ボシレグラード

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ボシレグラード
Босилеград
Bosilegrad

Босилеград
ブルガリアの英雄、ヴァシル・レフスキの像の除幕式。ブルガリアの国旗が掲げられている
ブルガリアの英雄、ヴァシル・レフスキの像の除幕式。ブルガリアの国旗が掲げられている
ボシレグラードの市旗 ボシレグラードの市章
位置
セルビアにおけるボシレグラードの位置の位置図
セルビアにおけるボシレグラードの位置
座標 : 北緯42度30分 東経22度28分 / 北緯42.500度 東経22.467度 / 42.500; 22.467
行政
セルビアの旗 セルビア
  プチニャ郡
  ボシレグラード
市長 ヴラディミル・ザハリイェヴ(Vladimir Zaharijev)
DSS
地理
面積  
   571 km2 (220.5 mi2)
人口
人口 (2002年現在)
   9,931人
  市街地 2,702人
その他
等時帯 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
夏時間 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
郵便番号 17540
市外局番 +381 17
ナンバープレート VR

ボシレグラードまたはボシレグラトセルビア語: Босилеград / Bosilegradブルガリア語: Босилеград)は、セルビアプチニャ郡の町、およびそれを中心とした基礎自治体である。自治体の面積は571平方キロメートルである。

住民[編集]

1991年国勢調査[編集]

1991年の国勢調査によると、ボシレグラード自治体の人口は11,644であり、民族別ではブルガリア人が多数派を形成していた。

2002年国勢調査[編集]

2002年の国勢調査では、ボシレグラード自治体の人口は9,931人であり、その民族別内訳は以下の通りである:

歴史[編集]

ヌイイ条約によって、ブルガリア王国からセルビア王国国境地帯の一部の領土が割譲されたときに、ボシレグラードもブルガリア領からセルビア領となった。第一次世界大戦ではブルガリアが中央同盟国の一員として侵攻したものの、連合国に敗北した。セルビア王国はユーゴスラビア王国へと改組され、1920年から1941年までの間、ユーゴスラビア当局によってボシレグラードの住民はセルビア人とされ、ブルガリア語での教育や教会での儀礼を受ける権利を否定されてきた。ブルガリア人は内部西方失地革命組織を組織し、ユーゴスラビア当局への抵抗を続けた。その後もボシレグラードを含むセルビア南部地域は低開発の状態が続いており、セルビアの中でも産業に乏しく失業率も高い地域となっている[1]

第二次世界大戦の後、ブルガリア人の民族的権利が認められるようになった。

ボシレグラード自治体に含まれる地区

関連項目[編集]

参考文献[編集]