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ララ・ムスタファ・パシャ(Lala Kara Mustafa Paşa, 1500年 - 1580年)は、オスマン帝国の軍人。ムラト3世の時代には、ごく短い間ながら大宰相(首相)も務めた。
1500年、ボスニア出身。
1565年のマルタ大包囲戦に指揮官の一人として参加。
1571年には総大将としてキプロスを攻略した。
1578年、ララ・ムスタファ・パシャのコーカサス戦争(英語版)
1580年4月、大宰相に任じられたが、同年8月に没した。
なお、“ララ”とは家庭教師の意であり、実際スルタンの息子の家庭教師も務めていた。ララ・ムスタファは敵に対する苛烈さで知られ、キプロス陥落の際にはヴェネツィア側の守将だったマルコ・アントニオ・ブラガディンの生皮を剥いで惨殺、死体を晒しものにしたという。
北キプロスのガズィマウサに、彼の名前にちなんだラーラ・ムスタファ・パシャ・モスクがある。