ノート:AK-103

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AK-100シリーズが、輸出向けに造られたAK-74Mの口径変更型および短銃身型であることについて[編集]

AK-100シリーズの製品としての特徴は、以下の通り確りとした「出典」があり、後述の「AKライフルの世代分類」とは切り離して議論すべきです。

GUN Professionals誌2021年9月号の床井雅美氏の寄稿において、AK-100シリーズについて、以下の通りはっきりと述べられている。 「AK-74Mをベースに、輸出向けに設計されたものがAK-100シリーズだ。AK-74Mと同様な装備で、レシーバー左側面にスコープマウントが装備され、黒色ポリマー製の折りたたみ可能なハンドストック、ハンドガード、グリップが組み込まれている。」 当該記述後半のスコープマウント、黒色ポリマー製折りたたみハンドストック、ハンドガード、グリップは、AK-74Mの特徴そのものである。 --Yasushif1会話2021年10月27日 (水) 01:23 (UTC)[返信]

AKライフルの世代分類[編集]

「出典」として挙げられている、https://www.thefirearmblog.com/blog/2011/11/29/ak-12-the-5th-generation-ak-7-62mm-5-56mm-and-5-45mm-rifle/ の記事においては、本文では「カラシニコフ社がAK-12を第5世代と言及した」と記載されているだけであり、脚注にて「AK-47、AK-74、AK-74M、AK-100と続く」と記載されている。

この場合、解釈としては次の2つの解釈が成り立つ。

(a)カラシニコフ社自身が本当に、「AK-74が第2世代、AK-74Mが第3世代、AK-100が第4世代」と言及した。 (b)カラシニコフ社自身は、「AK-12が第5世代」と言及しただけであり、記者または当該TFBというサイトに関わる別人が自分の憶測で「AK-74が第2世代、AK-74Mが第3世代、AK-100が第4世代」という脚注を付した。

この記事の記述方法では、どちらとも解釈可能な記述と思われる。さて、一体どちらなのでしょうか?

この記事を根拠にAK-100シリーズを独立した世代と主張する者は、脚注部分が記者による誤解に基づく記述ではなく、カラシニコフ社自身がAK-100シリーズを独立した「世代」と言及したか否かについて証拠を持って明示すべきであり、その証拠が無い限りファクトチェックされたとは言えないのではないか?

ちなみに、wikipediaの各国語版では、実に21言語にて、AKMはAK-47とは異なるモデルとして、AK-47とは別に独立項目が立てられており、AKシリーズの本家本元たるロシア語サイトでも別項目となっている。その内容の一例として英語サイトの記述を紹介すると、「AKMは、AK-47に取って代わる後任(replacement)として開発された」、「1959年に制式採用されたAKMは、AKシリーズの中で最も世界中に広まったモデルであり、ワルシャワ条約機構を構成する旧東側諸国やアフリカ、アジアの同盟国に広く輸出され現地生産も行われた」と記述されている。このwikipediaの各国語版の認識が、歴史的事実に対する、世界中で広く共有された認識である。

世界中のwikipedia各国語版で論争でもして来ますか? このTFBサイトの記事を根拠に論争を挑んだら世界中で、阿呆な記者が勘違いしたか何かだろ、と一笑に付されて一蹴されるだけだと思いますよ。

また、銃器専門誌GUN Professionals誌において2021年9月号から、床井雅美さんがAKシリーズに関する連載を開始しているが、その第1回に参考となる記述があるので、引用しておく。

「このAKMアサルトライフルが、最も多数生産され、その後に世界中に広まったAKアサルトライフルの中核となった。」

AKシリーズの中で最も多数生産され世界中に広まったAKMは、AKシリーズの中核を担う、カラシニコフ社にとって栄光の歴史とも言えるモデルであり、そのAKMをカラシニコフ社自身が「世代」として列挙しない等ということは、ほぼ間違いなくあり得ない。まさに自社の歴史の否定そのものだからである。

念のため、上記の「床井雅美」さんがどのような人物かを紹介しておくと、 「ドイツと東京を拠点に欧州全土を取材対象とする銃器ライターであり、以前はアメリカのスミソニアン博物館招聘研究員であった。カメラマンの神保照史と共にヨーロッパ中のメーカーやショーをまわり取材活動を行う。またロシア(旧ソ連)、ワルシャワパクトを中心とする東側の兵器にも精通し「銃器のミグ屋」とも呼ばれる。その縁でミハイル・カラシニコフとも深い親交があった。その親交により、冷戦終結直後にスミソニアン博物館の招きでミハイル・カラシニコフ本人がアメリカを訪れ、ユージーン・ストーナー(M-16の設計者)と会談した際に、同席を許され取材を行い、「AK-47&カラシニコフ・バリエーション」という本を上梓している(GUN Professionals誌での2021年9月号からの連載はその30年後のアップデート版とも言えるもの)。その後、ワシントンの国際小火器研究所(IRSAIS)常任アドバイザーをつとめる傍ら、2012年から2014年まで、GUN Professionals誌の編集長をつとめる。特に陸戦兵器の研究には定評があり、世界的権威として知られる。」 そして床井氏は、日本の軍用銃マニアにとってバイブルとも言える、「最新軍用銃辞典(並木書房)」の著者でもある。

なお、その床井氏は、GUN Professionals誌2021年9月号で、AK-100シリーズについても、以下の通りはっきりと述べている。 「AK-74Mをベースに、輸出向けに設計されたものがAK-100シリーズだ。AK-74Mと同様な装備で、レシーバー左側面にスコープマウントが装備され、黒色ポリマー製の折りたたみ可能なハンドストック、ハンドガード、グリップが組み込まれている。」 当該記述後半のスコープマウント、黒色ポリマー製折りたたみハンドストック、ハンドガード、グリップは、AK-74Mの特徴そのものである。

以上、wikipedia各国版の21言語に及ぶAKM独立項目の存在、英文wikipediaのAKMの記述、GUN Professionals誌2021年9月号の床井氏連載が、「AK-74が第2世代、AK-74Mが第3世代、AK-100が第4世代」という主張を否定する「出典」である。 他にも挙げろと言うなら幾らでも列挙しますよ。「公知の歴史的事実」を否定しようとするのはいい加減止めたら如何ですか。 --Yasushif1会話2021年10月27日 (水) 01:00 (UTC)[返信]


だいぶ日時を経ましたが、「カラシニコフ社自身が本当に『AK-74が第2世代、AK-74Mが第3世代、AK-100が第4世代』と言及した」という証拠、出典は提示されていない様です。

「世代」という言葉は、「誰か」の「認識」を示すものであり、「歴史的事実」を示すものではありません。従って、以下の2点を議論しないままに、確かとは言えない「認識」を記載することは避けるべきです。

(a)まず製造業者・納入業者のカラシニコフ社自身の認識を証拠・出典をもって提示すること。

(b)発注者・制式採用者の旧ソ連軍・ロシア軍側は、自己の制式採用により「世代」を認識している筈ですので、発注者・制式採用者側の認識と製造業者・納入業者のカラシニコフ社側の認識が万が一食い違う場合には、本記事においてどう取扱うべきかを議論すること。(AKシリーズは旧ソ連邦が東西冷戦時にワルシャワ条約機構を始めとする旧共産圏とその支援国に軍事支援として輸出する、またはライセンス生産権を供与したことにより、世界中に広まった経緯があります。西側の軍用銃と異なり、製造業者・納入業者のカラシニコフ社(旧イズマッシュ工廠)の営業努力等によるものとは言えません。発注者・制式採用者の旧ソ連軍・ロシア軍側の認識が重視されてしかるべきです。)

(a)(b)の議論が確認されない間は、AKM、AK-74、AK-74M、AK-100に関する「世代」は記載せず、各々のモデルの開発経緯・技術的特徴、旧ソ連軍・ロシア軍の制式採用年次等の、証拠・出典を確認できる「歴史的事実」のみを記載すべきです。 (各々の開発経緯・技術的特徴、旧ソ連軍・ロシア軍の制式採用年次等については、「AK-47」・「AK-74」の項目に出典を明示して記載しておきましたので御覧下さい。)

(a)(b)の議論のうち、(a)さえも確かな証拠・出典を提示されていない現状では、『AK-74が第2世代、AK-74Mが第3世代、AK-100が第4世代』に類する記述は、しばらく後に削除させて頂きます。

--Yasushif1会話2021年11月6日 (土) 04:05 (UTC)[返信]