秒 東経2度19分40秒 / 北緯48.9372222222度 東経2.32777777778度 / 48.9372222222; 2.32777777778
標高 平均:? m
最低:22 m
最高:31m
面積 3.2km2
Villeneuve-la-Garenneの位置(フランス内)
Villeneuve-la-Garenne
Villeneuve-la-Garenne
公式サイト www.villeneuve92.com
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ヴィルヌーヴ=ラ=ガレンヌVilleneuve-la-Garenne)は、フランスイル=ド=フランス地域圏オー=ド=セーヌ県コミューン

地理[編集]

ヴィルヌーヴ=ラ=ガレンヌの位置

ヴィルヌーヴ=ラ=ガレンヌは県最北東部に位置し、セーヌ川左岸と接する。川の対岸はセーヌ=サン=ドニ県リル=サン=ドニである。

歴史[編集]

ヴィルヌーヴ=ラ=ガレンヌの橋』、アルフレッド・シスレー

もともとはラ・ガレンヌと呼ばれる漁村で、セーヌ川沿いに1kmほど沿っていた。川を挟み対岸のリル=サン=ドニと橋で結ばれていた。1844年からジュヌヴィリエに含まれていたこの地域の発展は急速で、2本の吊り橋が架けられた。そのうち1つは町の中心部、ジュヌヴィリエ通り(現在のヴェルダン通り)から伸びており、マルク・セガンが設計したものだった。パリサン=ドニ北部鉄道でつながった頃から、ヴィルヌーヴの町が形成され始めた。しかし住民は入市税納入所(Octori)として橋を渡った。この吊り橋は20世紀初頭まで残り、アルフレッド・シスレーの作品の題材ともなった。普仏戦争の際にはヴィルヌーヴに駐屯地が置かれたが、この小さな砦が完成することはなかった。

1903年、幅の広い新しい橋が架けられた。この近代化が集落の発展に貢献した。

ボート遊び、ギャンゲット、カフェ、レストラン、バーができ、1920年にはおよそ30を数えた。集落の住宅は主として波止場に沿って集中していた。ジュヌヴィリエ通りには素晴らしい家が立ち並んだ。1910年のセーヌ川洪水では被害を受けた。

第一次世界大戦後、川沿いの集落は自治権を求めた。ジュヌヴィリエの中心から遠く不便であったからである。

交通[編集]

A86A15が近い。セーヌ川がコミューンの東側境となっている。鉄道の最寄り駅はRER C線のジュヌヴィリエ駅、RER D線のサン=ドニ駅である。地下鉄の最寄り駅パリメトロ13号線アニエール=ジュヌヴィリエ=レ・クルティーユ駅にはトラムが延長される。

姉妹都市[編集]

出身者[編集]