ミス・ワールド1956

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ミス・ワールド1956
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ミス・ワールド1956プログラムブックより
開催日 1955年10月15日 (1955-10-15)
司会者 エリック・モーリー(Eric Morley
会場 ロンドンのリセウム・ボールルーム
参加 24
入賞 6
初参加 日本、モロッコ、ニュージーランド、南アフリカ連邦
優勝者 ペトラ・シュルマン
西ドイツ
次回 ミス・ワールド1957

ミス・ワールド1956(第6回ミス・ワールド決勝)は、1956年10月15日、ロンドンのLyceum Ballroom(現・リセウム・シアター)で開催された。24人の出場者のなかから西ドイツのペトラ・シュルマンが優勝。ミス・ワールド1955スーザナ・デュイムによって戴冠される。日本からは戸倉緑子が出場[1]し、第4位に入賞している(2021年現在、日本代表として最高順位)[2]

エピソード[編集]

勝者の発表に際して運営サイドの不手際があった。

6人のファイナリストが並んで紹介されたとき、米国代表のベティー・レーン・チェリーがサッシュを着けているのを見たBBCのアナウンサーは言った:「おや、優勝はミスUSAのようです。サッシュを着けています」 すると担当者は慌ててサッシュをひったくる。アナウンサー:「失礼しました。何かあったようです」結局、サッシュとミス・ワールドの称号はペトラ・シュルマンに渡された[3]。チェリー本人の証言によると、「誰かが後ろに来てサッシュをはがした。審査員らは、私が勝ったつもりでいるのが気に入らなかった」また、「不思議なことに、誰が私の肩にサッシュを掛けたのか審査員らも知らなかった」。なお、ミス・ユニバース2015で誤って優勝と宣言されたアリアドナ・グティエレスと異なり、彼女の場合は正式に優勝とは誰も言ってない[4]

結果[編集]

参加国と入賞国
最終結果 出場者
ミス・ワールド1956
1st Runner-up
  • アメリカ合衆国の旗 アメリカ – ベティー・レーン・チェリー Betty Lane Cherry
2nd Runner-up
3rd Runner-up
4th Runner-up
5th Runner-up

出場者[編集]

初参加[編集]

再参加[編集]

(前回参加はミス・ワールド1954

撤退[編集]

出典[編集]

  1. ^ 「日本大会の足跡」『週刊サンケイ』第8巻第19号、扶桑社、1959年、70頁、doi:10.11501/1809528 
  2. ^ 「思い出の記・戸倉緑子」『週刊サンケイ』第8巻第19号、扶桑社、1959年、33頁、doi:10.11501/1809528 
  3. ^ Eddy Gilmore (1956年10月16日). “Miss Germany Wins World Beauty Title”. San Mateo Times (San Mateo CA USA) 
  4. ^ Dale Linder-Altman (2015年12月21日). “Orangeburg queen also incorrectly labeled winner”. 2021年5月25日閲覧。
  5. ^ a b Miss World Competition Through the Years”. eonline.com (2014年12月12日). 2020年6月25日閲覧。
  6. ^ 「ミス・ワールド第六回(1957年度)戸倉緑子」『中部日本新聞』、1959年6月8日、夕刊。

外部リンク[編集]