ノート:226 (映画)

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見出し「エピソード」の出典について[編集]

エピソードの出典ですが、

脚本の笠原和夫は、圧力で内容を変更させられ、「活動屋精神を持たない奥山和由はだらしがない。松竹で撮ったから変な映画になった」などと話している[1][2]
  1. ^ 笠原和夫・荒井晴彦絓秀実『昭和の劇:映画脚本家笠原和夫』太田出版、2002年、546頁。ISBN 4-87233-695-X 
  2. ^ 笠原和夫『映画はやくざなり』新潮社、2003年、103-104頁。ISBN 978-4104609017 

『映画はやくざなり』には「圧力で内容を変更させられ」や「活動屋~。変な映画になった」という内容は載っていません。『昭和の劇』が大元でしょう、この笠原発言は。『映画はやくざなり』には「ト書きに『秩父宮』と書くだけで、奥山が尻込みするからどうしようもなかった (P103)」、「現場でホンに手を入れられて~ (P104)」とは載ってますが。

笠原は「僕はこれまで東映で『日本暗殺秘録』や『仁義なき戦い』、『二百三高地』、『大日本帝国』なんかをやってきましたけど、あれも岡田さんがヒットするしないだけじゃなく、活動屋精神っていうかな、やりたいものやってみろっていう考え方を持っていたから、僕らも思い切りできたんで、岡田さんが『226』をプロデュースしていたら、もっとちゃんとしたものが出来たと思う」となどと話している[1][2]
  1. ^ 笠原和夫・荒井晴彦絓秀実『昭和の劇:映画脚本家笠原和夫』太田出版、2002年、546頁。ISBN 4-87233-695-X 
  2. ^ 東映キネマ旬報 2011年夏号 Vol.17 | 電子ブックポータルサイト 、5頁

この文は『昭和の劇』の笠原発言を引用したものですから、そのまま載せたければ、『東映キネマ旬報 2011年夏号 Vol.17』はこの文の出典としては成立しないですね。出典『東映キネマ旬報 2011年夏号 Vol.17』を当該記事から除去しました。

この二つの文の出典になっている『昭和の劇』はいま手元にないので、別途検証する予定です。『昭和の劇』を見直してから、『映画はやくざなり』の当該映画について特筆すべき内容を加筆したいと思います。今の状態で加筆するとわかりにくくなると思うので。Wikipedia:表記ガイド#人名に則り肩書を除去。要出典範囲tmpを付記しました。見出し「備考」と「エピソード」は文章として少ないので、「備考」にまとめました。--らーしお会話2015年9月16日 (水) 09:03 (UTC)[返信]