リチャード・ミル (第6代準男爵)

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第6代準男爵サー・リチャード・ミル英語: Sir Richard Mill, 6th Baronet1717年1770年3月17日)は、グレートブリテン王国の政治家、準男爵

生涯[編集]

第5代準男爵サー・リチャード・ミルとマーガレット・ノウルズ(Margaret Knollys、1688年頃 – 1744年10月11日、ロバート・ノウルズの娘)の息子として、1717年に生まれた[1]。1735年2月17日にオックスフォード大学ニュー・カレッジに入学、1738年7月12日にM.A.の学位を修得した[2]

1760年5月16日に父が死去すると、準男爵位を継承した[1]

1765年2月、ハンプシャー統監を兼任していた大法官初代ノーティントン伯爵ロバート・ヘンリーの推薦を受けて、ハンプシャー選挙区英語版の補欠選挙で庶民院議員に当選した[3]。この選挙をめぐり、ノーティントン伯爵はジョージ・グレンヴィルへの手紙でミルを称賛して、グレンヴィルもそれに応じてミルを支持したが、議席を狙っていたハンス・スタンリー英語版ハンス・スローン英語版への手紙でノーティントン伯爵がミルを低く評価していると述べたという[3]。議会では投票と演説の記録がなく、同時代の議員リストでも所属党派については「疑わしい」(doubtful)とされることが多かった[3]1768年イギリス総選挙で出馬せず、議席をノーティントン伯爵の息子ヘンリー卿に譲ったことから、ノーティントン伯爵がミルを推薦した理由は息子が成年するまでの暫定とされる[3]

1770年3月17日に死去、モッティスフォント英語版で埋葬された[1]。弟ジョン・ホビーが準男爵位を継承した[1]

家族[編集]

1760年8月、ドロシー・ウォレン(Dorothy Warren、1811年6月没、リチャード・ウォレンの娘)と結婚[1]、2女をもうけた[3]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e Cokayne, George Edward, ed. (1900). The Complete Baronetage (1611–1625). Vol. 1. Exeter: William Pollard & Co. p. 133.
  2. ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (英語). Vol. 3. Oxford: University of Oxford. p. 955.
  3. ^ a b c d e Namier, Sir Lewis (1964). "MILL, Sir Richard, 6th Bt. (c.1717-70), of Montisford, Hants.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年6月8日閲覧
グレートブリテン議会英語版
先代
ヘンリー・ビルソン=レッグ
サー・シメオン・ステュアート準男爵英語版
庶民院議員(ハンプシャー選挙区英語版選出)
1765年 – 1768年
同職:サー・シメオン・ステュアート準男爵英語版
次代
ヘンリー卿
サー・シメオン・ステュアート準男爵英語版
イングランドの準男爵
先代
リチャード・ミル
(カモイス・コートの)準男爵
1760年 – 1770年
次代
ジョン・ホビー・ミル=ホビー