マリオ・チェルヴィ

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マリオ・チェルヴィ

Mario Cervi
生誕 (1921-03-25) 1921年3月25日
イタリアロンバルディア州クレーマ
死没 2015年11月17日(2015-11-17)(94歳)
イタリアミラノ
職業 随筆家、ジャーナリスト
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マリオ・チェルヴィ(イタリア語:Mario Cervi、1921年3月25日 - 2015年11月17日)は、イタリア随筆家ジャーナリスト

生涯[編集]

ロンバルディア州クレーマに生まれ、1945年に新聞「コリエーレ・デラ・セラ」の外国人記者として協力し、ジャーナリストとしてのキャリアをスタートさせた。[1]1965年第二次世界大戦中のギリシャでの歩兵将校としての経験をもとにした『Storia della guerra di Grecia(ギリシャ戦争史)』で随筆家としてデビューした。[2]約30年の協力関係を経て、1974年にコリエレ・デラ・セラ紙を離れ、インドロ・モンタネッリと共同で「イル・ジョルナーレ」を創刊し、コラムニスト、副編集長を務めた。[1][2]

モンタネッリと共に、「Storia d'Italia」の13巻と歴史エッセイ「Milano ventesimo secolo」を共同執筆した。[1]1994年、モンタネッリの後を継いで、短命に終わった新聞「ラ・ヴォーチェ」を創刊した後、セルヴィは新聞「ラ・ナツィオーネ」に協力し、1997年にはヴィットリオ・フェルトリの後を継いで「イル・ジョルナーレ」の編集長に就任した。[1]2001年に新聞社を退社したが、コラムニストとしての活動は続けている。[1]エッセイストとしての活動も続けており、2007年にニコラ・ポーロと共同で執筆した『Sprecopoli』が最後の作品となった。[2]

代表作[編集]

脚注[編集]

関連リンク[編集]

メディア


先代
ヴィットリオ・フェルトリ
イル・ジョルナーレ編集長
1997年–2001年
次代
マウリツィオ・ベルピエトロ