ハチのムサシは死んだのさ

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ハチのムサシは死んだのさ
平田隆夫とセルスターズシングル
初出アルバム『愛の12章』
B面 天使は消えた
リリース
ジャンル 歌謡曲
時間
レーベル Dan
(ミノルフォン音楽工業)
作詞・作曲 作詞:内田良平、補作詞:むろふしチコ
作曲:平田隆夫、編曲:土持城夫
チャート最高順位
  • 週間8位(オリコン
  • 1972年度年間43位(オリコン)
平田隆夫とセルスターズ シングル 年表
悪魔がにくい
(1971年)
ハチのムサシは死んだのさ
(1972年)
急げ風のように
(1972年)
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ハチのムサシは死んだのさ」(ハチのムサシはしんだのさ)は、1972年2月15日にミノルフォン音楽工業(現・徳間ジャパンコミュニケーションズ)から発売された平田隆夫とセルスターズの楽曲。平田隆夫とセルスターズはこの曲で、NHK紅白歌合戦に初出場を果たした。

解説[編集]

この曲は平田隆夫とセルスターズにとって2枚目のシングルである。日活スターで動物詩人でもあった内田良平が発表した詩集『おれは石川五右衛門が好きなんだ』[1]の中の「ハチのミヤモトムサシは死んだんだ」というタイトルの詩に、セルスターズのバンドリーダである平田隆夫が曲をつけた。

詞は太陽に挑んで負けて死んでしまったハチの物語である。メンバーの菊谷英二がBS日テレ歌え!昭和のベストテン」2017年2月18日の放送で語ったところによるとこの曲はこの当時学生運動を示唆した楽曲で、ハチのムサシという1人の青年が国を変えようと国家という太陽に挑戦して焼かれて死んで落ちたという内容だという。また当時はテレビでこうした思想を言わず童謡のように押し通したとも述べている。前奏と間奏に入るスキャットは、平田のアイデアで管楽器の代わりに入っている[2] 。この曲は当時の殺虫剤「キンチョール」のCMソングに使用された他、テレビアニメ『天才バカボン』第29回(第57話)「パパがテレビで歌うのだ」や特撮テレビ番組『ウルトラマンA』第11話「超獣は10人の女?」[3]でも流れた。

また、当時はこの曲と同じくハチを主人公としたテレビアニメ『昆虫物語 みなしごハッチ』の人気が高かったことや、この歌の振り付けが特徴的であったこともあり、セルスターズのファンになる子供たちが急増した[2]

累計60万枚を売り上げる大ヒットとなった[4]

セルスターズはこの曲で「第23回NHK紅白歌合戦」に出場を果たし[5]、編曲の土持城夫は「第14回日本レコード大賞」で編曲賞を受賞している。

主なカバー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 内田良平『おれは石川五右衛門が好きなんだ―内田良平詩集』サンケイ新聞社出版局、1974年。ASIN B000J96KZG 
  2. ^ a b スターまるかじりインタビュー 【第25回】 村部 レミ (平田隆夫とセルスターズ)”. キタガワレコード (2005年5月15日). 2012年7月24日閲覧。
  3. ^ このときの音源は2006年発売の『ウルトラマンA オリジナル・サウンドトラック』(コロムビアミュージックエンタテインメント〈現・日本コロムビア〉)に「超獣は10人の女?(ハチのムサシは死んだのさ-ハミング)」の曲名で収録されている。
  4. ^ 朝日新聞』1986年6月22日付朝刊、23頁。
  5. ^ 紅白歌合戦ヒストリー 第23回”. NHK. 2012年7月24日閲覧。
  6. ^ LIZARD: 音楽”. amazon.co.jp. 2012年7月24日閲覧。
  7. ^ ハチのムサシは死んだのさ: 音楽”. amazon.co.jp. 2012年7月24日閲覧。
  8. ^ super nipops: 音楽”. amazon.co.jp. 2012年7月24日閲覧。
  9. ^ 窪田友紀子 プロフィール”. 2012年7月24日閲覧。

外部リンク[編集]

関連項目[編集]