ボン・ヘイズ

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ボン・ヘイズ
Von Hayes
2003年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州サンホアキン郡ストックトン
生年月日 (1958-08-31) 1958年8月31日(65歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 1979年 MLBドラフト7巡目
初出場 1981年4月14日
最終出場 1992年8月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国

ボン・フランシス・ヘイズVon Francis Hayes, 1958年8月31日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンホアキン郡ストックトン出身の元プロ野球選手、監督。右投左打。

経歴[編集]

セントメリーズ大学カリフォルニア校英語版在学時の1979年に第8回日米大学野球選手権に出場している。日本が開幕3連勝で王手をかけた第4戦、ヘイズが延長11回裏にサヨナラ本塁打で連敗を食い止めた。その後、アメリカは波に乗って逆転で4連勝し、ヘイズは同選手権のMVPに輝いた[1]。前後するが、この年の6月のMLBドラフト7巡目(全体163位)でクリーブランド・インディアンスから指名され、プロ入り。

1981年4月14日テキサス・レンジャーズ戦でメジャーデビュー。

1982年にレギュラーに定着し、150試合に出場して打率.250ながら14本塁打、82打点、32盗塁を記録した。そのオフにフリオ・フランコジョージ・ブコビッチジェイ・バラーら5選手とのトレードで、フィラデルフィア・フィリーズへ移籍した。

1984年には打率.292、16本塁打、そして自己最多の48盗塁を記録。

1986年には6月11日ニューヨーク・メッツ戦で初回先頭打者本塁打を打ち、さらにこの回、満塁で回ってきた2度目の打席でも本塁打を打つ。1イニング2本塁打は多数記録されているが、それが初回だったのはメジャー史上初となった。打率.305、19本塁打、98打点を記録し、その年本塁打・打点の二冠王を獲得してMVPを獲得したマイク・シュミットの前を打つ三番打者として大活躍。打率と打点は自己最多で、得点107、二塁打46、長打67はいずれもナ・リーグ1位であった。同年秋にはウェイド・ボッグスの出場辞退(夫人の出産に立ち会うため)によって、日米野球のメジャーリーグオールスターに追加選出され、来日。打席のバッテリー間方向いっぱいに足を広げるかのような独特のスタンスから、最多タイの4本塁打を放ち、日本のファンにも印象付けた。

1989年4月には月間MVPを獲得し、その年キャリア唯一のオールスター出場を果たす。その年のシーズン途中にメッツがレニー・ダイクストラの交換相手として興味を持っているとも報じられたが、結果的にメッツがフィリーズから獲得したのはフアン・サミュエルであった。

1992年ルーベン・アマロ・ジュニアカイル・アボットとのトレードで、カリフォルニア・エンゼルスに移籍し、その年限りで現役引退。引退後はマイナーリーグでコーチを務め、のち監督も務める。

2004年2005年には2年連続で所属するリーグの最優秀監督に選ばれた。

2009年独立リーグランカスター・バーンストーマーズ、その後も独立リーグやメキシカンリーグプエブラ・パロッツで監督を務めた。

人物[編集]

自身が打席に入る時の曲に、ジミ・ヘンドリックスの「パープル・ヘイズ(Purple Haze)」を使っていた。理由は「Haze」の発音もスペルも自身のファミリーネームに近いからである。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1981 CLE 43 131 109 21 28 8 2 1 43 17 8 1 4 2 14 1 2 10 2 .257 .346 .394 .740
1982 150 583 527 65 132 25 3 14 205 82 32 13 8 2 42 3 4 63 10 .250 .310 .389 .699
1983 PHI 124 392 351 45 93 9 5 6 130 32 20 12 0 2 36 7 3 55 11 .265 .337 .370 .707
1984 152 622 561 85 164 27 6 16 251 67 48 13 0 2 59 4 0 84 10 .292 .359 .447 .806
1985 152 637 570 76 150 30 4 13 227 70 21 8 2 4 61 6 0 99 6 .263 .332 .398 .730
1986 158 690 610 107 186 46 2 19 293 98 24 12 1 4 74 9 1 77 14 .305 .379 .480 .859
1987 158 681 556 84 154 36 5 21 263 84 16 7 0 4 121 12 0 77 12 .277 .404 .473 .877
1988 104 423 367 43 100 28 2 6 150 45 20 9 1 5 49 5 1 59 3 .272 .355 .409 .764
1989 154 652 540 93 140 27 2 26 249 78 28 7 0 7 101 14 4 103 7 .259 .376 .461 .837
1990 129 568 467 70 122 14 3 17 193 73 16 7 0 10 87 16 4 81 10 .261 .375 .413 .788
1991 77 323 284 43 64 15 1 0 81 21 9 2 0 5 31 1 3 42 6 .225 .303 .285 .588
1992 CAL 94 350 307 35 69 17 1 4 100 29 11 6 3 3 37 4 0 54 9 .225 .305 .326 .631
MLB:12年 1495 6052 5249 767 1402 282 36 143 2185 696 253 97 19 50 712 82 22 804 100 .267 .354 .416 .770
  • 太字はリーグ最高

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 8(1981年 - 1982年)
  • 9(1983年 - 1992年)

代表歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 第8回 日米大学野球選手権(2018年9月28日閲覧)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]