ビー・パーマー

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Bee Palmer

ベアトリス・C・"ビー"・パーマー(Beatrice C. "Bee" Palmer、1894年9月11日1967年12月22日)は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ生まれの歌手ダンサー。ブロンドの髪、青い瞳で白人女性として理想的な風貌を持っていたとされる[1]

パーマーは、まず、1910年代後半の「シミー」ダンスの最初の代表的ダンサーのひとりとして注目を集めた。「シミー」に関して彼女は、メイ・ウエストのライバルとされ、またそれ以上の興行上の成功を収めていた[1]。彼女は、「シミー」の創始者として言及されることもあるが、当時から自分が創始者だと主張する者は他にも何人もいた。

1918年には、『ジーグフェルド・フォリーズ (Ziegfeld Follies)』に初出演し、「I Want to Learn to Jazz Dance」を披露している[2]

彼女は、エメット・ハーディー英語版レオン・ロポロ英語版サント・ペコラ英語版ら有名ミュージシャンたちを擁した初期のジャズ・バンドと一緒に各地を巡業をしたが、バンドの一員で、ピアニスト、ソングライターだったアル・シーゲル (Al Siegel) と、彼女は結婚した。このバンドは、「ビー・パーマーのニューオリンズ・リズム・キングス (Bee Palmer's New Orleans Rhythm Kings)」と称した。その後、パーマーと別れて活動を続けたリズム・キングスは、メンバーを入れ替えながら、さらに大きな名声を博すようになっていった。

1921年には、ボクシングのチャンピオンだったジャック・デンプシーとの関係が噂され、スキャンダルとなり、訴訟も起こされた。

彼女は、ポピュラー音楽のスタンダード曲「噂はやめてね (Please Don't Talk About Me When I'm Gone)」の共作者としてクレジットされている[3]

彼女は、その活動時期には発表されなかった録音をいくつか残しており、その中にはフランキー・トランバウアー英語版とのセッションもあった。試験的にプレスされたマスターが残っていたおかげで、この音源は1990年代から2000年代にかけて発表された。

1929年に彼女が録音した「Singin' the Blues」は、この曲をいち早く吹き込んでいたビックス・バイダーベックフランキー・トランバウアーのソロの旋律に歌詞を載せたもので、ヴォーカリーズの先駆的な試みだったと考えられている[4]

脚注[編集]

  1. ^ a b Watts, Jill (2003). Mae West: An Icon in Black and White. Oxford University Press  Google boooks
  2. ^ Ann Ommen van der Merwe (2009). The Ziegfeld Follies: A History in Song. Scarecrow Press. p. 222  Google boooks
  3. ^ Please Don't Talk About Me When I'm Gone”. Lyrics.com/STANDS4 NETWORK. 2018年7月7日閲覧。
  4. ^ Yanow, Scott (2005). Jazz: A Regional Exploration. Greenwood Publishing Group. p. 130  Google boooks

外部リンク[編集]