ノート:Studie

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痛車の定義[編集]

本車両を「痛車」と表現することの是非に関する編集を巡って編集合戦気味になっていたり、Schwei2さんの会話ページなどで揉めていることについて。思うにこれは「痛車」という単語自体が俗語であり、はっきりした定義が存在しないことが意見の相違の根底にあると考えます(例えば、本車両が痛車を公言していることを根拠としてラッピング車両の記事に「キャラクターの絵が描かれているラッピング車両は痛車の一種であると定義できる」などと書くのは発表済みの情報の合成などと批判されて然るべきでしょう)。本車両やラッピング車両のように、正式にスポンサー締結を結んでいる車両を痛車と定義できるか否かについての議論や、異論の根拠となる出典の掲載などは、本項目ではなくノート:痛車での議論や痛車の記事の整理によって行うべきだと考えますが、個人的にはそういった異論のある曖昧な俗語の定義に基づいて本車両を「このような車両も痛車と定義できる」と保障してしまうこと自体が独自研究の可能性があり、危いと感じています。本項ではそうした議論から一歩引いた立場から、出典もある検証可能な事実である「公式に『痛車』を自称している車両である」という定義で一貫するのが、独自研究にも踏み込まず中立を保てる記述だと考えますが、どうでしょうか。--Kanohara 2009年6月16日 (火) 12:41 (UTC)[返信]

「痛車」という表現については、描かれるキャラクターがオタク文化との関わりがあるか、という事だと私は思っているのですが、そこの線引きも曖昧です。初音ミク自体がオタクに人気があることは事実かもしれませんが、実際オタクネタ扱いした某放送局はかなりのバッシングを受けていますからね…--Schwei2 2009年6月16日 (火) 12:52 (UTC)[返信]
Kanoharaさんの意見に反対します。中立も何も痛車の専門誌でも普通に取り上げられているようですし、モーターレースの雑誌を含むその他の報道でも普通に痛車として扱われていますから公式が言っているだけであるかのような形にするのは無理があります。正式にスポンサー締結を結んでいる車両を痛車と定義できるか否かについて議論が在るかどうかについてすら検証可能性を満たさない状況では、そのような意見に配慮すること自体が行き過ぎではではないかと。確かに痛車の記事では混乱しているように見えますが、これは、言い方は悪いですが痛車の記事の執筆者にきちんとした内容を書ける方がいないからというだけのことでしょう。とりあえず痛車の記事の該当部分に{{要出典}}を張りましたので、そちらの推移を見て判断すべきかと。--アト 2009年6月16日 (火) 13:24 (UTC)[返信]
しかしその、アトさんが示した出典には、「痛車(イタシャ)とは個人のファン活動の一環として、コミック・アニメ・ゲームなどのキャラクターを カッティングシートやペイントで彩ったクルマのこと」(痛車グラフィックス Vol.1の解説文より)と記述されており、明らかに「個人のファン活動」ではない本車両を痛車として定義していることには自己矛盾も感じます。「通常、痛車とは個人のファン活動の一環として制作されたものであると定義されているが、本車両はその定義から外れるものの、例外的に痛車として認知されている」という回りくどい書き方をする手もあるかも知れませんが、そういったことは[[痛車]]の項目の方に書くべきであって、本項目では前述のように「自称痛車」として扱うのが無難だと思うのですが。--Kanohara 2009年6月16日 (火) 13:49 (UTC)[返信]
Studie GLAD Racingに関する文献だけを見れば痛車として扱われていることに何の疑いも無いのだから、下手に真偽の心もとない痛車の記事にあわせるようなことはすべきでは無いでしょうし、痛車で無い可能性を考慮する必要もないかと。そういったことはあくまで痛車であることを否定するような言説が確認できた場合に考慮すべきです。でなければ普通に痛車として扱っている多くの言説を根拠なく無視することになってしまいます。「痛車グラフィックス」の定義についても単に創刊当時の文章がそのまま残っているだけ、もしくは権利上の配慮かもしれませんが、少なくとも雑誌で痛車として扱っている以上これを根拠とするのも難しいでしょう。もし痛車の記事が改善されればそれに合わせることも必要でしょうが、現状では痛車の記事に書かれていることは考慮から外すのが妥当かと考えます。わざわざ痛車の記事と矛盾しないような書き方に変えることは不適切な情報の拡散に手を貸すことにもなってしまいます。--アト 2009年6月16日 (火) 14:34 (UTC)[返信]
ううむ、本記事に使用されている出典を読む限り、本車両の関係者が「痛車」を自称しており、またそれを踏まえた報道が本車両を指す通称として「痛車」という呼び名を使っていることは疑いようがない一方、第三者による記事はどれも本車両を「痛車の一種」であると肯定することを注意深く避けているようにも感じられます。痛車を「個人のファン活動の一環」と定義する出典が既にアトさん自身によって示されているのに対し、それを誤りであるとする根拠も示されておらず、これらの出典は「痛車として扱われている」ことの積極的な根拠とするには弱いのではないでしょうか。いずれにせよ、別に「痛車」という俗語の曖昧な定義について白黒つけなくても、「痛車と銘打っている」という現在の記述によって、「本車両は痛車である」と肯定することも否定することもせず対処することができると私は考えます。--Kanohara 2009年6月16日 (火) 14:52 (UTC)[返信]

インデント戻します。「痛車と銘打っている」と言う書き方は悪くないとは思いますが、Kanoharaさんの差し戻した「公式に」は余分だと感じます。これでは痛車であることに一定の疑いがあるようにも読めてしまいます。それから大事なことが一つ。Kanoharaさんは痛車ファン活動から始まったという歴史上の経緯に鑑み、痛車であると定義することを避けるべきと言う意見でしょうか?そうであるならばKanoharaさんが該当部分を編集した際のコメント「痛車#レーシング痛車によれば、このような車両を「痛車」と定義することには異論もあるらしいので、議論を避けるためにも自称であることを明記する形に修正」、この編集の理由を撤回していただけないでしょうか。でなければKanoharaさんの意見を組み入れた形にした場合、独自研究の疑いの指摘されている記事の内容が持ち込まれたことになり、Studie GLAD Racingの記事は独自研究を含む内容だということになってしまいます。--アト 2009年6月18日 (木) 00:38 (UTC)[返信]

「公式に」という単語は、アトさんが2009年6月15日 (月) 5:47 (UTC)の編集を行った際の「チーム側が痛車であること公言しているのに痛車であることを否定するかのような書き方はどうか」というコメントを念頭に置いたもので、個人的にはSchwei2さんのような編集が繰り返されないためにも必要だと考えています。正直に言えば、アトさんとSchwei2さんの間で編集合戦が起こりかけているのを目撃するまでは、「Studie GLAD Racingの車両を痛車であると定義することを避けるべきか否か」という[[痛車#レーシング痛車]]での話題は知ってはいても大して関心はなかったのですが、その後アトさんから示された出典を読む限りは、Studie GLAD Racingが活動を開始する数ヶ月前までは「痛車とは、個人のファン活動の一環としてペイントを行ったものを指す」という主張が存在していたとも読み取れるので、権威ある文献によって「レーシング痛車は痛車の定義から外れる」という主張の存在を裏付けられる出典が出現する可能性も否定できないと感じています。
痛車#レーシング痛車によれば~」という理由で編集を行った際には、Wikipedia中で最も痛車に関する情報が網羅されているであろう[[痛車]]の記事ですらレーシング痛車の定義を巡る議論に終止符を打つような出典どころか、議論の存在自体すら証明できない状況自体が深刻であり、本記事にそのような定義を持ち込めば今回アトさんとSchwei2さんの間で起こったような編集合戦が今後も繰り返されるであろうと考えました。Wikipediaが求めているのは真実ではなく合意であるという実情を踏まえて、論争を避けるためにもチーム側が痛車であること公言していることに触れつつも、同車両を痛車であると定義することは避けるべきと考え、指摘にあるようなコメントをしたのですが、結果としてSchwei2さんにもアトさんにもそういった意図が伝わらなかったとすれば至らなく思います。
なお、「レーシング痛車を痛車と見なせるか否か」という定義の問題については、あくまで私の想像の範疇を出ないのですが、「痛車グラフィックス」が創刊からVol.3までの間に前言を弄してStudie GLAD Racingを特集しているという状況から、「らき☆すたランサーやメロン号が下地となり、Studie GLAD Racingが痛車を名乗り大きく注目され認知が広まった頃から、個人のファン活動ではない商業車両についても痛車と見なす風潮が強くなった」のではないかとも想像しています。その場合はStudie GLAD Racingの車両は、痛車を銘打って登場した時点まではグレーの存在であり、自ら痛車を名乗ったこと自体が特記事項になるのではないかと考えます。--Kanohara 2009年6月19日 (金) 14:38 (UTC)[返信]
痛車#レーシング痛車において「痛車と表現することに対し疑問視する声もある」との記述に対し出典が示されませんでしたので該当部分の除去を実施しました。
Kanoharaさんの編集が痛車の記事と整合性を取る意図では無かったということならば、「公式に」は強すぎる表現であり除去すべきとは感じるものの、今後の編集合戦を防ぐ意味からはある程度の合理性はあり、強く反対する理由は有りません。ただ、痛車の記事では痛車であることの疑いに対し「自らの車両の事を「痛車」と言っている。」という反論目的と思われる文章が書き込まれる形になっていたこともあり、意図がどうあれ痛車の記事と内容をすり合わせる目的で行われた編集に見えるものだったのは確かですので、そのあたりもう少しお気を付け戴きたかったかと思います。--アト 2009年6月24日 (水) 06:10 (UTC)[返信]
[[痛車]]の記事の編集については正直あまり関心がなかったのですが、あちらの記事の概要節にはまだ「メーカーによる販促活動によるものは(痛車の定義に)含まれない」という一文もあり、あちらの記事では定義の問題については避けて通れないので、いずれ何らかの形での編集は必要であると感じています。ただ、自分の中の基準では「美少女キャラクターのイラストではなく一般向けゲームメーカーのロゴや、ファミリー向けアニメのキャラクターを大きく配した社用車やレーシングカーなどは、自称でもしない限りは痛車と見なされないだろうけれど、個人がファン活動として自分の車に貼る場合は周囲から痛車と見なされるだろう」という感覚もあるので(ポケモンカー、およびGoogleでのポケモンカー 痛車の検索結果も参照)、独自研究であるとか、「痛車グラフィックス」の定義は何かの間違いであるとか言って切り捨てることには違和感もあります。まあ、あちらの記事については、議論の必要が生じた場合にはあちらのノートで相談することにしましょう。--Kanohara 2009年6月24日 (水) 10:33 (UTC)[返信]

異論が呈されないまま一週間以上が経過したため記事冒頭の{{観点}}を除去しました。--アト 2009年7月3日 (金) 16:20 (UTC)[返信]