ノート:1945年の広島・長崎に対する原爆投下

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/過去の議論 - 長くなりましたので、一部の議論を過去ログに移動しました。--Clapon 2007年2月16日 (金) 17:17 (UTC)[返信]


削除議論について[編集]

こちらのページを削除依頼に出しましたが、現時点では削除すべきでないという意見が多かったため、今後の処遇についてご意見を伺いたいと思います。(削除の議論は削除依頼サブページをご覧ください。)現在の状況を簡単にまとめます。

この状況を踏まえ、まず以下の論点に絞って議論したいと思います。

  1. 「1945年の広島・長崎に対する原爆投下」の記事をそのままとするか、変更するか
    1.  する → 2へ
    2.  しない → このまま
  2. 「1945年の広島・長崎に対する原爆投下」のページを他言語版と同様に「広島・長崎への原爆投下」についてまとめた記事とするか

ご意見は以下の項目の中に記載ください。よろしくお願いします。--Clapon 2007年1月27日 (土) 12:52 (UTC) (改めて読み返すと、不正確な文章でしたので論点を明確にするよう変更いたします。)--Clapon 2007年1月31日 (水) 15:48 (UTC)[返信]


現状の記事をそのままとするか、変更するか

他言語版と同様に「広島・長崎への原爆投下」についてまとめた記事を設けるか

  • 広島・長崎で記事が分かれている現状を尊重すべきと思います。他言語からのリンク用に、現在の記事を大幅加筆した原爆投下のページを作成してはどうでしょうか。--Clapon 2007年1月27日 (土) 12:52 (UTC)[返信]
  • 広島・長崎共に原爆投下の背景は同じなので、「広島市への原子爆弾投下」と「長崎市への原子爆弾投下」の重複する記述のみを取り出し、「広島市・長崎市への原子爆弾投下」と改題した上でこのページにまとめることを提案します。あとリダイレクトの「原爆投下」はこちらのページにリンクされるよう修正する必要があると思います。--ユキポン 2007年1月27日 (土) 13:07 (UTC)(ユキポン 2007年1月28日 (日) 02:29 (UTC)一部修正)[返信]
  • 多くの外国語版ではまとめられているため、、「広島市・長崎市への原子爆弾投下」と移動した上で、重複している部分はまとめるのが妥当かと。--T.Saito 2007年1月27日 (土) 23:57 (UTC)[返信]
  • 原爆投下」をリダイレクト変更、というよりも、日本では一般に「原爆投下」と言えばヒロシマ・ナガサキを指すので、「1945年の広島・長崎に対する原爆投下」自体を「原爆投下」にする方がベターであるように思われます。また、諸外国はともかく、日本ではヒロシマとナガサキをそれぞれ個々の事件として捉える向きが強いと思われるので、2記事の統合には疑問です。一方で、諸外国におけるこれらを一括りとして捉える意識の違いには個人的に関心があり、他言語版から、共通項として浮かび上がる点を翻訳しつつ、日本での捉え方との違いを解説できれば理想であると考えます。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年1月28日 (日) 01:26 (UTC)[返信]
  • 「原爆投下」でも確かに通じるとは思いますが、記事名としては正確さに欠けるのではないでしょうか。広島だけを指すのか、長崎だけを指すのか、あるいは両方なのか、「原爆投下」だけではあまりにも漠然としていて明快ではありません。そういった曖昧さを回避するためにも、「広島市・長崎市への原子爆弾投下」と改題する方が良いと思うのですが。--ユキポン 2007年1月28日 (日) 02:40 (UTC)[返信]
  • ここまでのご意見は、「まとめた記事を作成」という点で一致していますね。まとめた場合の内容ですが、現在の広島・長崎のそれぞれの記事をみたところ、重複している部分は少ないように感じました。また投下に至る背景は太平洋戦争に記載があるようです。そこで、このページは「広島・長崎への原爆投下」の被害の概要、および投下後の動きなどの共通部分についての記事(現在その内容に該当する記事がない)とし、詳細は各都市の記事へ譲ってはどうか、というのが私の意見です。記事執筆においては、現在の広島・長崎の記事を書かれた方との連携が必要だと思いますし、幅広く意見を募ることが重要だと思いますので、関係者に声をかけてみます。また、Wikipedia:コメント依頼にも出してみます。(削除依頼が落ち着くまでと思っていましたが、思い切って出してみます。)引き続きご意見をいただきたいと思います。--Clapon 2007年1月28日 (日) 15:30 (UTC)[返信]
  • Claptonさんのご意見に概ね同意です。さて、原子爆弾の記事に「原子爆弾投下都市の選定理由」や「原子爆弾を巡る論争」といった項目がありますが、これらはあくまで広島・長崎への投下に限った話で、原子爆弾全般を扱う記事にはあまり適当でないと感じます。そこで、原子爆弾の広島・長崎への投下にかかわる記述を、このページに移してはいかがでしょうか?原子爆弾の記述も減らせて一石二鳥だと思うのですが。--ユキポン 2007年1月30日 (火) 14:04 (UTC)[返信]

2つの独立記事の合体に反対[編集]

今のままでよいのではないですか?「広島・・・」の記事も「長崎・・・」の記事も別々に編集成長してきた記事です。記事の内容も別です。他言語版に合わせて無理やり「合体」させようなどという案は論理が無茶苦茶です。

広島も長崎も日本が一番情報が豊富であり、その結果記事2つとなった。他言語では情報が少なく合体記事となった。それだけのことでしょう。

さらに、両記事から共通項を抜き出してある別の記事を立てようという意図も意味不明です。 単に冗長となるだけであり、同じ内容の記事が増えるだけです。そのような編集に協力する人がいるでしょうか?

別に他言語版が形式的にどうあろうと、いちいち日本語版がそれに合わせるために変更をしうる必要はありません。 Wikipediaの各国語版はそれぞれ独立なのですから。

Northface 2007年1月31日 (水) 15:33 (UTC)[返信]

- :二つの記事が別々の内容であることは十分理解しており、それらを無理やり統合させようという議論をしているわけではありません。上記の議論をご覧いただきたいのですが、「1945年の広島・長崎に対する原爆投下」という曖昧さ回避としてはあまり役に立ちそうにないページを、他言語版から「広島」「長崎」の記事へ誘導するためのページとして使えないか?というのが現在の主な論点になっています。よろしければ上記の議論へぜひご参加ください。--Clapon 2007年1月31日 (水) 15:43 (UTC)[返信]

そもそも今までの日本語版には、日本への原爆投下に関する情報全般をまとめた記事がありませんでした。原子爆弾や広島・長崎の各記事などに分散している状況です。この現状を是正するためにも、この記事に原爆投下全般の情報をまとめ、詳細な情報は既存の記事に照会するという具合にまとめる方が合理的だと思えるのですが。--ユキポン 2007年1月31日 (水) 16:07 (UTC)[返信]

記事の「統合」には私も反対意見です。飽く迄も私の意見は「それとは別に」という意味です。前回と重複になりますが、海外ではこの2つの事件を一括りに見ているのは事実であり、その意識の違いには関心があります。一括りにする以上、共通項として取り上げられる部分もあると思いますし、海外の見方に付いて触れられれば興味深い記事になると思われます。
なお、海外の項目構成に合わせる必要は全くありません。飽く迄も日本語版は日本語版です。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年1月31日 (水) 18:27 (UTC)[返信]

具体的にどのようなものを作る予定なのでしょうか? 既に核兵器原子爆弾広島市への原子爆弾投下長崎市への原子爆弾投下と記事があります。これ以上何かを作っても、逆に情報が分散するばかりのデメリットの方が多いのではないですか?そもそも、今回の議論の発端は「この曖昧ページを削除するか否か」で始まっており、何か議論の中心がふらふらしているように見受けます。現状ではどのようなものを作るのかの方向さえ見えていないのではないですか?議論している参加者のうちで、この分野に熟知しており、実際にこのようなものを書こうというビジョンをお持ちの方はいるのでしょうか?単なる上記4つの記事の不完全な要約のようなものなら不要です。私は極めて危惧しています。Northface 2007年1月31日 (水) 22:46 (UTC)[返信]

具体的にどのような記事を作成するかは現在議論の最中ですが、少なくとも広島市への原子爆弾投下長崎市への原子爆弾投下の2つの記事を残しつつ、他言語版と同様に原爆投下全般についてまとめた記事を作成しようという意見は一致しており、その内容をどうするかが現段階での議論の中心となっています。私は広島市への原子爆弾投下の「原爆投下の背景と経緯」や原子爆弾の「原子爆弾投下都市の選定理由」や「原子爆弾を巡る論争」をこちらに移動させ、まとめればいいのではないかと考えております。

それにしても、この種のまとめ記事を作成してはならない理由があるのでしょうか? あるいは、存在不可欠な記事でなければ作成してはいけないのでしょうか? そういった理由もなしに、記事作成を何が何でも阻止しようとするNorthfaceさんの行動が私には理解できません。--ユキポン 2007年2月1日 (木) 15:03 (UTC)[返信]

反対理由と新しい提案[編集]

表題自体が1945年の広島・長崎に対する原爆投下ですからね。既存記事との間でそれこそ「曖昧な記事」そのものを作り出そうとしているのですよ。ユキポンさんは。おまけに既存記事でまとまっている原子爆弾の記事まで破壊しようとしている。ユキポンさんは既存記事から別のひとつの記事をつくるために既存記事からいわばシャッフルしようとしている。それら場当たり的な編集の基本的なビジョンもない。むちゃくちゃです。反対されてもあたりまえではないですか?

「他言語版と同様に原爆投下全般についてまとめた記事を作成しよう」このようなコンセンサスはとられていません。 そもそも、この「しよう」という目的がはっきりしません。

反対ばかりでも前向きでないので、私からの提案です。 この記事を削除しないで残すのであれば、この記事の「目的」をはっきりとさせるべきです。

  1. 曖昧さ回避のページ - これは違います。
  2. 他言語版から日本語版へリンクをはるための中継地 - これが現状妥当なところでしょう。この記事を作成したかたもそれを目的としたようです。

それならば、この目的にフォーカスをあてて、では次にどうすればこの目的がよりよく果たせるかを考えればよいのです。 場当たり的な対処では、さまざまな記事を巻き込んだ混乱を生み出すだけです。Northface 2007年2月1日 (木) 16:02 (UTC)[返信]

私の呼びかけの書き方が悪かったのでしょうが、少々早とちりなさっているように感じます。今議論しているのは、実はNorthfaceが出してくださった提案とほぼ同じことです。一番上の論点を読んでいただきたいのですが、
  1. 現在の記事をこのままとするか(曖昧さ回避のまま)→ これはしないと意見が一致
  2. まとめた記事とするか(=Northfaceさんのおっしゃる中継地)→ まとめるという方向で現在議論中
といった状況です。まさに今、この記事の目的を決めようとしているところです。決して「他言語にそのようなページがあるから日本語版でも作る」といった動機だけで議論しているのではなく、日本語版にはまとめたページがないのはなぜか、またそのようなページが他言語版からの誘導に使えるのではないか、など原爆関係の記事全体とのバランスを加味して検討をしているところです。Northfaceさんのご意見を読むとすでに決定したことのように捉えられているように感じるのですが、進行中ですので、ぜひ議論に参加いただき意見をいただければと思います。また、この議論はユキポンさんだけが主張されているわけではなく、私もその方向で考えていますので、個人を批判されるのは誤りです。
それもこれも、私の文章力のなさが招いたことだと思います。誤解をさせるような文章を書いてしまい申し訳ありませんでした。--Clapon 2007年2月1日 (木) 18:18 (UTC)[返信]

文章力はあると思いますよ。問題なのは内容がまとまっていないところです。そして議論の各参加者の意見がすれ違っているのに意見がまとまっているかの如くに議論をすすめているところが問題です。

各意見の中で私がユキポンさんの意見を特に問題視しているのは、本記事のコンテンツを埋めるために既存記事群を切り刻むという発想をしていることです。既存記事群が今まで発展してきた経緯を全て無視して自己勝手な思い込みだけでそのようなことをすれば、既存記事群を編集してきた人たちの猛反発を受けることは必須でしょう。

従い、私の提案は本記事はあくまでも他言語版から日本語版へリンクをはるための中継地に徹することです。 それ以外の余計な思念を混ぜることはありません。 中継地とは何かをイメージすると解がみえてくることでしょう。Northface 2007年2月1日 (木) 22:46 (UTC)[返信]

色々反論はありますが、とりあえず今はNorthfaceさんからの「他言語版からの中継リンクに徹するべき」という提案に対して皆さんの御意見をお伺いしたいと思います。ちなみに私は「原爆投下全般の情報を集約した記事があった方が良い」という考えの下に反対票を投じます。--ユキポン 2007年2月2日 (金) 23:31 (UTC)[返信]

申し訳ないが、それより前にユキポンさんがいったい何をしたいのかを表明するのが先ではないですか? 既存の既に量・質ともに充実しているいくつかの記事群を切り刻むに値するビジョンをもっているのかどうか?

ユキポンさんの過去の投稿履歴を拝見させて頂いたが、この分野に対する編集実績は皆無ですね? さらに近接する軍事分野の編集実績もありませんし、現代史分野の編集実績もありません。

自分の興味分野でもないし、知識のおよぶ範囲でもない分野でいったい何をしようとしているのですか? Wikipedia日本語版を混乱させるような行為はおやめください。お願いいたします。Northface 2007年2月3日 (土) 06:59 (UTC)[返信]

率直に申し上げますが、現時点ではNorthfaceさんの御意見は受け付けておりません。Northfaceさんが議論に加わる前は、原爆投下全般を扱ったまとめ記事を作ろうという点では皆さんの意見は一致していました。そして今の段階では皆さんはどうお考えかを確認したいだけです。まとめ記事の草案を提出する前に、まずその点を明確にしておきたいと思います。

「Wikipedia日本語版を混乱させる」など、これ以上根拠も示さずに自分が全てのウィキペディアンを代表するかのような論調はやめて頂きたいです。そして、他の皆さんもNorthfaceさんと同じ考えなのか、再度御意見をお伺いしたいと思います。--ユキポン 2007年2月3日 (土) 15:17 (UTC)[返信]

静観しておりましたが、ご意見いたします。このようなページを他言語版のためだけにわざわざ用意する必要があるのか、ということが気になります。他言語版で広島と長崎が分割される可能性はゼロなのでしょうか。それに、今回のようなケースは他に例があるのでしょうか。前例ばかり言うと前例主義のようで少し気が引けますが…。例えば、他言語版には基本的に広島にリンクしてもらって、{{otheruses}}などで長崎に誘導するなどという方法は考えられないのでしょうか。--Avanzare 2007年2月3日 (土) 15:40 (UTC)[返信]
  • Northfaceさんの反対意見は貴重ですし、どんどんご意見を言っていただきたいのですが、個人攻撃のようになっていることと、「記事を混乱させる行為」と決め付けられている点について改善を求めます。私たちは原爆関連の記事を破壊するつもりでこのような議論をしているわけではありません。改善できる点はないか?という視点で議論しているに過ぎません。もう少し善意に取っていただきたく思います。一方、ご指摘のとおり論点がずれている点は否めません。再度論点を整理しますのでみなさま少々お待ちくださいませ。--Clapon 2007年2月3日 (土) 17:44 (UTC)[返信]

(事例)エルサレム聖書[編集]

  • 削除依頼の際にも引き合いに出しました「エルサレム聖書」のようなものを考えてみたいです。この「エルサレム聖書」の項が出来た経緯をざっと紹介します。もともと聖書関連の翻訳プロジェクトの一環として英語版Jerusalem Bibleをまず訳す必要が生じました。で、これを当初は「エルサレム聖書」という項目として訳したのですが、Jerusalem Bibleには、ややっこしい歴史がありまして、フランス語聖書La Bible de Jerusalemmが英語に訳されたものが英訳聖書Jerusalem Bibleなのです。仏語を経由して訳された為、英訳聖書Jerusalem Bibleは仏語の語彙が混じってしまい、後にNew Jerusalem Bibleとして新たに出版されました。よって、英語版ウィキペディアでもJerusalem BibleNew Jerusalem Bibleと2つの項目が存在します。英語圏に於いてはこの2冊は別物なので、項目も別々になっているのです。…が、日本では一般にどちらも「エルサレム聖書」と呼ばれる為、英語版のそれぞれを「旧エルサレム聖書」、「新エルサレム聖書」とし、何故に2つの翻訳があるのかを簡単に纏めた曖昧さ回避に「エルサレム聖書」の項を割り当てました。
    状況はこの例とは異なるでしょうが、私は1945年の広島・長崎に対する原爆投下に対しても、似たようなものを考えています。私にとっても「知識のおよぶ範囲でもない分野」ではありますが、単なる外語版からの曖昧さ回避にするにしてはテーマとして味気ないように思われます。勿論、場合によっては「広島市への原子爆弾投下」と「長崎市への原子爆弾投下」の一部を取り出すことになるかもしれませんが、先の「エルサレム聖書」宜しく、2つの項目に分岐するにあたっての背景や、共通する予備的知識などを添えられれば、興味深いものになると考えます。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年2月3日 (土) 19:27 (UTC)[返信]

エルサレム聖書を拝見致しました。とても分かりやすく、またコンパクトにまとまった「中継地」ですね。

私が本記事に想定しているものはもっと簡潔なものですが、この「エルサレム聖書」の事例は各人の意見の妥協点のイメージ(内容および文章量)としてよい事例となると思います。

この議論に参加の方は、ぜひ、リンク先を一度ご覧になってみてください。--Northface 2007年2月4日 (日) 00:41 (UTC)[返信]

改善提案(仕切りなおし)[編集]

ここまでのご意見の要点をまとめ、論点をいま一度整理していきたいと思います。誤りがあれば随時修正してください。(意見表明者の敬称は略し、各利用者ページへリンクをつけました)

ここまで出ている意見[編集]

  • 「1945年の広島・長崎に対する原爆投下」の記事をこのまま残すか
残さない → 意見が一致
  • 他言語版記事と同様に集約した記事を作成するか
単なる中継点として作成
  • 原爆関係の既存記事はそれぞれの経緯で発展している。このページは中継点に徹し、各記事に影響を与えるべきではない。 --Northface
集約した記事を作成
  • 広島・長崎の記事の重複部分をまとめ、このページに記載する。 --T.Saito
  • 現在は日本への原爆投下に関する情報全般をまとめた記事がなく、原子爆弾や広島・長崎の各記事に分散しているので、情報をまとめた記事を作成する。 --ユキポン
  • 他言語版とあわせる必要はないが、広島・長崎を一括りに捉える海外と、別個と捉える日本の意識の違いが興味深い。二つの事件の共通項と海外の見方を加えた記事となれば理想的。 --٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥
  • 「広島・長崎への原爆投下」の被害の概要、および投下後の動きなどの共通部分についての記事が現在ないようなので、それを補足する記事とする。 --Clapon
中継点自体が不要
  • 他言語版のために中継点を用意する必要があるのか。広島・長崎の記事に直接リンクする方法を検討しては --Avanzare
  • 記事名について

検討事項[編集]

  • 他言語版からの中継点は必要か
中継点を作る(どのような?)
作らずに直接広島・長崎の記事へリンクする(どうやって?)
  • 原爆投下に関する情報をまとめた記事を作るか
記事の内容は?
  • 記事名

まとめてみたところ、このような論点があると考えます。まずは「中継点は必要か」から検討してはどうかと思います。--Clapon 2007年2月3日 (土) 19:22 (UTC)[返信]


2月3日から2月7日までの議論[編集]

目的は共有化できているか?[編集]

Claponさんの改善提案(仕切りなおし)に対して。

まず、するべきことは、具体的に何をするかよりも前に、「本案件の目的は何か」を明確にすることでしょう。

現時点では、他の記事のノート書き込み発言を読む限り、目的の共有化はできていないといわざるをえません。 特にユキポンさんは目的が他の人とは別の方向を向いており足並みを乱していると見受けられます。 (/過去の議論)

まず本案件の発起人であるClaponさんにお聞きしたいと思います。 他の参加者も順次、各自の思うところを表明してみてください。

目的のベクトルが同じ方向に定まれば、解決の道は自ずと開くでしょう。 方向がばらばらのままであれば、何日議論を費やしても、回答は得られることはないでしょう。 --Northface 2007年2月4日 (日) 04:44 (UTC)[返信]

議論の目的は「このページを削除するか、残すか」です。ここに至った削除依頼の議論をお読みください。記事を残す方向で議論が進んでいましたが、Northfaceさんのご指摘で一旦議論を止めて仕切り直しをしたところです。まだ足並みおよび方向性を揃えている最中ですので、足並みがそろっていないと指摘いただいてもそのとおりであると申し上げる以上にありません。またユキポンさんもご自身の意見を述べられているだけで、ここに参加いただいている方はみな目的は一致していると思っております。もちろん記事を分割する事が決定したわけでもなく、一つの案として出ているだけです。Northfaceさんが記事を分割することを危惧されているのであれば、ぜひ別の案をお出しください。「解決の道は自ずと…」ということですが、道を開くのはノートでの合意を得る以外の方法がありません。--Clapon 2007年2月4日 (日) 06:17 (UTC)[返信]

ここでいう「このページを削除するか、残すか」は既に削除依頼の議論で「残す」結論がでているのではありませんか?(私は削除するに投票しましたが)

「本案件の目的は何か」という問題の焦点はその次のステップです。 「残す」目的が不明確であることです。不明確なまま、残すという結論だけが決まってしまいました。

目的が不明確なために、ユキポンさんのように、既存記事を切り刻んで本記事のコンテンツにするような発想がでてくるのです。

--Northface 2007年2月4日 (日) 06:30 (UTC)[返信]

上記の「改善提案(仕切りなおし)」は、各人が構想する目的を段階的に明確にし、互いに妥協点を探るために設けられたと私は認識しているのですが(少なくとも私は自分の草案は出来ております)。あと、私にはClaponさんの「このページを削除するか、残すか」とは、ここに来て再び記事の削除の提案が出されたため、改めてこの記事を中継点として残すか、それとも中継点など必要ないので削除するか、ということをまず決めたいと主張されているように解釈しております。

なお、私の読解力では「具体的に何をするか」と「本案件の目的は何か」はどのように異なるのか理解できません。とりあえず、Claponさんが設けて下さった改善提案に協力して参りたいと思います。--ユキポン 2007年2月4日 (日) 07:13 (UTC)[返信]

こんにちは。削除依頼のところで気になったので、ちょっと考えてみました。
議論の目的は「このページを削除するか、残すか」であるとして、
    • 他言語版からの中継点として残すか、それは不要として削除するか
    • この項目名、またはそれに類する項目名で、「集約した記事」を作成して残すか、集約した記事が不要、またはこの項目として作ることは適切ではないとして削除するか
の、二つの判断が混在しているようです。
直接対応する項目がない場合に他言語版からの中継点となる曖昧さ回避(的なページ)やリダイレクトの設置については、あってもいいと個人的には思います(無理に作ることもないと思いますけど)。そのような意味で「1945年の広島・長崎に対する原爆投下」あるいはそれに類する項目には存在意義があると思いますし、項目名が日本語版での検索に適さなくてもいいように思いました。まあ、これは独立した議論だと思います。
「集約した記事を作成」というものは、ぼくにも今ひとつ掴み切れていないので、草案をご披露頂きたいと思います。関連する記述をまとめるのか、その場合、元記事がアップデートされた場合にどうやってメンテナンスするつもりなのか、集約した項目でなければ書けない独自のものがあるならそれは何か、といったところがわからないと、議論が進まないように思います。
先に考えをすすめておくと、個々の、ではなく、両方の原爆投下について、同時に考えたり調べたりする場合には、それらを結ぶ何かがあるはずで、それが「太平洋戦争」、「被曝」、あるいは「原子爆弾」「マンハッタン計画」といったものであれば、それぞれの項目にそれぞれに適した概略としての記述と、詳細を参照すべき項目へのリンクがあればよいと思います。「被害の概要」「投下後の動き」などは、まずは広島・長崎の個々の記事や、上に挙げた各項目へ記述される必要があるもの、ではないでしょうか。
概説として、全体像を示しつつ、多方面の情報を集約し、各項目への中継地とするのであれば、検索にひっかかりにくい項目名を用いなければ、有用性は低いと思います。たとえば「原子爆弾」を大項目として、そこから流れを作ることのほうが便利ではないかと思いました。
原子爆弾#原子爆弾の使用による被害を、「実戦で使用された原子爆弾」とでもして、関係項目へのリンクを整理した概説を置くのがよいと思いました。広島・長崎の原子爆弾投下に関する情報は、ここから適切な記事にたどり着けるというものになれば、項目が分かれていても、ある程度見通しが得られるようになると思います。
その上で、広島・長崎の多角的な比較など、独自の項目が必要ということなら(たとえば「被曝」では吸収できないというようなことなら)、別途項目を作って執筆するのがよいと思います。いかがでしょう。--Ks aka 98 2007年2月4日 (日) 09:24 (UTC)[返信]

Ks aka 98さん始めまして。意見表明ありがとうございます。

さて私の「本案件の目的は何か」という課題について、Claponさんもユキポンさんも誤読しているようなので再度説明します。

本記事は「Wikipedia:削除依頼/1945年の広島・長崎に対する原爆投下」にて削除議論がなされ、既に削除しないという結論がなされています。私は削除するに投票しましたが、だからといって今更この結論を覆そうとしているわけではありません。

私が再三に疑問を呈しているのは「記事を存続するとして、それではこの記事の目的は何?」という件です。 この記事の目的に関しては、今まで曖昧なままに放置され、目的を置き去りにして実体をどうするかの議論に拙速に移行してしまいました。そして、先に発言したように「ユキポンさんのように、既存記事を切り刻んで本記事のコンテンツにするような発想がでてくる」という懸念につながるのです。

従い、実体談義よりも前に「この記事の目的は何?」という議論を尽くして、目的のベクトルを揃えておかない限り、議論は迷走するばかりでしょう。

それでは皆さんの積極的な意見交換をお待ちします。

--Northface 2007年2月4日 (日) 10:37 (UTC)[返信]

んーと、目的が問われている「記事」てのは、「内容はともかく広島と長崎をまとめたこの項目」を指すのか、「そこに書かれるであろうものとして検討されている<集約した記事>なり<中継地>なりといった記述内容」を指すのか、てのがわかりにくいかもしれません。あと、中継地/中継点てのが、他言語版からのリンク先としての存在ではあるとして、Northfaceさんの意見として、「曖昧さ回避的な記事に多少の解説」なのか、もっとしっかりした概説なのか、がちょっと見えにくいように思いました。
他言語版からのリンク先として残すかどうかは、この項目を他の記述に使わないと決まったところで削除依頼に出してみんなの意見を問うのがよいと思います。
それと別に、なんか記事を書くなら、別段議論せずに書きたい人が書いちゃってもいいと思うんですが、項目名とか他の項目との兼ね合いで書きにくいので、書くに至らないのであれば、ここで検討するのもよいと思います。書きたい人から、こういうの書こうと思うんだけど、と、叩き台が出てくれば、みなで話をすることもできるでしょう。
何が記述されるのか、ということを考え、必要だと結論が出れば、どこに置くのがよいかという話に進み、「広島と長崎をまとめた独自の項目」とするのが適当ならば、それで、議論は終了します。既存の項目に加筆する、または不要であるという結論が出れば、削除依頼を出して、他言語版からのリンク先が必要かどうか、という審議をすることになるのだと思います。--Ks aka 98 2007年2月4日 (日) 11:42 (UTC)[返信]

「目的は何か」について、Claponさんの提案通りのやり方で明らかにしていけばいいと思うのですが。

「他言語版からの中継点は必要か」 → 「単なる中継点か、集約した記事か」 → 「具体的にどのような記事か」

といった段階を踏まえた議論を交わせば、もっとわかりやすい話し合いが出来ると思うのですが。--ユキポン 2007年2月4日 (日) 12:47 (UTC)[返信]

その段取りに沿えるように、最初の分についての意見を上にもコピペしておきました。2段階目の問題設定に、ちょっと食い違いがあるように思い、上記のように書いてみました。--Ks aka 98 2007年2月4日 (日) 13:23 (UTC)[返信]

「削除するのか残すのか」の再議論[編集]

Ks aka 98さん、Northfaceさん、ユキポンさんご意見ありがとうございます。Northfaceさんのご意見の「削除議論がなされ、既に削除しないという結論がなされています」の部分が私の認識と違います。私は当初、この記事は不要だと思い削除依頼を出しましたが、多くの方に削除せずに生かす方法があるとコメントをいただきました。一方、私と同じく削除票を入れられた方もいらっしゃいます。そこで一旦削除依頼は取り下げて、削除するのか残すのか残す場合はどうするのかについてこの場で議論したい(=削除依頼での議論の延長)を行いたいのです。 当初は集約した記事を作るという意見が多く、私もその方向で検討したいと思っていますが、一方不要であるという意見もいただきましたので、今一度その部分を確認したいと考えています。Ks aka 98さんには具体的なご意見をいただきありがとうございました。私自身にまだ明確な意見を持っておりませんので、こちらから具体的な提案をすることが出来ず、議論を拡散させて申し訳ないと思っております。しかし意見を持っていないからこそ多くの方の意見を聞き、一致点を見出していければと思っております。--Clapon 2007年2月4日 (日) 13:52 (UTC)[返信]

ああ、「削除議論がなされ、既に削除しないという結論がなされています」については、終了判断者としては、削除依頼取り下げ、および単にこの項目そのものを削除すべきかどうかという判断が、移動による対処なども考えられたこと、加筆などの可能性があり、議論を継続させる場として、当該ノートが失われることは好ましくないこと、を勘案して存続としました。議論の末に、再度削除依頼を提出することを妨げるものではないということは、コメントとして残したつもりです。まあ、どうしても削除しなければいけない理由がある案件ではなく、不要かどうかについての意見を広く問うということであれば、審議対象を絞り込むことが望ましいと思います。ということで、どうですか>Northfaceさん。--Ks aka 98 2007年2月4日 (日) 14:14 (UTC)[返信]
Ks aka 98さんは勘違いされているようですが、ノートも削除に提出するのであればともかく、さもなければノート自体は存続し続けます。仮に項目本体自体が結局削除に相成るとしても、削除自体の履歴的な問題からもこのノートは存続であるし、そうあるべきです。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年2月4日 (日) 14:54 (UTC)[返信]
ああ、すみません。本項目が削除となった場合、ここのノートは残りますが、ここのノートで議論が行われる必然性が薄まるため、議論の場所が拡散する可能性もある、みたいな意味でした。「継続させる場として」→「失われる」という意識です。失礼しました。--Ks aka 98 2007年2月4日 (日) 16:15 (UTC)[返信]
過去に本記事は一旦削除されている[編集]

議論の視点が各人で異なることが、また一つ明らかになったようですね。

Claponさんの真意は「削除するのか残すのか」を再度の議論喚起でした。

議論の全体は「残すとして具体的にどうするのか」のようなの流れでしたから、これとは全く食い違っていました。Claponさんはもっと前の段階の議論をしたかったのですね。 それでは、Claponさんの提案により「削除するのか残すのか」の再議論の仕切り直しを行いましょう。

私の意見は旧削除依頼に書きましたように「削除すべき」です。 (参照:Wikipedia:削除依頼/1945年の広島・長崎に対する原爆投下

この記事「1945年の広島・長崎に対する原爆投下」は名称も奇妙なので履歴を調べてみると、おかしなことに気付きます。本文の履歴よりもノートの履歴の方が1年も長いのです。さらにノートの履歴の一番最初の編集要約も妙なものです。

>2005年8月18日 (木) 00:39 Tomas (ノート:1945年の広島・長崎に対する原爆投下 を ノート:広島原爆投下 へ移動: ノートでの合意形成しない状態での勝手な移動のため)

1年半前に何が起こったのかは当事者にきくしかないでしょうが、推測するに移動を伴う編集合戦があったのは間違いないことでしょう。しかし、一度移動をすれば、本体の記事が残るはずです。本体の記事の履歴が 2006年4月22日からしか始まっていないということは、「過去のある時点で本記事は一旦削除された」と理解するしか辻褄が合いません。恐らくその削除理由は「編集合戦の過程にできたゴミの削除」のような単純なものであったのでしょう。2006年4月22日にその過程を知らない第三者が記事を復活させてしまった。恐らく、このようなことがこの記事の過去の経緯でしょう。

以上のように履歴の調査による知見の後は、「削除すべき」との思いが一段と高まりました。

(追記)以上のような状況が明らかになった上は、Wikipedia:削除依頼/1945年の広島・長崎に対する原爆投下の結論「議論の結果、存続 に決定しました」は不適切ですね。「差し戻しに決定しました」のように修正すべきと思われますがいかがでしょうか?>Ks aka 98さん

--Northface 2007年2月4日 (日) 14:45 (UTC)[返信]

Northfaceさんも勘違いされているようですが、削除依頼ページにおける「存続」は、「削除か存続か」という上でのものであって、差し戻しだろうと期限経過による暫定保留であろうと「存続」は「存続」です。修正する必要は特に感じられません。また「以上のような状況が明らかになった」のは現在の時制に於いてであって、削除審議の時制ではそこまで明白な概念ではなく、それを遡って修正するのは奇妙に思えます。削除依頼ページは飽く迄も削除審議の記録であって、(暫定的であれ)結論が出た後のことは削除依頼ページ自体には関係の無いことですし、そこに手を加えるのは改竄にも繋がるでしょう。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年2月4日 (日) 15:14 (UTC)[返信]
Northfaceさんは少し勘違いをされているようですが、議論の目的は確かに「削除するか残すか」ですが、削除依頼からこちらにこられたみなさんは「残すべき」という前提で議論に参加されています。ですので、そのあたりの議論が飛ばされて「残す」というのは共通の認識になっておりました。しかし参加者が増えたことで、もう一度その認識をあわせたほうがよいと思い直し、論点をまとめて仕切りなおそうと思った次第です。Northfaceさんは論点が不十分とのことですが、具体的にどのような論点を挙げれば議論に参加していただけるのでしょうか?ご教授願います。削除依頼についても勘違いをなさっているようですが、٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥さんのご意見と私の意見は同じです。今は削除しないという意味で存続となりました。削除しないと決定されたKs aka 98さんのご判断にはなんら問題ないと思います。実際に、再提出を妨げるものではないとのコメントをいただいておりますし、一旦取り下げという主旨を理解していただけていると思います。--Clapon 2007年2月4日 (日) 15:36 (UTC)[返信]

皆さん色々と御意見があるようですが、出来れば「削除するのか残すのか」の意見については上記の「他言語版からの中継点は必要か」に簡潔にまとめた上で書いて頂けるとありがたいです。--ユキポン 2007年2月4日 (日) 15:19 (UTC)[返信]

そこに書くのは構わないとは思いますが、「この項目は必要か」というのと「他言語版からの中継点は必要か」という概念は違う気もします。で、少し考えたのですが、「この項目は不要」と考えている人にとっては「他言語版からの中継点は不要であるし、中間的な記事もいらない」という意見であると思います。ならば、とりあえずは「必要か否か」は棚に上げておいて、必要だと考えている人に、何故に必要であると思うのかをざっと述べて頂き、そこから浮かび上がる恐らく複数の事由を以ってしても尚、不要であると思われるかどうかと照らし合わせる、という方が良いのではないでしょうか。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年2月4日 (日) 15:31 (UTC)[返信]

Claponさんのこのセクションの最初の発言から引用「削除するのか残すのか、残す場合はどうするのかについてこの場で議論したい」。

従い、私は新たな議題提議と判断しました。 しかし、次の発言では、「「残す」というのは共通の認識になっておりました」とあります。

これでは正反対の発言です。結局のところ、Claponさんが何をしたいのかが見えなくなってきました。

ある意味で今回の議論を混乱させているのは、発起人のClaponさんご自身なのかもしれません。 Claponさんにはご自身の頭の中をもう一度整理されることを勧めます。

--Northface 2007年2月4日 (日) 17:07 (UTC)[返信]

なかなか正確にこちらの意図が伝わらなく、自分の文章力のなさに恥じ入るばかりです。もともとの議論の発端は「削除するか残すか」というところでしたが、その論点を踏まえたうえで「残す」というご意見の方ばかりでしたのでその方向で話が進んでいたという事実を述べたかったのですが…。Northfaceさんのおっしゃるように私が議論を混乱させているのでしたら、議論に参加なさっているみなさんには大変申し訳ありません。
私からもNorthfaceさんにお聞きしたいことがあります。Northfaceさんは当初「議論の方向が各人でばらばら」「この記事は中継点に徹するべき」というご意見でした。これは新しい意見でしたのでもう一度論点を明確にしようと思い、仕切りなおしとして論点のまとめをし、議論の方向性を合わせようと考えました。次に「議論の目的が明確でない」とおっしゃいましたので目的を述べさせていただきました。さらに「議論の方向性がばらばらなことが明らかになった」とおっしゃっております。
私は、議論を重ねる中で方向性を見出せればそれでよく、またそれを見出すために建設的な議論を行いたいと思っています。「議論の方法」について議論するのではなく、記事の内容について議論をしたいと思っています。そこで、
  1. Northfaceさんはこの記事内容について議論に参加なさる意思がありますか?
  2. どのような論点であれば、議論に参加していただけますか?具体的にあげてください。
  3. 「中継点に徹する」という具体的な意見をお持ちであれば、その案をお聞かせください。
以上、3点の質問にお答えいただけませんでしょうか。--Clapon 2007年2月5日 (月) 18:26 (UTC)[返信]
Claponさんの一連の発言は、どこも矛盾していないと思うのですが。2月4日(15:36)のClaponさんのコメントは、「議論の目的は確かに「削除するか残すか」ですが」と前置きした上で「削除依頼からこちらにこられたみなさんは(中略)共通の認識になっておりました」と述べられています。つまりこの項目の最初の「削除するのか残すのか~議論したい」は参加者全体に対する呼び掛けで、「~共通の認識になっておりました」は削除依頼から移動された方々の現状の説明であり、何ら不自然な点は見当たりません。少なくとも今回の件では、何ら御自身の文章力を恥じる必要などありません。
Northfaceさんには「ご自身の頭の中をもう一度整理されることを勧めます」と相手を注意する前に、まず相手の真意を十分に見極めるよう努めてから注意なり批判なりして頂きたいです。なお、私からもClaponさんが挙げられた質問の御回答をお願いします。
あと、٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥さんの2007年2月4日(15:31)の御意見を考慮し、「削除するか残すか」の投稿フォームの題名を「この記事は必要か不要か、その理由は」に変更させて頂きました。--ユキポン 2007年2月5日 (月) 21:22 (UTC)[返信]
議論の経緯2月5日迄[編集]

経緯です。私の疑問、

>「このページを削除するか、残すか」は既に削除依頼の議論で「残す」結論がでているのではありませんか?(--Northface 2007年2月4日)

に対して

> 「削除するのか残すのか、残す場合はどうするのかについてこの場で議論したい」(Clapon 2007年2月4日 (日))

のような反論がだされました。

従い、それにあわせて、

> 「Claponさんの提案により「削除するのか残すのか」の再議論の仕切り直しを行いましょう。」(--Northface 2007年2月4日 (日) )

と提案したところ、

> 「「残す」というのは共通の認識になっておりました」(Clapon 2007年2月4日)

とまた逆の発言をされます。

これでは議論自体ができないので、

> 「Claponさんにはご自身の頭の中をもう一度整理されることを勧めます。」(Northface 2007年2月4日 (日) )

Claponさんは「自分の文章力のなさに云々」と発言されていますが、文章力の問題ではありません。考えがまとまっていないのです。

質問には簡潔に回答しておきます。

  1. yes
  2. 既出
  3. 既出

ユキポンに対しては、ご自身の意見が他者と大きく異なっている(ずれている)という認識はできていますか? 違いを認識することが第一歩ですよ。

--Northface 2007年2月5日 (月) 22:52 (UTC)[返信]

議論に参加いただけるということで、大変ありがとうございます。そうでしたら、上部で論点を絞って少しずつ議論を進めようとしておりますのでそちらでご意見をお伺いします。2月4日の時点でNorthfaceさんから「仕切り直しを行いましょう」とのご提案を確かにいただきましたが、それ以前に私も同じ提案をしております。(十分に意図が伝わらず申し訳ありませんでしたが。)論じたい点は一致しているように感じるのですが、フォーマットに沿ってご発言いただけないのは議論の進め方に不満をもたれているからでしょうか?私の考えがまとまっていないため論点があやふやだと思われるのであれば、議論をより建設的にするために具体的な論点を提案いただけると助かります。私に遠慮なさることはありません。なお個々の意見については、今の段階では揃えるよりむしろさまざまな方向性が出たほうがよく、今後話し合う上で揃えていけばよいと考えておりますので、意見の方向が異なるというご指摘はこの議論になんら貢献しないものだと思います。今後はお控えください。 --Clapon 2007年2月6日 (火) 01:30 (UTC)[返信]


引き続き「この記事は必要か不要か、その理由は」で御意見をお持ちしています。現在4名の投票が行われ、いずれも「必要」とのことです。このまま何日経過しても新しい投票が行われないか、今後も多数の「必要」の投票が続くなら、次の段階の投票に移りたいと思います。よろしくお願いします。--ユキポン 2007年2月6日 (火) 13:36 (UTC)[返信]

ノートは上から下へが基本であり(wikipediaのガイドラインにも記載されています)、上にいったり下にいったりすると議論が分裂して望ましくありません。それに「フォーマットに沿って発言」するためには、議論の道筋がきっちりとできていることが必要です。しかし現状では議論の道筋に至る前提の目的の共有化できていません。前途は極めて危ういと思われます。私はClaponさんにはこの種の議論の議長を担うには荷が重すぎるのではないかと心配しています。

(追記)ユキポンさんへ。今回のClaponさんの呼びかけは意見募集であり、「投票」ではありません。お間違えなきよう。

Northface 2007年2月6日 (火) 13:45 (UTC)[返信]

意見の変更[編集]

前回、「広島・長崎の記事の重複部分をまとめ、このページに記載する。」という提案をした者ですが、重複部分が殆ど無いため、ほぼ不可能であると判断したため、以下のように変更をします。

  • 記事名においては「広島市・長崎市への原子爆弾投下」へ(これはそのまま)
  • 双方(広島と長崎)の記事についての基本的な概要および共通点をまとめたものの上に、さらに海外の見方を加えたものになれば(世界全体としての)NPOVの上でも好ましいのではないのだろうか。(→利用者:٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥会話 / 投稿記録氏の提案とほぼ同じ)。
  • 双方(広島と長崎)の記事への影響は極力減らす。

以上のように私の提案を変更します。--T.Saito(会話/履歴) 2007年2月4日 (日) 11:40 (UTC)(修正--T.Saito(会話/履歴) 2007年2月4日 (日) 11:45 (UTC)) (意見をこの記事は必要か不要か、その理由はに転載しました。)--Clapon 2007年2月11日 (日) 12:50 (UTC)[返信]

2007年2月4日 (日)AM3 以後の議論[編集]

Claponさん、論点をまとめて頂きありがとうございました。各人の総論を最初からぶつけ合っても多大の時間と労力が費やされますので、段階を踏みながら一つ一つ論点を絞った方が能率的であると考えます。よって争点ごとに項目を設けていきたいと思います。--ユキポン 2007年2月4日 (日) 03:22 (UTC)[返信]

この記事は必要か不要か、その理由は[編集]

私は「必須ではないが、あった方が良い」という考えです。勿論、他言語版の記事内容によって日本語版が左右される義務はないのですが、ある程度は他言語版との兼ね合いを考慮しても良いと思います。そして中継点を作成してはいけないという禁則条項がない以上、ほとんどの他言語版が広島・長崎への原爆投下記事を統一している現状では、どのような形にしろ何らかの中継点を設けた方がWikipedia全体にとっては有益であると感じます。--ユキポン 2007年2月4日 (日) 03:22 (UTC)[返信]

「記事」が意味するところを限定してほしいと思いました。直接対応する項目がない場合に他言語版からの中継点となる曖昧さ回避(的なページ)やリダイレクトの設置については、あってもいいと個人的には思います(無理に作ることもないと思いますけど)。そのような意味で「1945年の広島・長崎に対する原爆投下」あるいはそれに類する項目には存在意義があると思いますし、項目名が日本語版での検索に適さなくてもいいように思いました。概要的なものを、この項目名の元に加筆することについては、やや否定的です(あと、これは投票ではないと認識していますが…)。(下の書き込みから移動)2007年2月4日 (日) 13:12 (UTC)、(修正)--Ks aka 98 2007年2月6日 (火) 13:45 (UTC)[返信]

「あった方が他言語版も含めた利便性や整合性の面でベターである」が、まず先にあります。その上で共通概要云々、既に記したような事柄を盛り込むことで、結果的に日本語版自体の記事の充実化も図れるものと期待しています。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年2月5日 (月) 23:47 (UTC)[返信]

「あったほうがよい」という考えです。理由は他言語版から日本語版原爆投下関連の記事へのリンク方法が一意ではなく、英語版は広島と長崎両方に、それ以外は広島のみという状況ですので揃えたほうがよいと思うからです。これは必ずしもこの記事が必要という理由にはなりませんが、広島・長崎を同等に扱いたいと考えているため{{otheruse}}での曖昧さ回避よりもまとめた記事を設けたいこと、将来的に「原爆投下」に関して包括的な情報が得られる記事に発展することを期待していること、この二点によりあったほうがよいと考えます。--Clapon 2007年2月6日 (火) 01:01 (UTC)[返信]

記事を削除するかどうかの判断は確定しておらず、これから議論により定めるととらえてよろしいのですね?>Claponさん

そうであるならば、私の意見は「削除すべき」です。

その理由は既に削除依頼のページで述べています。

無意味なページ。「曖昧さ回避のページ」でもなければ、「このようなキーワードで検索する可能性は低い」に同意。存続させても今後に混乱の種を生むだけ。(Northface 2007年1月31日)

また本記事の履歴調査で得た知見も、本記事が削除すべき対象であることを裏付けています。 再び同じことを書き連ねるのも冗長ですから、リンク先をみてください。

#過去に本記事は一旦削除されている(Northface2007年2月4日 )

(追記)上でKs aka 98さんが書かれているように、これは「投票」ではありません。ウィキペディアは基本的には「合意」により編集を進めるものであり、投票は次善の策です。また、投票のルールの形でもありません。 (念のため、追記しました)

--Northface 2007年2月6日 (火) 13:45 (UTC)[返信]

失礼。今はまだ投票や議論の段階では無く、今回、この議論に参加されている各個人自身のお考えをざっと述べて頂き、その上で意義の有無を考察しようとしています。なので、確定しているとかいないとか、そうした事は一切関係無く、自身のすっぴんの意見を書いて頂きたいと思います。「そうであるならば」と仰る以上、「そうでないならば」他のご判断があるものと存じます。それでは、それは果たして何なのでしょうか。逆に、どのような事情であれ「削除すべき」とお考えであるならば、余計な条件詞を入れるべきではありません。混乱を招きます。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年2月6日 (火) 14:55 (UTC)[返信]

「そうでないならば」他のご判断とは何かですか? それはもちろん、「記事を削除するかどうかの判断は確定」しているです。以前は私はそうであるととらえていましたが、現在ではあやふやになっています。

なぜあやふやなのかは、以下のリンク先を参照ください:#議論の経緯2月5日迄

従って、先の質問につながるのです。

記事を削除するかどうかの判断は確定しておらず、これから議論により定めるととらえてよろしいのですね?>Claponさん

このような背景でした>٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥さん

--Northface 2007年2月6日 (火) 15:44 (UTC)[返信]

記事名は「広島市・長崎市への原子爆弾投下」へ。双方(広島と長崎)の記事についての基本的な概要および共通点をまとめたものの上に、さらに海外の見方を加えたものになれば(世界全体としての)NPOVの上でも好ましいのでは。広島と長崎の記事への影響は極力減らす。 --T.Saito(会話/履歴) --(下部から転載)Clapon 2007年2月11日 (日) 12:50 (UTC)[返信]

まとめ (2007年2月11日 (日)まで)[編集]

他の方からのご意見がありませんでしたので、このあたりでまとめたいと思います。「この記事」という定義が曖昧でしたので、単純に記事としての存在必要性と、中継点の必要性としての意見が混在してしまったように思います。ごく簡単にポイントだけまとめました。

まとめてみると、1945年の広島・長崎に対する原爆投下という記事の存在自体についての意見と、そこからやや離れた「中継点としてのまとめ記事が必要か」という論点に分かれているように感じました。「中継点が必要」派は今の記事を発展させて、という意見が多く、現在の記事を残す残さないという議論の一歩先に進んでいると思います。また、この議論が進めば、1945年の広島・長崎に対する原爆投下を残すかという結論も出ると思われます。そこで残すかどうかという議論よりも先に、この記事が果たしている「広島・長崎への中継点」という役割が必要か、必要であればどのように実現するかについて議論したいと思います。(忙しさにかまけてまとめに時間がかかってしまい、すみませんでした)-Clapon 2007年2月11日 (日) 13:39 (UTC)[返信]

中継点の必要性と実現方法[編集]

この記事は必要か不要か、その理由はで伺った意見によると、他言語版から「広島・長崎の原爆投下」への記事へ誘導するための中継点があったほうがよいのではという意見が多かったので、その実現方法について検討したいと思います。中継点の案として以下のものを考えます。

  1. 現在の1945年の広島・長崎に対する原爆投下のままのイメージ(単なるリンクのみ)
  2. 現在の記事に加筆する
    1. 広島・長崎への記事へ誘導することを主目的として加筆。(参考:エルサレム聖書
    2. 各記事へ誘導するだけでなく、原爆投下関連の包括的情報が得られる記事とする
  3. 曖昧さ回避ページは設けず、他言語版から直接広島・長崎の記事をリンクする

これらの案の中から(短期的・長期的に)どうするべきかご意見を伺いたいと思います。またこれ以外に案があれば追加してください。-Clapon 2007年2月11日 (日) 13:39 (UTC)[返信]

コメント・意見

  • Claponさん、まとめ作業お疲れ様です。さて、私の意見は今まで通り2-2の「原爆関連のまとめ記事作成」です。まず3については、英語版同様に2つのリンクを貼り付けねばならず、正確さに欠けます。本来の目的を考えればリンクに徹しても構わないのですが、可能であれば現在の原爆投下関連の情報が偏った状態で散在する現状を、この記事によって是正することが出来ればと考えています。--ユキポン 2007年2月11日 (日) 15:24 (UTC)[返信]
  • 1,2-1が好ましい。2-2については、現状反対します。理由などについては、現時点では問われていないと考えますので、より具体的な意見を交わすべき次のステップを待ちたいと思います。3については、「広島長崎」の記事を一方に張ることになるという前提かと思われますが、それはそれでよいと思います。--Ks aka 98 2007年2月12日 (月) 18:43 (UTC)[返信]
  • 記事を削除するのがベスト(すなわち、3)だが、そうでないならば今まで通り(1です)とする。理由は書かないでよいのですね。2-2は反対。目的と手段が逆転してしまっている。中継点が中継先の記事を壊してはいけない。--Northface 2007年2月13日 (火) 00:43 (UTC)[返信]

記事の目的は何か?[編集]

まとめを拝見いたしました。「記事としての存在必要性と、中継点の必要性としての意見が混在」しまっているという感想には同感します。

しかし、なぜこうなってしまったのかの原因は「この記事という定義が曖昧」というだけではありません。以前にも申しましたが、今回の論議において、目的が共有化されていないからです。 前回の問題提議の詳細は#目的は共有化できているか?のセクションをお読みください。

そのときの「目的は何か?」の問いかけに対して明確な回答をできるものが誰も出てこず、結局、目的があいまいなままで議論だけが続行するというパターンが定着してしまいました。

もう一度、問題提議を致します。「この記事を残す目的は何ですか?」、もっとはっきり言えば「この記事の目的は何ですか?」

もともと本記事は過去の編集合戦の移動の残骸跡でした(参照:#過去に本記事は一旦削除されている)。すなわち一旦削除されてノートだけが残っていたところを第三者が間違えて曖昧分岐記事を立ててしまったような由来の記事です。 そのような場所に新たな価値を求めるには相応の目的が必要です。

これが不明瞭なままただ実体をどうするかの議論を進めれば、また以前のように「既存記事を切り刻んで本記事のコンテンツにするような軽率な発想がでてくる」可能性は大でしょう。

それでは皆さんの積極的な意見交換をお待ちします。

--Northface 2007年2月11日 (日) 16:58 (UTC)[返信]

この記事のもともとの目的がどうだったかや経緯は、作った人でないとわからないのではないでしょうか。この節では、この記事から一旦離れて、中継点は必要か、どのように実現するかについて話し合いたいと思っております。それを通じてこの記事の処遇を考えればよいと思っております。Northfaceさんは中継点が必要かどうかについてどうお考えですか。(それから、他の方の意見と区切りがわかりにくいので改行をなるべく減らしていただけると助かります。)--Clapon 2007年2月11日 (日) 18:01 (UTC)[返信]

「この記事の元々の目的?」違いますよ、「今から作ろうとしている内容の記事はどのような目的なのか?」です。

それでは最初にClaponさんにこの質問をしたいと思います。 その他のノート議論参加者も順次に考えてみてください。

あと、改行云々についてですが、私は署名を行頭から行うことによって、発言の分離を図っています。 Wikipediaのノートはベタ一面なので、会話に使いにくいのが難点ですが、 これはわかりやすいので他の人にもお勧めです。

--Northface 2007年2月11日 (日) 18:10 (UTC)[返信]

いまはその「記事の目的」を明確にするために議論しようとしているのですが…。みなさんがどういう記事がいいかという意見はこの記事は必要か不要か、その理由はであげていただきましたので、今はそれで十分かと思います。その意見を踏まえて、どうするかを考えていきましょう。--Clapon 2007年2月11日 (日) 18:44 (UTC)[返信]

Claponさん自身が考える「今から作ろうとしている内容の記事はどのような目的」なのでしょうか?

--Northface 2007年2月12日 (月) 00:28 (UTC)[返信]

私はこのような議論に参加する意思はありません。この記事をどのような目的で構成するかは各々で意見が異なっており、最初から「記事の目的は何か?」と総論をぶつけ合えば、議論をまとめるのは困難です。それよりもClaponさんが提案して下さったように、段階的に一つの争点について議論する方が効率的であると考えます。どうしてもClaponさんのやり方に納得できないのであれば、どうぞNorthfaceさんの提案に賛同する方々だけで議論して下さい(Northfaceさんに賛同する方が他にいればの話ですが・・・・・・)--ユキポン 2007年2月12日 (月) 15:49 (UTC)[返信]
ユキポンさん、その論調は少し挑発めいていると思われますよ。ともあれ、議論中であり、本質的にはマナー違反ではあるとは思われる反面、記事のビジョンが明確になっている人が率先して編集していき、「こういうものだがどうか」と達してしまう事も有りと考えます。自分には漠然としたビジョンはあるのですが、いかんせん、専門分野外のテーマであり、「どうだ」と見せられるような記事に仕立て上げられないところが恐縮です。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年2月12日 (月) 16:00 (UTC)[返信]


ユキポンさんはまた議論の枠組みを崩そうとしていますね。どうか前回の過ちを思い出してください。

私の問いかけは単純です。

今から作ろうとしている内容の記事は目的は何か?

このノートに参加する人なら回答をもってしかるべきです。(無いなら、そもそも議論に参加する動機が私には理解不能)

その過程で「この記事をどのような目的で構成するかは各々で意見が異な」ることは予想の範囲であり、「議論をまとめるのは困難」とはじめから断念してしまうのならば、「合意」に基づく決定などできないことになります。

先日、「ユキポンさんが自分の意見と他の参加者たちの意見との違いに認識することが第一歩です」とアドバイスしました。意図するところは同じです。「各々で意見が異なる」のは当たり前のことであり、それを認めた上で「合意」を探していくのがWikipediaのスタイルです。

それでは、ユキポンさん自身が考える「今から作ろうとしている内容の記事はどのような目的」なのでしょうか?

--Northface 2007年2月12日 (月) 15:55 (UTC)[返信]

ええと、議論の方向がまた発散しそうになっているので…。まず「記事の目的を明確にしてから議論するべき」というNorthfaceさんのご意見と、「記事の目的は合意で決めればよい」という私のスタンスがそもそも一致しないということに気づいていらっしゃいますでしょうか。スタンスが違いますので、記事の目的をどう考えているのか?と聞かれてもNorthfaceさんの望むような答えを返すことは出来ないのです。もしそのやり方を正したいとお思いであれば、質問を重ねられるのではなくどの部分を改善したらよいのか具体的に指摘してください。そうでなければ、この点に関してはいつまでたっても平行線のままです。私にはNorthfaceさんがなぜ「記事の目的」を議論の前に明確にすることに固執されているのか理解できないのです。
どうも誤解されている部分があるようですので、もう一度経緯をまとめてみます。もともとこの記事を削除依頼に出したのは私です。その時点ではこの記事は不要だと考えていました。しかし、削除依頼の議論の中で多くの方の意見をいただき「削除するか存続するか」をこのノートページで検討することにし、削除依頼を取り下げました。そしてこの場所で「削除するか存続するか」の議論をしようとしているところです。削除依頼の議論の中で、この記事をどうするかさまざまな意見が出てきました。一方、私はこの議論が始まった時点で明確なビジョンを持っておりませんでした。(もともと削除するつもりでしたから)ですから、みなさんの意見を聞きながら、合意を得て一つのビジョンに起こしていければよいと考えているのです。
議論の進め方として、発案者が提案してそれに対して意見を募る方法もあれば、発案者は議長として意見を取りまとめるのに徹する方法もあるでしょう。私は今、後者を選んでいます。Northfaceさんにとってはけしからんことかもしれませんが、発案時点で明確なビジョンを持たずに議論しています。他のみなさんにも同様に、現在の記事体系にこだわらず、自由な発想でアイデアをいただきたいと思っています。しかし、それだけでは論点が発散しすぎるので、段階的に合意を得ながら進めていこうとしております。
Northfaceさんがもし具体的なイメージをお持ちであれば、ぜひ披露ください。私の進めかたに問題があると思うのであれば、私を正そうとするのではなく議論を進めるために力を貸してください。--Clapon 2007年2月12日 (月) 17:45 (UTC)[返信]
なお補足ですが、私を含めたみなさんの考えられている「記事のありかた」はこの記事は必要か不要か、その理由はで出ております。もう一度こちらに目を通していただき、納得できない部分があれば具体的に揚げていただければ、より合意を得られやすくなるのではないでしょうか。Northfaceさんのおっしゃることが間違いだとは思いませんが、あまりに抽象的で、このままでは合意どころか議論が発散して終わってしまうように感じます。--Clapon 2007年2月12日 (月) 17:51 (UTC)[返信]
コメントです。ここはいったんClanponさんの流れにのりませんか? Northfaceさん、ユキポンさんは、互いの発言に反応するのではなく、Clanponさんの問いに応じ、前提となる認識を共有した上で、適切な問題設定下で、意見をぶつけあいましょう。--Ks aka 98 2007年2月12日 (月) 18:49 (UTC)[返信]

Claponさんへ。

”「記事の目的を明確にしてから議論するべき」というNorthfaceさんのご意見と、「記事の目的は合意で決めればよい」という私のスタンス”と書かれていますが、少し違います。 私は各自それぞれ記事の目的を開示していただき、そこから議論して合意妥協できる共通の目的を見出すべきといっているのです。これが第一ステップです。この共通の目的無しに各論に入ると、意見が分かれた際にどちらを採用するかの尺度がありません。

それでは皆さんの積極的な意見交換をお待ちします。

Ks aka 98さんへ。

「前提となる認識」が欠けている実情をお分かりください。この段階で前に進もうとしても、結局、議論が荒れるばかりであることを懸念しています。「合意」とは何かを理解できず、いきなり「投票」などという発言がでてくるのはそのためです。

--Northface 2007年2月13日 (火) 00:30 (UTC)[返信]

私としては、既に書いたように、ビジョンのある人が引っ張っていっても良いと考えています。極論、明確なビジョンを持った文才のある執筆者が独走して記事を作り上げてしまい、「出来ました」と言い、議論参加者が「これならば問題無し」と思えるものが出来るのであれば、それで議論解散と相成るのも有り(それもまた「合意」である)と思います(牛歩的な議論が延々と続くよりは遥かに建設的である)。記述的に難有りと思われたらそこで編集を差し戻せば良いだけの事です。勿論、その際には書かれた記事の何が問題であるのかを具体的に述べ、総意として納得が得られないとならないでしょうが。ともあれNorthfaceさんの意見は失礼ながら、本案件について不要論を唱える上での駄々のようにも感じられます。もし「合意」という言葉が「全ての議論参加者が純然に100%の納得がゆく状態」という意味であると考えておられるのであれば━━無論それが理想であるのは事実ですが━━困難な事であり、間違いがあるようにも思われます。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年2月13日 (火) 00:46 (UTC)[返信]

「不要論を唱える上での駄々」というのは読み間違いです。私の文章を再読してください。私はあくまでも、「合意」にたどり着くには「目的共有」が必要であると述べているのみです。これに反対する人はいないはずですが?

「明確なビジョンを持った文才のある執筆者が独走して記事を作り上げて」とのことですが、確かに学術分野でそのような例もありますね。特に人文分野では「明確なビジョン」と「文才のある」執筆者も具体的に何人かイメージできます。しかし、今回の案件の場合はどうでしょう?ビジョンを示せる人も、傑出した文才がある人も現在の所、見受けられないように感じます。(これは私見にすぎませんが)

さて、このような天才が一人で全てを行うという「理想論」も結構ですが、凡才が協力しあって成し遂げることも格好は悪いかもしれませんが生成物の価値に優劣がつけれらるものではありません。ここでいう「凡才が協力」するためには「合意形成」が重要であることは言うまでもないことであり、そのための「目的共有化」です。ご理解ください。

--Northface 2007年2月13日 (火) 01:27 (UTC)[返信]

記事の目的をおのおの開示し、それを踏まえて合意を得るという方法を希望されているということですね。Northfaceさんのおっしゃる「記事の目的」とは、みなさんが他言語版と同様に「広島・長崎への原爆投下」についてまとめた記事を設けるかこの記事は必要か不要か、その理由はであげられている意見とは異なるものですか?また、Northfaceさんが考えるこの記事の目的を教えてください。--Clapon 2007年2月13日 (火) 17:55 (UTC)[返信]

Claponさんがリンクで示された箇所は目的が明確に示されていないですね。目的をすっ飛ばして実体談義に入っています。

私の考える目的を述べよという問いかけにお答えします。 「この記事には現時点、目的を見出せません」です。

従い、私の考える最善の処置は「記事の削除」です。

それでは、他の皆さんの積極的な意見交換をお待ちします。

--Northface 2007年2月14日 (水) 13:34 (UTC)[返信]

とどのつまり、「自分の意見としては記事の削除しか有り得ない。その自分を納得させるような理由が出てこない以上、自分は首を縦に触れない。故に合意にはならない」ということでしょうか。失礼ながら、それを駄々と呼ぶのではないかと心得ますが。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年2月14日 (水) 15:29 (UTC)[返信]

話の流れを読み誤っています。 まず、参加している各自が各々が考える記事の目的を提示し、そして共有できる目的を模索する、というステップです。 現在は、各自の考える目的を提示する段階です。

私は「Northfaceさんが考えるこの記事の目的を教えてください」というClaponさんの問いかけに対して回答したのみです。それに対して少し邪推が過ぎるようですね。さらに「駄々」という発言に際しては、議論を建設的に行うにあたっては不適切であるとコメントいたします。

٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥さんも「記事の目的」に関して、自由に意見を表明できます。

それでは、他の皆さんも積極的な意見交換をお待ちします。

--Northface 2007年2月15日 (木) 12:06 (UTC)[返信]

もうこのような「議論のための議論」はやめにしませんか? 私が前言した通り、Northfaceさんの示す手法や方針に賛同する人は一人もいないようですね。「記事の目的の明確化」についてはClaponさんが段階的にまとめようとしている最中であり、Northfaceさんが無理に進行する必要性はありません。まして自分が納得いかないからといって他者を巻き込み続けるのは、議論の遅延行為でしかありません。

ともあれ、Northfaceさんの賛同者がおらず「積極的な意見交換」が望めない以上、今後も同じ話を蒸し返すのは御遠慮願います。他の参加者の態度を不服として議論の場を去るか、Claponさんが提示された議論の枠組みに参加されるか、それとも新しい議論の方法を提示するかは御自由にお選び下さい。--ユキポン 2007年2月15日 (木) 16:17 (UTC)[返信]

中継点の存在とその目的[編集]

うーんと、ひとまず「中継点の必要性と実現方法」という具体的な問いに対して、その問いだけでは明らかでない部分については留保した上で答えてみることはできるんじゃないかな、と。

  • 「この記事は必要か不要か、その理由は」の節での意見を踏まえると、少なくとも中継点としては、およそ数的に残すという意見が多数ある、とは言えると思いますし、ぼくとしては、Norcefaceさんは、削除すべきという意見であり、その理由として「無意味なページ。「曖昧さ回避のページ」でもなければ、「このようなキーワードで検索する可能性は低い」に同意。存続させても今後に混乱の種を生むだけ。」を挙げていますが、他言語版からのアクセスについて考えれば無意味とは言えず、日本語版においてキーワード検索でのアクセスが困難であるということは、他言語版からのアクセスについて考える限りは問題とならないということで、ぼくは、「まああってもいいんじゃないか、あったら役に立つかも」という意見を覆すに至らなかった、ということになります。
  • 次のステップとして、中継点とするか、加筆するか、という問いが「中継点の必要性と実現方法」として立てられました。1,2-1はまあ程度問題として中継点としての存在で、選択肢として挙げられていると考えられ、3はすでに退けられているとみなせる案ではないかと思います。ここでの争点は、すでに浮かび上がりつつありますが、2-2について、となるでしょう。ここで意見がわかれたことを確認して、次のステップとして、「原爆投下関連の包括的情報が得られる記事」の具体的な内容についての検討に向かうということになるでしょう。
  • Norcefaceさんが求めている「目的」とは、この「原爆投下関連の包括的情報が得られる記事」の具体的な内容が向かうところ、ではないかと推察しますが、ならば、その問いは、まず、現在の問いについて2-2は受け入れられない、または具体的な内容がなければ受け入れられない、という答えを残し、次のステップへ進んだところで発するのが好ましいのではないかと思います。Clanponさんとは、手順と、おそらく求める議論の速さが異なると思いますが、到達するところは変わらないように思いますよん。
  • いちお、ぼくの「目的」というか、目的という表現はいまいち当てはまらないのですが、それを説明しておくと、他言語版に対応させるというのが残す「目的」で、他の項目との重複を避けるというのが2-2に現状で反対する「目的」でしょうか。現状、というのは、どこまで独自の記述がなされるか、というのがはっきりしない、ということで、その内容によっては加筆に賛意を示す可能性はあります。--Ks aka 98 2007年2月15日 (木) 16:20 (UTC)[返信]


ユキポンさんへ

議論のための議論ではありません。議論をすすめるために必要なステップです。

なぜならば、この記事はそれだけを考えればよいような「単独の記事」ではなく、「現在ある既存の記事に影響を与えること」、これら既存の記事は既にそれぞれ完成度が高いものであること、さらに日本語版の記事のみならず「他国版の記事にも影響を与えること」が想定されています。慎重にならざるを得ないのはやむをえないところでしょう。拙速にして稚拙な結論を避けるためにも議論を尽くしましょう。

Ks aka 98さんへ

ご意見ありがとうございます。 争点が明確になりつつありますね。

さて記事の目的を見出せないため、削除すべし (A)という意見への反論は、他言語版からのアクセスについて考えれば無意味とは言えない (B)との理由でよろしいでしょうか? (他にも意見があるという方は自由にどうぞ)

この(B)を目的とするならば、日本語版においてキーワード検索」については考慮する必要はない(C)とのことですね。

ここで確認したいのですが、(B)の実現のためには他言語版(例えばen:Atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki)のインターリンク先をこの記事に変更すると理解してよいのでしょうか? その場合は、日本語版の「広島市への原子爆弾投下」のインターリンク先はどこになるのでしょう? 「広島市への原子爆弾投下」のインターリンク先を変更しない場合も、変更した場合も、副作用がありそうです。

次に、(B)を目的とした場合、操作のコスト (D)について考えてみることは有益でしょう。 現在の英語版は日本語版の「広島市~」と「長崎市~」の両方にインターリンクが張ってあります。すなわち、現仕様ではワンクリックでそれぞれの日本語版へアクセスできます。ここで (B)の実装をすると、コストは2クリックとなります。

その他の言語版では日本語版の「広島市~」のみにインターリンクが張ってある場合が多いですが、この場合は日本語版の「広島市~」へのアクセスはワンクリック、「長崎市~」へのアクセスは2クリック(広島市への原子爆弾投下#関連項目からのアクセス)となっています。ここで (B)の実装をすると、どちらの記事もコストは2クリックとなります。

このように中継点を実装した場合、他言語版ユーザーからの操作性は向上するとはいえない (E)のではないでしょうか?

それでは、他の皆さんも積極的な意見交換をお待ちします。

--Northface 2007年2月16日 (金) 13:49 (UTC)[返信]

あ、向こうに二つ張ってあるならなくてもいいかな。向こうが一つだけ(広島だけ)だと、作業コスト的には不利ですが、道のりとしては整理されているという点で利があるとはいえるんじゃないかな。hiroshima and nagasakiから「広島」に行って「関連項目」というのは、美しくないと思います。山手線方式なら違和感ないですが、日本語版だけで考えると山手線方式には違和感が。日本語版からのインターリンクは、各言語版の"hiroshima and nagasaki"で副作用はないような。なので、向こうに二つ張る手間、広島冒頭部あたりの処理、中継点設置、の三つのいずれかが満たされるのが望ましい、と、意見修正。--Ks aka 98 2007年2月16日 (金) 15:16 (UTC)[返信]

Ks aka 98さん、きれいにまとめていただきありがとうございました。まさしくまとめていただいた通りのことを考えておりました。Northfaceさんの「削除するべき」という意見は当初の私の意見と同じでしたが、残す意味があるとの意見にも一理あり、私自身も積極的に削除するという意見を持つには至りませんでした。そこで、多くの方が持っている案(Northfaceさんの言うところの実体談義)をまとめるところから始めれば、最終的に一つの目的にたどり着くのではないかと思った次第です。またKs aka 98さんがご指摘のように、Northfaceさんと私は方法の違いこそあれ、最終的に合意を得ることができると思いましたので、できれば方式についてもお互いに歩み寄りたいと思っておりました。進め方については私も反省するべき点がありました。混乱させてすみませんでした。

さて、Ks aka 98さんとNorthfaceさんが提示されている部分について意見を述べさせていただきます。現在は、英語版には広島・長崎双方へのInterlink、それ以外の言語は広島のみへInterlinkという状態です。Northfaceさんは英語版のように2つの記事に直接Interlinkすればコストも低く、ユーザビリティも高いとのご意見ですが、その部分には反対です。英語版を見ていただければわかるように「日本語」「日本語」と二つ並ぶのみで、広島・長崎の記事の区別がつきません。これはかえって不親切でしょう。むしろ統合記事へInterlinkし、そこから各記事に遷移させるほうが2クリックになるとはいえ、操作性は向上すると考えます。また、私も日本語版では「広島・長崎」の山手線方式は違和感があります。それぞれは同等に扱うべきです。したがって、中継点の設置が現時点での最善策だと思いました。--Clapon 2007年2月16日 (金) 17:41 (UTC)[返信]

「日本語」「日本語」のように2つ並ぶのは外語版ではしばしば見られますね。これが許容されている(もしくは推奨されている)ことなのか、それとも暫定的もしくはルールを知らずに行っているものなのかは存じませんが、少なくとも私の目には余り利便的に優れているとは思えません。まぁ、他言語版でどうなっていようと日本語版の知る処では無いと言ってしまえばそれまでですが…。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年2月17日 (土) 01:26 (UTC)[返信]

争点の整理 (2月17日迄)[編集]

Ks aka 98さん、Claponさんへ

ご意見ありがとうございます。 争点が整理されつつあると思います。

記事の目的
この記事の存在目的、すなわちここに中継点を設けるという目的は、「他言語版からのアクセスについて考えれば無意味とは言えない (B)」と規定してよいでしょうか。(他にも意見があるという方は自由にどうぞ)
判断基準
さて、(B)に対立する意見は「記事の目的を見出せないため、削除すべし (A)」ですから、「記事の存在意義」に関する判断は、言い換えれば(B)を理由としてこの記事を削除せず中継点記事を作るかどうかの判断は他言語版からのアクセスが有意に改善している (F)かどうかがポイントとなるはずです。
検証
この(F)の検証方法として「操作コスト (D)」により調査してみると、「中継点を実装した場合、他言語版ユーザーからの操作性は向上するとはいえない (E)」という結果がでました。
異論1
これに対する異論は、他言語版が「広島~」へのインターリンクのみを張っている場合、「長崎~」への道のりが「美しくない」「違和感」(Ks aka 98さんより)という意見があります。曖昧な言葉ですが、すなわちクリック数以外の「操作コスト (D)」で何か評価すべきものがある、ということでしょうか(違っていましたら修正ください)。そうならば、この何か(評価対象)を明確にすればみえてくるものがあるでしょう。
異論2
また現在の英語版から日本語版へのインターリンクが「広島~」「長崎~」の両方に張ってあることが逆に「不親切」という意見が出されました(Claponさんより)。これも曖昧な言葉ですが、インターリンクをクリックしてみないとどちらの記事か分からないということでしょうか(違っていましたら修正ください)。具体的には「長崎~」をみたい人が間違えて「広島~」にきた場合には後戻りをして再度インターリンクを辿ると、操作コストは計3クリックとなります。これを問題視するということでしょうか。
中継点以外の方法
異論1と異論2の双方の根底には、他言語版から日本語版の「長崎~」に辿る際に操作コストが余計にかかる (G)ことがありそうです。「広島~」へは直接インターリンクが張られているので問題ないでしょう。さて、これを「課題」ととらえるならば、その解決策は中継点以外にも考えられます。「Wikipedia:曖昧さ回避」に様々な手法がありますが、別案として「広島~」の冒頭に「長崎~」へのリンクを挿入することがあります。本案件については対象は2記事のみですからotheruseslistよりもotherusesを使う方法 (H)が適しています。


さて実は「広島~」では過去にこの方法を試行されたことがありました。

広島市への原子爆弾投下(2006年10月19日版)、この時、この編集の意味が把握できずにRVしてしまったのは、実はNorthfaceという人です。。。)この版での冒頭は以下のようになっていました。

確かに美しくないです。しかしこれは枠内の文章を調整することで改善可能です。

あるいは、今回の課題は他言語版からのアクセスですから、枠内を「英語で記述してしまう」ことも一案です。

それでは、他の皆さんも積極的な意見交換をお待ちします。

--Northface 2007年2月17日 (土) 03:01 (UTC)[返信]

英語による記述には反対です。ここは飽く迄も日本語版であり、たとえ外語版への配慮を含めた「曖昧さ回避」であったとしても、日本語版に来られる「外語圏の人」は少なくとも「日本語を理解できるか、理解する手段を有する人」です。また、英語圏の人にだけ配慮するというのもどこか中立性に欠けている気がします。コモンズのように多言語対応できるのであればベターではありますが。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年2月17日 (土) 04:01 (UTC)[返信]

Northfaceさんのご意見ですが、気になる点があります。見やすくなるように箇条書きで書きます。

  • この記事の目的=中継点」という点
Northfaceさんは以前「この記事の目的は見出せない。」といわれていましたが、ここでは前回の意見とは異なり、目的が中継点であるといわれています。あの発言以降、中継点にするという目的を見出されたのでしょうか?もしそうであれば、どうしてそう思われたのか経緯が私にはよくわかりませんでした。
  • 中継点のあり方についてはコンセンサスが得られていない
記事の目的の一つは他言語版からの中継点である、という認識はNorthfaceさん以外の方からはあがっておりましたが、その実現方法については人それぞれ異なった意見でした。したがって具体的にどのような方法で中継を実現するかについては、現時点でコンセンサスが明確には得られておりません。Northfaceさんに具体的な案を出していただきましたので、この案がどういう中継点として想定されたものなのか教えてください。そのほうが議論の目的が明確になるため、他の方も発言しやすいのではないでしょうか。

以上2点の疑問がありますので、お答えいただけませんでしょうか。よろしくお願いします。--Clapon 2007年2月17日 (土) 20:31 (UTC)[返信]

続いて、Northfaceさんの案に対する意見です。٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥さんと同じく、英語による記述は反対です。もちろん、他言語版から広島・長崎の記事へリンクすることが目的の一つではありますが、わざわざ英語で案内する必要はないでしょう。Northfaceさんの意図がわかりませんので、もしそう提案された深い理由がありましたら教えてください。また、山手線方式や{{otheruses}}による曖昧さ回避については、昨日表明しましたとおり、私は反対です。日本では(日本語版ではなくあえて日本と書きます)広島と長崎は別個の事件として扱うことが多いですし、広島と長崎は同等に扱うべきと考えます。ですので、中継点としてこの記事を加筆し、それぞれの記事に遷っていただくのがよいと考えます。--Clapon 2007年2月17日 (土) 20:31 (UTC)[返信]

Claponさんへ。

意見ありがとうございます。

まず、最初の質問ですが、私Northfaceの意見は「記事の目的を見出せないため、削除すべし (A)」です。それに対立する意見として「他言語版からのアクセスについて考えれば無意味とは言えない (B)」が提出されました。

Aは記事に目的見出せない、Bは目的は「他言語版からのアクセス~」ですね。私の「個人の意見」は前者ですが、自分の意見ばかり主張しても議論が進みませんので、Bについて妥当性があるかどうかを検証しました。 私の「個人」の意見はAですが、それを横に置いて、検証作業を通じて各自が妥協できる合意点が無いかどうかを、必死に捜しているというところです。これで疑問が解けましたでしょうか?

そしてこの検証作業の中で、「中継点を実装しても、他言語版ユーザーからの操作性は向上するとはいえない (E)」ことが判明しました。 それに対する異論が出され、その根底には「他言語版から日本語版の「長崎~」に辿る際に操作コストが余計にかかる (G)」があると想定されました。 ここで中継点以外の方法でも「他言語版からのアクセス」に配慮する方法はあり、「otherusesを使う方法 (H)」があります。すなわち、Bの実現方法は「中継点」に限ったことではなく H もありますし、他にもあるでしょう。

Claponさんはまだ少し誤解されていますが「この記事の目的=中継点」ではないのですよ。先の発言からこの箇所を抜き出します。

この記事の存在目的は、すなわちここに中継点を設けるという目的は、「他言語版からのアクセスについて考えれば無意味とは言えない (B)」と規定してよいでしょうか。(他にも意見があるという方は自由にどうぞ)

すなわち、記事の存在以前に目的設定・課題設定がされ、その解決の一つとして中継点記事の設置があります。「中継点」は目的ではなく、手段の一つです。

私が再三に渡って「目的をまずはっきりさせるべき」と主張した意味が分かると思います。 「目的」を設定すれば、「手段」はさまざまに想定することができます。 しかし、今までの長期に渡る議論は目的と手段を混同してもつれる状態が多々ありました。

目的を明確にすれば、個々の手段について妥当であるかどうかを検証することができます。 これが、議論を通じて「合意」に至る最良の方法でしょう。

私に対する質問の答えは以上でよろしいでしょうか。

--Northface 2007年2月18日 (日) 01:14 (UTC)[返信]

一旦ご自身の主張を置いて、という経緯での発議であることはわかりました。「この記事の存在目的は、すなわちここに中継点を設けるという目的は」という記述から、記事の目的=中継点であると読み取ったのですが、微妙に違ったようですね。目的はまだ明確になっていないが、手段についてまずは議論したいということでしょうか?なんについて議論したいのか、ポイントがよくわかりませんので明確にしていただけませんでしょうか。そのほうが意見を出しやすいです。--Clapon 2007年2月18日 (日) 11:57 (UTC)[返信]

#争点の整理 (2月17日迄)の最初に区分して書きましたのでそれが分かりやすいと思います。繰り返して同じことを書くのも冗長なので今回はそちらを再読くだされば幸いです。それでもまた不明な点があれば、どうぞ質問ください。

「目的はまだ明確になっていないが、手段についてまずは議論したい」ではないですよ。逆です、逆(笑)。 再三、私が主張しているのは「目的をまずはっきりさせるべき」です。 目的すなわち、明確な課題設定なしに手段の妥当性の議論はできません。

前回のポイントを再掲すれば、

目的を明確にすれば、個々の手段について妥当であるかどうかを検証することができます。
これが、議論を通じて「合意」に至る最良の方法でしょう。

です。 この部分はClaponさんも同意して頂けると考えています。

もしこれを転倒すれば、個人の意見のぶつけ合いが延々と続くことになり、どうやって合意形成をしたらよいか誰にも分からない「論争」になり果てるだけです。

それでは、皆さんの積極的な意見交換をお待ちします。

--Northface 2007年2月18日 (日) 14:50 (UTC)[返信]

Northfaceさんの「目的を明確にするべき」という意見と、実際にNorthfaceさんが始めている中継点の実現方法についての議論が、私の中でかみ合わなく、どういう目的でなにをなさりたいのかよくわからなくなってきました。こちらの理解不足の面があると思いますので、どういう方法で合意形成をなさろうとしているのか順を追って教えてください。--Clapon 2007年2月18日 (日) 15:08 (UTC)[返信]

[[#争点の整理 (2月17日迄)|]]は再読されましたか? 再読した上でどの部分が不明なのかをおっしゃってください。

あと「どういう方法で合意形成を~」という質問に対する回答は既に行っています。

目的を明確にすれば、個々の手段について妥当であるかどうかを検証することができます。
これが、議論を通じて「合意」に至る最良の方法でしょう。

それではよろしくおねがいします。

--Northface 2007年2月18日 (日) 15:27 (UTC)[返信]

#争点の整理 (2月17日迄)に書かれている文章はわかるのですが、その文章を書かれたNorthfaceさんの意図が今までの経緯と組み合わせて考えると、やっぱりわからないので質問しています。今までのNorthfaceさんのご主張とどう結びつくのかわからなく、困惑しております。具体的にわからないところは、
  • #争点の整理 (2月17日迄)の議論は記事の目的を明確にするために始められたのですか?
  • 上記の議論からどういう方法で目的を明確にしようとなさっているのですか?私には目的を明確にするのではなく、他言語からの中継点というこの記事の目的の一つの実現にのみスポットを当てて議論しているように思えるのですが。
  • 積極的な意見交換はどういうテーマで行って欲しいのですか?
という部分です。他にもあるのですがまずはこの部分を教えてください。--Clapon 2007年2月18日 (日) 15:46 (UTC)[返信]

んーと、自分の意見はいったん置いておくとして。

広島長崎を同一の記事としている多国語版に対して、広島・長崎が分離している日本語版という状況下で、それに対処するというのが、当面の「目的」、と、中継点を置くという意見からは推察できる。

その場合、anotheruseなど、中継点を置かない対処方法もあるけど、その検討もしないとあかんじゃろ。

というのが、Northfaceさんの進めたい方向てことかな?

で、ユキポンさんほか、加筆を考えてる人は、それ以外の「目的」があるだろうから、それを書いて欲しい、と。--Ks aka 98 2007年2月18日 (日) 16:12 (UTC)[返信]


Claponさんへ、ご意見ありがとうございます。

さて、なんども同じことをいうことになりますが、、、

最初の質問に対しては:

私Northfaceの意見は「記事の目的を見出せないため、削除すべし (A)」です。それに対立する意見として「他言語版からのアクセスについて考えれば無意味とは言えない (B)」が提出されました。
Aは記事に目的見出せない、Bは目的は「他言語版からのアクセス~」ですね。私の「個人の意見」は前者ですが、自分の意見ばかり主張しても議論が進みませんので、Bについて妥当性があるかどうかを検証しました。私の「個人」の意見はAですが、それを横に置いて、検証作業を通じて各自が妥協できる合意点が無いかどうかを、必死に捜しているというところです。これで疑問が解けましたでしょうか?(Northface 2007年2月18日 (日) 01:14)

が回答になります。

また、少し前の発言で

各自それぞれ記事の目的を開示していただき、そこから議論して合意妥協できる共通の目的を見出すべきです。これが第一ステップです。この共通の目的無しに各論に入ると、意見が分かれた際にどちらを採用するかの尺度がありません。(Northface 2月13日 (火) 00:30)

とも表明しています。私は同じことを繰り返し主張しています。

最後の質問に関しては、Claponさん自身が以前に希望されたことです。

一旦削除依頼は取り下げて、削除するのか残すのか、残す場合はどうするのかについてこの場で議論したい(Clapon 2007年2月4日 (日) 13:52 )

全てはそのための議論です。 ここで各人の意見のただぶつけ合いをすれば自動的に「合意形成」されるわけではないことはご理解頂けると思います。そうではなく、論理だてて、課題の構造を分析し、どの解決策が妥当であるかをじっくりと理性的に議論する必要があります。

もう少し説明すると、「削除(A)」でなく「残す」という手段を選ぶということは、すなわち「この記事には存在目的がある」ということです。ではその場合の「この記事の存在目的は何か」を考えることが、この議題における根本の課題設定となります。そこで「他言語版からのアクセスについて考えれば無意味とは言えない (B)」という記事の存在目的が提示されましたので、それについて目的と手段の妥当性(合理性)を検証した次第です。お分かりいただけたでしょうか。

--Northface 2007年2月18日 (日) 16:40 (UTC)[返信]

「中継点とすることの妥当性を検討する」ことが合意形成の第一歩であることは同意します。もともと私が、#中継点の必要性と実現方法で議論しようと思っていたところですから。そこがわからないといっているわけではないのです。Northfaceさんがやろうとなさっているのは、中継点の妥当性を検討というテーマですが、実際は中継の具体的方法の議論になっているのではないでしょうか。今の議論を続けていくことで、最終的にNorthfaceさんが主張されている「目的」にどうやってたどりつこうとされているのかがわからないということです。otherusesにするとか英語でガイドを記載するとかは本質的な問題ではありません。しかし、中継点が必要か、中継の記事を設けるか設けないかは重要でしょう。その議論を差し置いているように思ったので、Northfaceさんの意図を確認したかったのです。ks aka 98さんがまとめられているような主旨であれば、たやすく理解できますので意見もつきやすいと思います。もっと論点を明確にしていただけませんでしょうか。--Clapon 2007年2月18日 (日) 17:05 (UTC)[返信]

Claponさんへ

#争点の整理 (2月17日迄)の項の、「記事の目的」と「判断基準」そして「検証」を、よく読んでください。疑問が氷解すると思います。それでは。

--Northface 2007年2月19日 (月) 13:15 (UTC)[返信]

ちょっと時間が空いてしまってすみませんでした。よく読んでもわからないから質問したのですが、このままだと私の期待するような回答を得られそうにないですし、私の理解不足の点もあるのだろうと思います。私が一歩引いて様子を見たほうが記事の発展のためにもよいと思いますので、Northfaceさんの進め方で議論してください。議論をとめてすみませんでした。--Clapon 2007年2月21日 (水) 18:00 (UTC)[返信]

広島・長崎は公平に扱わなければならない、それには中継点しかないというのが私の意見です。otherusesでは広島が「主」で長崎が「従」という印象がぬぐえません。また、日本からの視点に立てば、広島原爆と長崎原爆を混同する人はまずいないと思われます。そういった日本語版ユーザーにとってはotherusesは無意味なものであると考えます。日本語版ユーザーと他言語版ユーザー双方の利便性を考えれば、中継点を設けることが望ましいと考える次第です。他の皆さんはいかがでしょうか?--ユキポン 2007年2月21日 (水) 22:15 (UTC)[返信]

1週間待ちましたが、特に異論はないようですね・・・。では皆さんは「中継点はあった方が良い」という意見に異論はないとみなし、次の段階に移行させて頂きます。--ユキポン 2007年2月28日 (水) 22:16 (UTC)[返信]



記事の「廃案」の提案[編集]

誰も意見を書き込まないのは、ユキポンさんの意見に反対するものがいないというのは自己中心的な見方であり、ユキポンさんの意見に賛成するものが誰もいないというのが本当のところでしょう。

従いまして、そろそろ記事の廃案を提案いたします。そろそろ、議論に参加した人、議論をみていた人も空気が読めてきたのではないかと思います。ユキポンさんの一人よがりな独走には皆うんざりしています。

--Northface 2007年3月1日 (木) 14:21 (UTC)[返信]

私はNorthfaceさんが意見を募られるのを待っていたのですが、その後反応をいただけなかったので特にご意見なしと判断しました。Northfaceさんは他の人の意見に対しての反論だけをなさっているように感じますが、それは記事を改良しようとしている意見に対して、なんら建設的でなく生産性のない行動のように思います。「廃案」を提案なさるのであれば、具体的な理由をあげてください。--Clapon 2007年3月1日 (木) 15:18 (UTC)[返信]
Claponさんの仰ることに加えて、私にはNorthfaceさんがしばしば発せられる「それでは、皆さんの積極的な意見交換をお待ちします。」が「意見を蹴ったが、他に何か言いたいことがある?」のような挑発的な刺々しい匂いを感じています。悪意は無いと思うのですが、否定するだけ否定して、それが適わぬ意見が出て来なければ自らの意見の勝ち、のような響きがあるように見られます。少なくともNorthfaceさんのなさっていることは、ご自身が言われている「意見交換」とは程遠いものなのではないでしょうか。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年3月1日 (木) 15:30 (UTC)[返信]

今回の「廃案」提案は、ユキポンさんが例によって自己中心的な考えで今までの議論を無視して独走しようという姿勢を正すためのものです。「廃案」とは「なぜ記事を立てるのか」の目的が希薄であることを踏まえています。このように議論が長大になった現段階でさえ「目的が希薄」というのは、今回の議論発端の動議自体が意味があったのかという根本的な問いにたどり着きます。従い、議論は一旦廃案とし、将来に今回のような動議を提案するに値するような状況になったのならば、改めて議論することにしてはいかがでしょうか?


それでも皆さんがこの議論の続けることを望むのならば、言い換えれば、皆さんが「廃案」ではなく、この記事を「生かす」ことをイメージされているのならば、ただ「反対のための反論」のような無意味なことは慎みましょう。また、「個人攻撃」に類することを発言しても、合意形成につながるはずもなく、議論は先に進みません。

唐突に記事名云々のようなことを持ち出すより前にすべきことは、記事を立てるかどうかの「目的」は何かを問いただすことが必要です。「目的」と「手段」を混同される方が多いために今まで議論が何度も迷走しました。

私は議論の交通整理をするために、先に争点の整理を提出しました。

#争点の整理 (2月17日迄)

このパラグラフを読めば、現在の議論の争点の流れが分かります。(決して現在の争点は「記事の名前」ではありません)

同じことを再度申し上げますが、 「再三、私が主張しているのは「目的をまずはっきりさせるべき」です。 目的すなわち、明確な課題設定なしに手段の妥当性の議論はできません。

これを別の言い方をすれば、 「目的を明確にすれば、個々の手段について妥当であるかどうかを検証することができます。 これが、議論を通じて「合意」に至る最良の方法でしょう。

それでは皆さんの積極的な意見交換をお待ちします。

--Northface 2007年3月1日 (木) 22:36 (UTC)[返信]

いやはや、Northfaceさんのギャグセンスには脱帽です! 散々自分の意見や主張をゴリ押しすることに終始し、他者の意見には配慮も理解も見せず、自分のやっていることを棚に上げて論争相手を「自己中心的」「独りよがり」と糾弾することで、わざと別の参加者からの批判を招こうとするとは。そういう自虐的ギャグをサラッと披露する力量には敬服の至りです!


さて、本題に入りましょう。Northfaceさんの主張は要約すると以下のようにまとめられます。

  • 記事の目的 → 見出せない
  • 中継点や原爆投下まとめ記事 → 必要ない
  • 他言語版との兼ね合い → 曖昧さ回避(otheruses)で解決できる

これに対し、私は改めて曖昧さ回避について以下のように疑問を提示します。

  • otherusesは「主」と「従」の色合いが強く、広島と長崎を対等に扱うべきという観点から不適切である
  • 日本語版ユーザーにとっては2つの記事は何ら曖昧で混同しやすいものでなく、曖昧さ回避本来の目的(内容は異なるのに適切な記事名が同じになるトピックを判別する)から逸脱している
  • 他言語版ユーザーにとっても、各言語版の「広島・長崎への原爆投下」から「広島~」だけに移動するのはわかりにくく、不親切である

以上の観点から、私は中継リンクを設ければそういった問題は解消されるので、他言語版との利便性を向上させるために中継点は必要であるという意見です。私やNorthfaceさん以外の方々はどのようにお考えでしょうか? 中継点に関する上記2つの意見のどちらに賛同するか、あるいは全く別の意見をお持ちなのか、御意見をお寄せ下さい。--ユキポン 2007年3月2日 (金) 21:53 (UTC)[返信]

ユキポンさんの仰ること自体はそう間違ってはいないでしょうが、「ギャグセンスには脱帽」など物言いに毒が強いのも確かのように思われます。議論に於いて前向き・建設的であるのは評価しますし、一方でNorthfaceさんの非同調的態度には私も難色ありとは思いますが、挑発めいた態度は避けた方が宜しいのではないでしょうか。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年3月3日 (土) 03:11 (UTC)[返信]
٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥さん、御助言ありがとうございます。しかしながら、Northfaceさんが一方的に「自己中心的」「独り善がり」などと誹謗を続ける限りは、私も態度を改めるつもりはありません。際限なく他者を貶める言動を繰り返す人間にまで紳士的に接することが出来るほど私は人格者ではありませんので、それ相応の対応をせざるを得ません。加えて、「自分の主張に沿うか否か」だけを判断基準に、排他的な言動を繰り返す人物にまで配慮する必要性など微塵も感じません。勿論、紳士的・誠実な対応を取れる方には同様に接するように努める所存ですので、٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥さんは御心配頂く必要はございません。--ユキポン 2007年3月3日 (土) 03:46 (UTC)[返信]

ユキポンさんはいったい何をしたいのでしょうね? この分野はご自身の興味分野でもないし、知識のおよぶ範囲でもないのでしょう?

ここを読まれている第三者に対してユキポンさんのいつもの活動を紹介します。

ユキポンさんの記事投稿記録

特にこの投稿リストについて批評を加えるつもりはありませんが、ご自身の興味のある分野で「楽しく」活動されるのがよろしいのではないかと、助言致します。


ユキポンさんに対するメッセージは以上で終わり。

--Northface 2007年3月3日 (土) 08:44 (UTC)[返信]

記事の目的と課題設定[編集]

この記事の議論に関しては、繰り返しとなりますが、

#争点の整理 (2月17日迄)

このパラグラフを読めば、現在の議論の争点の流れが分かります。

またこれも繰り返しですが「再三、私が主張しているのは「目的をまずはっきりさせるべき」です。 目的すなわち、明確な課題設定なしに手段の妥当性の議論はできません。」

これを別の言い方をすれば、 「目的を明確にすれば、個々の手段について妥当であるかどうかを検証することができます。 これが、議論を通じて「合意」に至る最良の方法でしょう。 」

それでは皆さんの積極的な意見交換をお待ちします。

--Northface 2007年3月3日 (土) 08:44 (UTC)[返信]

ユキポンさんもNorthfaceさんも個人的に思われることがいろいろあることは理解いたしますが、あくまでも百科事典を作るうえでの前向き、建設的な議論をお願いします。個人の活動態度について追求したいのであれば、別の場所でやってください。--Clapon 2007年3月3日 (土) 09:37 (UTC)[返信]

はてさて、記事の再構成に専門的知識など必要なのでしょうか?また、今まで原爆関連の記事の編集に参加した経験があるものでなければ、議論に参加する資格はないなどと言う決まりはいつ作られたのでしょうか?私がどんな人間であろうとも、主張に客観的な誤りがない限りは他の議論の参加者と立場は同じはずなのですが。適当な口実を付けて論争相手を排除しようなんて姑息な手段をとることこそ、他の参加者から一層煙たがられる要因となることにまだ気付かないのですかね。

なお、目的に関しては私は前回『他言語版との利便性を向上させるため』と明記しているのですが。相手の主張を吟味しない内に「目的を明確にせよ」などとよく言えたものですね。それとも、また適当な難癖を付けて「こんなものは目的とは呼べない」と言い掛かりを付けてくるのでしょうか。Northfaceさんが私のotherusesに関する異論にどう反論してくるか期待していたのですが、適当な言い訳で誤魔化されたのにははガッカリです。

あと、以前にも書きましたが、この記事の目的は段階的な議論を経てまとめるべきであると私は考えています。各参加者が構想する記事の目的の相違は#改善提案(仕切りなおし)で明らかとなっており、その相違を一つ一つ埋めていくこと(Claponさんが以前示された手法)が記事の構築において最も近道であるのではないでしょうか?少なくとも、現在のNorthfaceさん主導の進め方は全く進展が見られず、参加者の誰一人として納得していないのは明白なのですが。Northfaceさんは、何故自分の主張が誰からも受け入れられないのか、どうすれば理解してもらえるか、一度でも考えたことはあるんでしょうかね?他者の意見に真剣に向き合わず、自分の主張を一方的に推し進めるだけでは、いつまで経っても周囲の理解は得られませんよ?--ユキポン 2007年3月3日 (土) 09:56 (UTC)[返信]

ユキポンさん、こんにちは。

色々とありましたが、ユキポンさんが考える記事の目的について、ようやく答えて頂けましたね。 「他言語版との利便性を向上させるため

以前、#記事の目的は何か?のセクションにて真面目に討議している際に、一人「私はこのような議論に参加する意思はありません」「Northfaceさんの提案に賛同する方々だけで議論して下さい(Northfaceさんに賛同する方が他にいればの話ですが」(ユキポン 2007年2月12日)などと子供のような書き込みをして(本当に子供なのかもしれませんが)皆を困らせたこともありました。

まあ、過去のことはおいといて、これから先のことを議論しましょう。

さて、目的が「他言語版との利便性を向上させるため」ならば、以前の議論#争点の整理 (2月17日迄)とも絡めて検討することができそうです。

  1. 要点は、皆が共有できる目的を設定できるかどうかです。
  2. 設定できれば、次にその目的から具体的な課題抽出を行い、それを解決する手段を立案すること。
  3. 様々な手段が考えられるでしょうが、その中で合理的なものを選択すること。

これが合意による解決の道ですね。

それでは皆さんの積極的な意見交換をお待ちします。

--Northface 2007年3月3日 (土) 16:35 (UTC)[返信]

「皆が共有できる目的を設定でき」ないことはNorthfaceさんが一番よくお判りになっているのではないですか? 散々否定し続けてこられている訳ですから、「皆が共有」などというものはありえません。勘繰ってしまうならば、これ以降、議論を続けた挙句、Northfaceさんが「皆が共有できる目的は設定できないようなので、合意による解決は成立せず、廃案」などと言い出す策略ではないかとさえ思えてしまいます。
要点は━━

ファイル:TRON 9-9267.gif 皆が共通する見解を持てることが最も望ましい。
ファイル:TRON 9-9268.gif しかし、それは一般に困難であり、故に最大公約数から見出せる共有点を合意とすることが望ましいと考えられる。
ファイル:TRON 9-9269.gif しかし、それは一般に極めて狭義の「見解」しか見出せず、従って多くの占める意見から編んでいくことが現実的となる。多数決とは意味合いが異なり、また、必ずしも少数派意見を切り捨てるものでも無い。その意見を持たなかった者でも、結果的にこれに頷く者が多くを占めるのであれば「合意の見解」として採り入れるものと成り得る。

━━というものではないでしょうか。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年3月3日 (土) 19:17 (UTC)[返信]

ノート:原子爆弾の方でも投稿させていただきましたが、アメリカ(合衆国)による原爆投下のまとめ記事という目的(役割)も検討していただければ幸いです。--sabulyn 2007年3月3日 (土) 21:28 (UTC)[返信]

Northfaceさんへ

「積極的な意見交換」を望んでおられるのなら、私の以下の質問にお答え下さい。


Northfaceさんが今まで述べられた見解は概ね以下の通りです。

  • 記事の目的 → 見出せない
  • 中継点や原爆投下まとめ記事 → 必要ない
  • 他言語版との兼ね合い → 曖昧さ回避(otheruses)で解決できる

この主張に対し、私は曖昧さ回避について以下の問題点を指摘します。

  • otherusesは「主」と「従」の色合いが強く、広島と長崎を対等に扱うべきという観点から不適切である
  • 日本語版ユーザーにとっては2つの記事は何ら曖昧で混同しやすいものでなく、曖昧さ回避本来の目的(内容は異なるのに適切な記事名が同じになるトピックを判別する)から逸脱している
  • 他言語版ユーザーにとっても、各言語版の「広島・長崎への原爆投下」から「広島~」だけに移動するのはわかりにくく、不親切である

これらの問題点に関してどのようにお考えか、御意見をお寄せ下さい。


Sabulynさんへ

御指摘ありがとうございます。私も最終的にはまとめ記事が作成されることが望ましいと考えているのですが、現状はまだそのような議論が出来る状態ではありません。とりあえず、今は他言語版の原爆投下関連記事との兼ね合いをどうするかという議論の最中です。議論が一向に進展しないのでSabulynさんにとっては御不満でしょうが、気長に議論を見守って頂ければ幸いです(出来れば議論にも参加して頂きたいのですが、非常にストレスの溜まる作業ですのでとてもお願い出来ません・・・・・・)。--ユキポン 2007年3月3日 (土) 22:21 (UTC)[返信]

ユキポンさんこんにちは。

既にKs aka 98さんから良いアイデアが提案されているので後先になりますがコメントしておきます。

上記の質問の背景には「私の個人の意見」と「合意形成をしようと私が努力してきたこと」が混ざっているように感じます。

さて、目的が「他言語版との利便性を向上させるため」であるならば、otherusesで用は足りるはず。新たにそのための中継記事を作る「必要は無い」と思われる。さらに中継地のために、既存記事を解体して中継記事を埋めるというのは本末転倒です。従い、そのような編集行為に対して、私の意見は「反対」となります。

しかし、ここでKs aka 98さんからアイデアで既存記事に独立に中継記事の内容を作成するというアイデアが提案されました。 既存記事に干渉しない編集(既存記事をそのままにしておくこと)であれば、私は「反対する理由」が無くなります。

このような新たに独自に執筆する記事に対しては、これまでのような論争が続くこともないでしょう。他言語版との間のインターリンクをどうするか程度が調整必要な事項でしょう。

それではユキポンさんは新たな独自記事の執筆を頑張ってください。応援しています。

--Northface 2007年3月4日 (日) 13:40 (UTC)[返信]

ということは、Northfaceさんは中継点そのものには反対ではないということですね?では、今後は中継点をどうするかという課題を元に話を進めさせて頂きます。--ユキポン 2007年3月6日 (火) 23:31 (UTC)[返信]

その質問をだすということは、既存記事に干渉しない編集(既存記事をそのままにしておくこと)に合意して頂けたというわけですね。

私の意見はもう明らかにしていますが、この条件下ならば反対しません。この条件下でないならば、中継点設置にこれまで通り反対致します。Northface 2007年3月7日 (水) 16:58 (UTC)[返信]

Ks Aka 98による整理案[編集]

整理します。議論のやり方についての議論が続くのはあんましよくないので、それぞれほどほどに折り合いを付けて頂けるのがよいと思います。

  • Northfaceさん(およびAvanzare さん):目的が見出せず、記事そのものが不要。
  • Ks aka 98 :他言語版との対応が目的。まとめ記事には疑問。
  • ユキポンさん:広島・長崎に共通する原爆関連のまとめ記事作成。
  • ٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ さん、Claponさん(およびT.Saitoさん):他言語版との対応は必要。「原爆関連のまとめ記事作成」に期待。

かっこ内は、意見を表明しているけれど最近アクティブに参加されていない方です。ユキポンさんと他の方を分けたのは、積極的な執筆意志を確認できたかどうかによります(読み漏らしていたら修正してください)。

現在の記述を変更したいという積極的な意志を持っているのは、Northfaceさんとユキポンさんです。現状を中心として、削除へ向かう意見と、加筆に向かう意見の二つがあります。

現在の記事を削除するには、削除依頼での合意が必要です。「中継点の存在とその目的」以下2/28あたりまでの議論は、その線で進んでいたと認識しています。権利侵害や誤りのような、明らかにあってはいけない記事ではないですから、多少なりとも存在する意味があると考えられるなら、少なくとも「削除」はされるべきではないでしょう。存在する意味がない、存在すべきではないという意見で、存在する意味があると考えている人を説得する必要があります。いまのところ、削除すべきという判断には至っていないという状態だと思います。

他方、まとめ記事を作成するのであれば、誰でも加筆はできます。独自に「広島・長崎に共通する原爆関連のまとめ記事」を執筆し、必要があれば他の関係記事との調整を図るということであれば、有意義な記事として受け入れられるでしょう(記事名は適切なものに変更する必要があるかもしれません)。単に他の記事からの切り貼りや要約であれば、記事名について、他の記事との影響・重複についてなど、再度議論となる可能性があると思います。そのような点を踏まえて、ユキポンさんおよび執筆意志のある方は、ある程度まとまったものを書いてしまうのがよいように思います。中途半端な記事の記載は、もとよりアクセス的に困難な記事名であること、他言語版からのアクセスを想定していることを考えると、あまり好ましくなく、不完全な記事を練り上げていくのではなく、ある程度まとまったものを示す必要性はあると考えます。その内容について具体的に利用者ページ周辺やサブページを利用してもいいと思いますし執筆の手間が無駄になることを懸念するならば、事前にノートで、議論することは可能でしょう。これによって、具体的な「まとめ記事」の保持かリバートかという議論に移行しますし、その内容によって適切な記事名を定めることも可能です。他の記事からの切り貼りや要約であれば、議論の末リバートされるとしても、あきらめられない労力ではないと思われます。

というわけで、それぞれに独立した二つの論点について、必要なら議論を続けると言うことでいかがでしょうか。一つは、削除すべきかどうかについてで、こちらはNorthfaceさんを中心に話を進めて頂くことになります。もう一つは、「まとめ記事」執筆のための議論で、ユキポンさんを中心に周囲が意見を述べていくという形になるでしょう。ということで、いかがですか?--Ks aka 98 2007年3月4日 (日) 06:01 (UTC)[返信]

建設的議論分離! 少なくとも「議論の為の議論」によって一向に進まない現状に於いては良策であると思います。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年3月4日 (日) 06:19 (UTC)[返信]

既存記事に手を付けない独自記事[編集]

Ks aka 98さん、久しぶりです。 「一つは、削除すべきかどうかについてで、こちらはNorthfaceさんを中心に話を進めて頂くことになります」と発言されていますが、これは誤読であって、私は自説を押し付けようとしたことは一度もありません。

あくまでも、自分自身の意見は「意味を見出せないため、削除が望ましい」であると表明しているわけです。 その上で、WIKIPEDIAは個人の独断ではなく合意形成により、物事を決めるわけですから、その手順に従って、皆が共有できる目的を探し出そうと苦心してきました。

さて、Ks aka 98さんの提案ですが、「独自に「広島・長崎に共通する原爆関連のまとめ記事」を執筆」して頂くということは、既存の記事には手を付けないということですね。それならば、私の懸念事項(既存記事の破壊)も解消しますし、反対する理由もなくなります。これは良いアイデアであると思います。

ユキポンさんがどのような独自性ある記事を作成するか楽しみです(これは皮肉ではありませんよ)。 Ks aka 98さんからは「単に他の記事からの切り貼りや要約であれば、記事名について、他の記事との影響・重複についてなど、再度議論となる可能性があると思います」と釘を刺されていますので、そのような安直な手段をとることなく、私たちを唸らせるような記事を作成してください。ご自身でこの分野にあまり明るくないことを告白されていることもありますので、暫らく図書館などに通うのも良いと思いますとアドバイス致します。

私も陰ながら応援はしていますが、ユキポンさんは記事執筆に際して具体的な歴史的事項の真偽など色々と不明な点がでてくることもあると思います。その際にはどうぞ一人で悩まないで、この場にでも遠慮なく相談してください。私はこの分野を過去に色々と調査した経験がありますので、分かる範囲で回答なり助言なりさせて頂くことに吝かではありません。

はじめから、既存記事には手を付けないというこのアイデアに辿りつけばよかったのですね。

--Northface 2007年3月4日 (日) 13:23 (UTC)[返信]

ええと、Norcefaceさんが現状維持を許容していることには気付いていますし、単に削除を押しつけていたという認識もないですが、削除へ向けての意見は述べられていたと思いますので、その方向で進めるのであれば、Norcefaceさんが主導して頂きたいと言うことです。
元の記事からその記述を除去するのであれば、その記事での議論も必要でしょうし、要約や双方に類似した記述を残すのであれば一方での加筆時のメンテナンスや矛盾を避ける処置も必要となるでしょう。そういったことを踏まえる必要はあるでしょうが、他の記事からの切り貼りであっても、その選択によっては、有意義な項目たり得るかもしれません。そのへんは、成り行き次第でよいと思います。--Ks aka 98 2007年3月4日 (日) 15:56 (UTC)[返信]

今回提案されたアイデアは「既存記事に手を付けずに独自記事を新たに叙述する」ということですから、その独自記事(まだ無い)への「削除」議論をする意思は無いです。 今までは「既存記事を切り刻んで中継記事を埋める」ような乱暴な話だったので、既存記事を守るために「反対」を表明していたわけですから。

今まで色々とありましたが、Ks aka 98さんのこの提案は٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥さんも賛成の様ですし、他の皆さんにも受け入れられて、問題が解決し話が前に進むことを期待しています。

--Northface 2007年3月4日 (日) 16:18 (UTC)[返信]

…?? 何か誤読されているように思われますが、気のせいでしょうか? まぁ、事あるごとに突っ込みが入っての停滞状態から抜け出せる「結果」が得られるならば、Northfaceさんがどう解釈をされようが構わないのですが…。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年3月4日 (日) 19:48 (UTC)[返信]

あの・・・Ks aka 98さんは他の記事を交えた編集そのものは否定していないように見受けられるのですが。Ks aka 98さんもNorthfaceさんにその点を明確に主張して頂かないと困ります。中継点をただのリンクに徹する(現状通りにする)か、簡単な要約記事にするか、それとも原爆投下について他の記事から記述を移動させるかは、これからの議論で決めていくところです。--ユキポン 2007年3月6日 (火) 20:12 (UTC)[返信]

元の記述を除去しないでコピー&ペーストで構成すればいいって話だと思いますよ。ある程度まとまるまで、自分の利用者ページかこのノートにサブページを切って、ドラフトとして作ってみるのがいいんじゃないかと。で、全部コピーだとしても、元記事からのリンクなどでアクセス可能性が保持されて、構成要素の選び方に納得がいくもので、元記事の執筆者の合意もあれば、ドラフトを記事名前空間に置いて、元記事と重複する記述を編集削除。それならNorcefaceさんも文句はないんじゃないかと思います。というか、そこで合意できる内容のものを書いて頂きたい、と。

ユキポンさんにおかれましては、まとめ記事の執筆、またはそのための意見交換などをはじめるようにお願いします。名前とかは、今時間を費やして移動でもめて、記事如何によって再移動、となるくらいなら、合意が得られるまとめ記事ができたところで、でもいいと思いますし。

Northface さんにおかれましては、いったん静観気味に、ということでお願いします。--Ks aka 98 2007年3月7日 (水) 18:04 (UTC)[返信]

現状では埒が明きませんので、私のほうでたたき台としての案を作成します。申し訳ありませんが、みなさま1週間程度お時間をいただければと思います。--Clapon 2007年3月7日 (水) 21:48 (UTC)[返信]

Ks aka 98さんへ、

「コピー&ペーストで構成すればいいって話」とは安直な方法と思われます。

私がこの長期間の議論で常に違和感があったのが、なぜ、手を上げて、自らが記事のコンテンツの文章を新しく書き上げると宣言する人が誰もでてこないのだろう、という疑問でした。それは結局のところ、誰もこの分野の記事を新たに記述するやる気がないのだろうという認識でもあります。言い換えれば、自分でこの分野の記事を書くだけの知識も意欲も能力もない人たちが集まって議論を何日も続けても、それは「新しいことは何も生み出さない」という<あたりまえの>ことが示されただけのような気もします。

しかし「自分で記事がかけないから、その分野に手を出さない」という普通の人の行動とは異なる「自分で記事がかけないから、元々ある記事をばらばらな部品に分解して、その部品を横取りして記事のコンテンツを埋めて、新しい(?)記事をつくる」と自称するような人がでてくるとは、全くのところ予想外でした。

そのような無駄なことに時間を費やすぐらいならば、自ら図書館にでも足を運んで資料探しから地道に行い、一から記事を作り上げた方がよい。これは、一見遠回りに見えるかもしれませんが、安直に既存の記事のコピペで新しい記事を作ったような気になっている人よりも、よほど建設的な行為です。Wikipeidaはそのような地道な努力をする人々によって築かれてきたわけです。コピペで築かれてきたわけでは決してありません。そして、そのような地道な努力をする道をゆくならば、私も協力するに吝かでないとも告げております。

後は、皆さんにそのような「やる気」があるかどうか、全ては「心次第」です。

--Northface 2007年3月8日 (木) 13:06 (UTC)[返信]

中継点の名称はどうするか?[編集]

次は、中継点の名称について意見を求めたいと思います。今のところ以下の意見が出されています。

  • 広島市・長崎市への原子爆弾投下 --ユキポン・T.Saito
  • 原爆投下 --٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥

私としては「広島市・長崎市への原子爆弾投下」が良いと考えます。「原爆投下」ではあまりにも曖昧で、広島か長崎か、あるいは両方への投下の記事なのかが明確ではないからです。確かに「広島市・長崎市~」の名前で検索する人は1人もいないでしょうが、現在存在する「広島市への原子爆弾投下」「長崎市への原子爆弾投下」の記事名で検索する人もほとんどいないでしょう。そういう点を踏まえれば、記事名は正確性を優先するべきだと考えます。他のご意見をお待ちしています。--ユキポン 2007年2月28日 (水) 22:16 (UTC)[返信]

ユキポンさんありがとうございます。中継点を設ける場合の名称としては、「広島市・長崎市への原子爆弾投下」がよいと思います。「原爆投下」は現在原子爆弾へのリダイレクトになっていますが、新記事へのリダイレクトに変更すれば検索性も上がると思います。ただ、名称については中継点がどういう内容になるかが決まってからでもよいように思います。--Clapon 2007年3月1日 (木) 15:13 (UTC)[返信]

中継点を設けるか否かの合意が形成されていない現在、名称を議論する意味はあまりないように思われます。

--Northface 2007年3月1日 (木) 22:22 (UTC)[返信]

中継点をどのようにするかという議論はおそらく相当の時間を要すると思われますので、先に中継点の名前から決めた方が早いと考える次第です。(内容によるものの)中継点を設けること自体には反対する人はいませんので、項目を移動させて頂きました。それでは、引き続き御意見をお待ちしています。--ユキポン 2007年3月6日 (火) 20:12 (UTC)[返信]
記事名は「日本への原始爆弾投下」でいいと思います。原爆が作られてから、投下地の選定などは記事「日本への原子爆弾投下」で書けばいいと思います。--経済準学士 2007年3月12日 (月) 14:16 (UTC)[返信]
中継点で作るのであれば、「原子爆弾投下」や「日本への原子爆弾の投下」でいいと思います。原爆投下は人類史上再びあってはならないこと。年号は不要と考えます。--Sonic883 2007年3月12日 (月) 14:24 (UTC)[返信]
上のお2方に同じです。「原爆弾投下」と「原爆投下」と、どちらが良いのかは微妙な気もしますが。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年3月12日 (月) 15:39 (UTC)[返信]
遅い返信ですみません。Wikipedia:記事名の付け方において、記事の題名は「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」である必要があるとされています。「日本への原子爆弾の投下」や「原爆投下」では、広島・長崎のどちらを扱ったのか、あるいは両方なのかが明確ではありません。故に、題名として最も明確な「広島市・長崎市への原子爆弾投下」を推奨する次第です。年号に関しては、1945年以外に原爆が投下された事例は存在しないので必要ないと思われます。--ユキポン 2007年3月17日 (土) 06:48 (UTC)[返信]

議論の前進か、あるいは議論を元に戻すか[編集]

発言の時系列がユキポンさんによって乱されてしまい、議論の流れがおかしくなっていますので、再度発言しましょう。

先日Ks aka 98さんより提案されたアイデアは「既存記事に手を付けずに独自記事を新たに叙述する」ということですから、私にはその独自記事(まだ無い)への「削除」議論をする意思は無いです。

なぜならば、今までは「既存記事を切り刻んで中継記事を埋める」ような乱暴な意見をユキポンさんが続けていたので、既存記事を守るために「反対」を表明していたわけですから。

今まで色々とありましたが、Ks aka 98さんのこの提案は٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥さんも賛成の様ですし、他の皆さんにも受け入れられて、問題が解決し話が前に進むことを期待しています。

なお、ユキポンさんがあくまでも「既存記事を切り刻んで中継記事を埋める」という意見を譲歩しないならば、私も中継記事の存在への反対意見を継続致します。

この場合、意見の合意形成の努力からやり直しとなります。

ユキポンさんはその状態へ戻ることを望んでいるのでしょうか?

PS. なお、一言苦言。自分の意見を通すために、意図的にログを編集して時系列をズタズタにすることは議論の上で反則です。

Northface 2007年3月7日 (水) 17:05 (UTC)[返信]

上記にも書きましたが、私の方で案を作成して提示しますので、Northfaceさんもそれまで静観しておいていただけませんでしょうか。なお、ks aka 98さんは「記事の案を出したほうが早い」という主旨のご提案であり、決して「既存記事に手を付けずに独自記事を新たに叙述する」とはおっしゃっていないことを申し添えておきます。--Clapon 2007年3月7日 (水) 21:50 (UTC)[返信]

既存記事に手を付ける、すなわち元記事ズタズタにするをおっしゃるならば、静観することはできないでしょう。そのような態度・行動には反対致します。

私はks aka 98さんは、新たに独自の記事を作成することの提案と受け取りました。 それが、相変わらずに自分で一行の記事も作らずに、ただ既存の記事をズタズタに切り刻むことにより、「形の上で」新しい記事を生み出すという行為は全くナンセンスです。 wikipedia全体になんら、新しい情報、新しい知識を追加したことにならないそのような行為は、まともな記事の投稿行為ですらないでしょう。

--Northface 2007年3月8日 (木) 12:54 (UTC)[返信]

既存の記事からカット&ペーストでこの項目に加筆することについて、合意は得られていない、というのがぼくの認識です。カットされる側の記事の執筆者も含めて。

この項目をまとめ記事にするのであれば、独自の加筆部分が存在し、重複する内容についても、おそらく記事の方向性の違いから記述の方法が異なるために、新たに書き起こすことが望ましいと思います。しかし、そうしたなかに、他の記事と重複する部分があってもいいと思いますし、独自の加筆部分がなくとも、要素の選択と編集手腕によっては、有意義な項目となるかもしれません。その場合でも、元の記述をカットするか、重複させたままにするか、という点については、具体的にどういう記述かにもよるでしょうし、元の記事のノートでも合意が必要と思われます。ですから、

  • まずは、記事の案を作ってから議論しましょう。
  • どこかの記述をもってくるのであれば、コピー&ペーストにしましょう。

そして、その案ができるまでは、Northfaceさんも静観できると思います。案が出たところで、静観をやめるということで、有意義ではないと判断されればその旨主張してください。結果、採用されず、コピーされた既存の記事も、この項目も、現状通りとなります。Claponは、案の起草に集中して頂くのがよいかと思います。具体的な執筆にとりかからずとも、節立てや概要が示されれば、議論は可能だと思いますが、その後ご自身で執筆しうるかどうか、については、あらかじめ示して頂くのがよいと思います。--Ks aka 98 2007年3月8日 (木) 13:25 (UTC)[返信]

他の記事との統合を図るまとめ記事作成の議論については、当面は凍結せざるを得ないと考えます。統合元記事のノートであるノート:広島市への原子爆弾投下ノート:原子爆弾で統合の是非を問う意見があまり集まらず、現状ではこのノートで議論する段階ではありません。そこで、とりあえずこのノートではまとめ記事の議論は行わず、中継点の名称と、その内容(現状通りリンクに徹するか、簡単な要約記事にするか等)について議論を進めていきたいと思います。

あと、Northfaceさんにお伺いしたいのですが、「理由を問わず、ノートの時系列を変更してはならない」という主張は何によるものでしょうか?私はWikipediaの規則が書かれた記事を一通り探してみたのですが、そのような記述を見つけることが出来ませんでした。どの記事にそのような指針が記載されているか、教えて下さい。あと、そのような主張をしておきながら、「中継点の名称はどうするか?」で私の意見を時系列に沿わない形で移動させたことに対する説明もあわせてお願いします。--ユキポン 2007年3月8日 (木) 15:17 (UTC)[返信]

ああ、何か勘違いされていますね。私はユキポンさんの発言を移動などしていませんよ。私は自分の発言を適切な場所へ移動しただけです。同じ趣旨の発言を繰り返してもよかったのですけれど。ともあれ、ユキポンさんも、そろそろKs aka 98さんの提案に乗ってみてはいかがでしょう。私も協力は致しますよ。

--Northface 2007年3月9日 (金) 13:51 (UTC)[返信]

上で「まとめ記事」と書いていたもののなかには、ゆきぽんさんのおっしゃる「簡単な要約記事」も含むと捉えて頂ければと思います。どの項目をどのように要約するのか、という点が見えなければ、以後の議論が進まないように感じています。どの項目のどの節、どの記述からの要約、という叩き台が示され、その必要性や選択の是非を議論するという流れになるのが好ましいように思います。要約であっても、その選択の仕方によって、適切な名称も変わってくると思います。

上の節での、Norcefaceさんへのお答えとしては、ゆきぽんさんが執筆も含め加筆を検討されているのであれば、それを抑制するのではなく、まずは書いていただいて、その上で内容を含め検討しましょう、という提案だとご理解下さい。また、編集・構成によって、記事(群)として整理されることによって、生み出される利便性も存在します。この項目については、アクセシビリティや他の項目との関係から、コピー&ペーストだけで利便性の向上を図るのは困難であると想像しますが、これもまた、予想を上回る方法があるかもしれませんから、無駄に終わるのではないかという助言はするとしても、試みを禁止することは必要ないと思います。

叩き台もなしに、無駄か無駄でないか、必要か必要でないか、という議論を続けるのは避けましょう。

なお、Wikipedia:ノートページ#一般的なノートページの書き方とレイアウトには「下方向に進めましょう」という言葉があります。もちろん、リファクタリングや、議論の進行のために記述を移動することは禁止されていませんが、現在大きく意見が食い違っている状態で、当事者が大胆に記述を動かすことは好ましくないと思います。まず意見として提起し、一定の合意を得た上で、ぼくなりClaponさんなりによって進行させるという手順をとらせていただけますか? 

要約であれ、独自視点であれ、コピペであれ、新規書き下ろしであれ、まずは叩き台となるものが必要だと思います。加筆を望む人によって提出されるのを待ち、それを元に内容についての議論を始めましょう。それまでは、削除の議論、および名称についての議論は棚上げとし、また他の編集やふるまいについての議論に逸れないよう、みなさんにお願いします。--Ks aka 98 2007年3月8日 (木) 16:24 (UTC)[返信]

Ks aka 98さんこんばんは

私は「既存記事に手を付けずに独自記事を新たに叙述する」という提案には既に賛同しています。 また、そのような作業に手を上げる方にはサポートすることに吝かでないとも既に表明しています。 このノートにて合意形成が得られるのは、そう遠くない時期ではないかとも感じ始めています。

その反面、未だに既存記事を「カット」することにこだわる意見の人がいることには残念に思います。 そのような行為には既存記事を守るために、私は反対の意見表明を以前からしています。

少し前の議論にて皆さんの考える「記事の目的」を披露頂いた際に、ユキポンさんからも「他言語版との利便性を向上させるため」との回答をして頂けました(2007年3月3日 (土))。私はこの発言に対して「こんなものは目的とは呼べない」などと後ろ向きの返答をしたことはありません。それよりもむしろユキポンさんの正直なこの発言部分には共感を覚えています。 そして「他言語版との利便性を向上させるため」を目的と設定するならば、次の段階で「手段」をどうするかの議論があるはずです。その選択肢として、「otheruses」もあるだろうし「中継点記事」もあるでしょう、他もあるかもしれません。現在の段階は、この選択肢の「中継点記事」の具体案をClaponさんが執筆しようとしている段階である、と理解しています。Claponさん以外にも自発的にそれぞれが案を創作するのもよいと思います。 それが創作された時点で「手段」は何が相応しいかの有意義な議論が始まることでしょう。

さて「既存記事のカット」云々という編集案は、「他言語版との利便性を向上させるため」という目的とはほとんどクロスすることはありません。前者は記事の内包に関することであり、後者は記事の外延に関することとイメージすることもできましょう。そして「中継点」の定義に、中継先の記事を「カット」することが含まれないことは自明であります。 従い「既存記事のカット」なる編集案を廃案としても、「中継点記事」を新たに書き上げることになんら支障はないはずでありましょう。

すでに内容が充実している既存記事の「カット」という編集提案には、共感を覚えることはないことを最後にもう一度強調しておきます。

以上の基本認識の元で、新たな「中継点記事」の創作に期待しています。

--Northface 2007年3月9日 (金) 13:38 (UTC)[返信]

記事の目的が1つである必要はありません。私にとって中継点の目的が「他言語版との利便性を向上させるため」であれば、まとめ記事の目的は「情報の拡散・不整合を是正し、よりわかりやすくするため」といったところです。もっとも、当分このノートではまとめ記事に関する議論は行わないつもりなので、これ以上申し上げることは差し控えさせて頂きます。

さて、中継点の議論を先に進めるためには、まず記事の草案が必要みたいですね。私の方でも草案を考えてみます。私が提出する前に他の方から草案が提起されれば、それを基に議論を進めていくこととしましょう。--ユキポン 2007年3月11日 (日) 22:59 (UTC)[返信]


おかしいですね。ユキポンさんがやろうとしてきたことは内容が充実している既存記事の切り刻み分割による新しい記事を立てる提案でしたから、「情報の拡散・不整合を是正」などと主張しても、その主張は認めることはできないでしょう。むしろユキポンさんの提案自体が「情報の拡散」を生み出すのですよ

そのような「情報の拡散」をしないためにも、私は今まで既存記事を「カット」に反対してきました。 ユキポンさんも「情報の拡散」を望まないのならば、むしろ既存記事の分割提案を自らきちんと廃案にすべきでしょう。 せっかくKs aka 98さんが合意形成するために良い提案をされた現在の状況をうまく生かすことです。

それにユキポンさん自身、既に記事の目的は「他言語版との利便性を向上させるため」であるとの回答をしています(2007年3月3日 (土))。 にもかかわらず、未だに既存記事を「カット」することにこだわる意見を捨てないのはなぜでしょう。

ユキポンさんは「目的と手段の混同」の罠に嵌っていませんか?もっと直接的にいえばユキポンさんは既存記事を「カット」すること自体を目的視してしまっていませんか


私は、内容が充実している既存記事の「カット」という編集提案には、共感を覚えることはないことを最後にもう一度表明しておきます。 そのような行為には既存記事を守るために、私は反対の意見表明を再度ここに致します。

--Northface 2007年3月12日 (月) 13:28 (UTC)[返信]

どちらの意見に肩を持つという意味を持たないと断った上で。「カットすることにこだわる意見を捨てない」ことと「カットという編集提案には共感を覚えることはないこと」は、どちらもその意見に据え置き、拘り、捨てる事は無いという意味に於いては同義です。これはどちらの意見が正しいとか間違っているという次元とは別です。Northfaceさんが「拘り」を持つ事は大いに結構なのですが、Northfaceさんがユキポンさんに感じておられる事と同じ事を、ユキポンさんもまたNorthfaceさんに対して思われているかもしれないという事は押えて置かれると宜しいかと存じます。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年3月12日 (月) 15:46 (UTC)[返信]

表現を揃えましょう。

  • 「中継点となる記事」とは、現在の記述に必要に応じていくらかの改変をしたもの、としましょう。つまり、多言語版から来た読者を、広島と長崎に振り分けることが可能であれば、それで十分とします。
  • 「要約記事」とは、現在の記述にいくらかの加筆を行うが、他の項目に対して従属的であり、独自の内容を含む記述はなされないもの、としましょう。つまり、広島と長崎に振り分けることを可能にするだけではなく、双方あるいは他の項目の一部を要約し、読者の便を図るもの、です。その有用性については、議論がなされるでしょう。また、「この項目」として、要約記事とすることに限ることとします(最後の分類を参照)。
  • 「まとめ記事」とは、現在に記述に加筆し、また他の項目にない独自の記述を加え、独立した記事として成立させるもの、としましょう。広島と長崎に共通する事項の記述や、両者の比較などが想定され、また必要に応じて他の項目を除去し、この項目の記述に充てることも考えられます。これもその必要性や、除去される内容を含む他の項目での合意形成など、議論の余地があり、当面は他の記事に手を付けずに、ドラフトを提示することを望みます。
  • 「一般的要約記事」、つまり「原子爆弾投下関連の入り口となる要約記事」を作るという発想であれば、まずは検索などで引っかかりやすい項目名の議論が先行するべきでしょう。また、他言語版からの振り分けを意図している現状から、一般的な入り口としての記述への変更は、単に要約することでできるものではなく、独自の記述を含むものとなるでしょう。この場合、その記事の作り方によって、項目名にも影響が及ぶと考えられます。このような記事を考えるのであれば、より大きな視野での検討が必要となりますので、同様にドラフトが必要と思われます。

中継点としてこの項目を捉えるならば、特に議論は必要ではないと思います。この項目については現状維持であり、部分的な修正はそれぞれに行い、その編集について議論がなされるでしょう。

要約記事、あるいはまとめ記事とするのであれば、具体案を示し、議論を先に進めましょう。現在の議論の状況は、まとめ記事は不要だが要約記事はあってもいい、という感じではないように思いますので、まとめ記事を望まれるのであれば、その方向でもよいと思います。

以下、繰り返しになりますが、

ユキポンさんにおかれましては、「情報の拡散・不整合を是正」「他言語版との利便性を向上させるため」の具体案を示して頂くのがよいと思います。ユキポンさんのおっしゃる「情報の拡散・不整合を是正」「他言語版との利便性を向上させる」といった目的が、実際に有意義に可能なのか、という疑念をNorcefaceさんはお持ちなのだと思います。これを打開するには、こうすれば、可能であり、他の項目にも混乱を生じないと示すことが必要だと考えます。

他方、Norcefaceさんにおかれましては、案の提示、または合意無く他の項目で除去が行われるまでは、ご意見を慎むようお願いします。他の項目の内容を除去することに反対されていることは承知しております。「情報の拡散・不整合を是正」「他言語版との利便性を向上させる」といった目的が、果たして可能であるか、他の項目を除去してもなお整合性を保ち、この項目にまとめる合理的な記述は可能か、といった点についての危惧をお持ちであることも、理解しますが、なるほどこういう手もあったかという可能性を摘むのではなく、具体案を待ち、具体的に検討することとさせてください。

もちろん、他の議論参加者によって、案を提示することは歓迎されますし、記述や章立てについて広く意見を求めること、完成された案ではなくラフな構成案を提示することによって、建設的に議論を進めることも歓迎されます。--Ks aka 98 2007年3月12日 (月) 16:29 (UTC)[返信]

Claponによる記事案提示[編集]

Claponです。遅くなりましたが、記事案を作成いたしました。

コンセプトについて説明いたします。英語版からの翻訳を中心に記述しました。

  1. 投下までの経緯について、日本語版ではマンハッタン計画太平洋戦争原子爆弾に記述が分かれていましたので、これらの集積も兼ねて翻訳記事で補完しました。なお、投下候補地の選択については英語版と日本語版原子爆弾の記載内容を統合したいと考えています。原子爆弾からのコピーでもカットでもかまいません。
  2. 原爆投下時の状況については原子爆弾#原子爆弾の使用による被害からのコピーです。詳細は広島市への原子爆弾投下長崎市への原子爆弾投下に譲ります。なお、原子爆弾の該当記事は残しても削除してもかまいません。
  3. 広島への原爆投下後~長崎への原爆投下前、また長崎への原爆投下後の記事は英語版から翻訳しました。現在日本語版には該当する記事がないようです。
  4. 原爆投下後の状況について追記しました。(ただしスタブです。)原爆投下後の動きについては広島市への原子爆弾投下に記述が若干ありますが、被爆者援護法や核兵器廃絶への動きについての記述が日本語版では不足しており、また散乱しているように感じましたので、現時点でわかる範囲で書きました。十分時間が取れませんでしたので内容が足らず申し訳ありません。

暫定的に翻訳した部分もあり、日本語としてこなれていない、文中のリンクがない、脚注がない等の問題がありますが、まずは暫定版ということでご容赦ください。当初は簡単な要約版とするつもりでしたが、日本語版では原爆関連記事が被害の視点に集中していること、事後の記事が欠けていることが気になり、最終的にこのような内容になりました。記事の内容についてご意見をいただければと思います。--Clapon 2007年3月12日 (月) 21:51 (UTC)[返信]

Claponさんの案に対するコメント[編集]

ユキポンさんのコメント[編集]

Claponさん、お疲れ様でした。私が考えていた中継点よりも詳細に記述されていたので驚きました。なお、勝手ながらいくつかの誤記が見られましたので、私の方で修正させて頂きました。

さて、私は要約記事はわかりやすく簡潔であるべきと考えておりますので、原爆投下と直接関わりのない記述は必要ないと思います。故に、Claponさんの草案の「投下までの経緯」における「第二次世界大戦中~日本本土への侵攻を行うためであったというものがある。」の記述は削除すべきだと思います。それ以外の記述内容は(ここまで詳細に書く必要があるのか微妙ですが)概ね賛同しますので、私はこれで中継点の記事にして良いと考えます。--ユキポン 2007年3月14日 (水) 02:10 (UTC)[返信]

212.152.87.183さんのコメント[編集]

アカウントも持っていない一巡回者がここに書き込んでいいものか多いに迷いました。が、Wiki読書愛好家として、またこの論争を最初から見守っていた一人として、いまさら書き込む無礼をお許しください。 暫定的記事にあれこれいうのも何ですが、中途半端なまとめ記事だったらないほうがいいと思います。単純に中継地にするのだったら関連項目のタイトルとリンクを示せばいいんだし、「詳細は以下を参照」としてリンク先を示すのであれば、重複する内容を長々とここに書き記す必要はありません。検索でこのページにやってきた人が、それぞれの目的にあわせて、分かれた項目のリンクをたどっていける形にしたほうが混乱がなくて良いと思います。自分の求める内容を調べるために、類似したタイトルの記事と記事を行き来したり、まとめ記事と詳細記事を行き来しなければならないのは非常に使いにくいと思いませんか。重複しない記事であればそれは独立した記事として扱うべきで、まとめページに記すのでは記事が分散してより煩雑になります。

それから、「外国語版との対応のためにわざわざページを設置する」という目的には、そもそも私は最初から全く意義を見出すことができませんでした。一般問題として、外国人で日本語を自由に操れるレベルの人間であれば、そのような便宜があろうがなかろうが求める記事を見つけ出すであろうし(なお、専門家であれば引用の際、参照した文献の書名・著者名・年号・ページ数・出版社など詳細なオリジナル出典記録を必要とするので、記事作成者が利用した参考・引用文献が統一明記されていないWikiPediaは論文等への引用が困難であり、外国語リンクからの一般的利用者例としては対象から除外されるべき)、日本語を解さない人にとっては、たとえリンクしてあっても解読できないページは単なる興味本位としてスルーするだけではないでしょうか。 大切なのは、この百科事典を主に使うであろう、一般的日本人および日本語利用者に対する措置、だと思います。であるなら、細切れの記事を切り貼りしたページを増やすより、簡潔でわかりやすい中継点(個人的にはこのような中継点自体が不要という意見に賛成ですが、現状は記事を残す形で落ち着いているようですので、その場合は記事タイトル、およびリンク先記事に対する2,3行程度の簡潔な説明文くらいがすっきりしていいと思います。長々とした記事になれば、中継点やまとめ記事としては非常に利用しにくくなります)と、それを軸にした良質の記事ページを作成するべきではないでしょうか。 長大な「まとめ記事」を、詳細リンクからの「一部コピー+一部オリジナル」といった形で作成すると、同じテーマの記事を中途半端に分散させる結果になりかねません。

そもそもこれは個人の備忘録ではなくて百科事典なのですから、中途半端な類似記事を大量生産するよりも、ひとつひとつの記事の内容を充実させていくべきではないでしょうか。

本記事作成に関わっていない者がこんな主張をするのはおこがましいとは思いつつ、さらに一言。自分自身一学生として、および論文を記述する立場にあるものとして、Northfaceさんの意見と主張(記事作成に対する目的意識の重要性、および中途半端な目的で記事を切り刻むことに対する危惧)は至極当然のことだと思うのですが、その真意が他の方にあまりよく伝わっていないのが不思議でなりません。 以前「過去に本記事は一旦削除されている」の欄で記事の履歴の矛盾点を主張されたときも、他の方からはあまり注目されていないようでしたが、私はこれを非常に興味深い事例と受け止めました。今回の議論で「なんらかの記事作成」という結果に落ち着いたとしても、後ほどまた別の第3者によって同様の議論が蒸し返される危険性を、この記事(およびタイトル)は孕んでいるといえるのではないでしょうか。その点では、今回皆さんがそれぞれの立場で意見をぶつけ合っていることは大切だと思いますが、議論が遅々として進まないのも当然だと思います。Northfaceさんがここで履歴の矛盾を掘り下げて提示したのも、こういった「過去の議論から学ぶ」必要性を再確認するための不可欠な手順であり、その示唆するところをもっとよく吟味すべきというのが私の理解です。その上で、再び同様の混乱を生み出さないためにも、ここで徹底的に問題を掘り下げておくべきだと考えます。 なんだかNorthfaceさんひとり旗色が悪いようですが、ぜひがんばって(出来るだけ穏やかに)意見していってもらいたいと思います。私は単なる多数意見に興味はありません。大切なのはその内容であり、「記事のため」になるのであれば、一匹狼となっても主張していくその姿勢は立派だと思います。彼は決してスレを荒らしているわけではなく、言葉足らずながらも的確な指摘をしているように見えます。もちろん、そのために合意形成が遅れることを他の方は危惧されているのでしょうが、議論が進まないからといってここで排除すべきではないと考えます。少なくとも、私にとってはNorthfaceさんの主張は内容的に一貫しており、それに対して、他の方々のやろうとしていることからは、明確な目的意識も記事をより良くするビジョンも見出すことが出来ません。

なお、これは本当に蛇足ですが、英語版の翻訳記事では情報の偏りが目立ちます。たとえ協議の結果まとめ記事を作成することに落ち着いたとしても、外国語からの翻訳内容を暫定案として改良を加えていくというのはあまり賛成できません。翻訳や切り貼りではなく、やはり自分で調べ、自分の言葉で書く、という著述の原点を守っていって欲しいと思います。以上、突然で本当に申し訳ありませんが、一部外者の意見です。 By 海外在住一学生

すみません、知らずにだらだら書き込んでしまったため、手違いでClaptonさんの前回の書き込みを消去してしまったようです。やはり素人がむやみに書き込むべきではなかったですね。。。心から反省しております。Claptonさん、本当に申し訳ございませんでした。作成されたまとめ記事に関する内容、もういちど投稿してくださいませんか? By 海外在住一学生

212.152.87.183さんの御意見を拝見しました。この議論を最初から御覧になっていて、議論が収束に向かう段階で異論を唱えるなら、最初から議論に参加して頂きたかったというのが本音ですが。あと、今後自身の意見を書く時は、署名も行うようにして下さい(参照:Wikipedia:ノートのページでは投稿に署名をする)。
さて、中途半端なまとめ記事はない方が良いということですが、212.152.87.183さんはClaponさんの草案が中途半端であると解釈されているのでしょうか?その辺りをまずハッキリさせて頂きたいです。また、確かに日本語版ユーザーは他言語版の状況に関与する義務はありませんが、他言語版の原爆投下記事のリンクが広島だけ、または広島・長崎両方が貼り付けられているといういびつな状況を改善しようと取り組むことにどこに問題があるのでしょうか?また、カテゴリやテンプレートと同様に、各詳細記事へ誘導するまとめ記事が存在することはむしろ読者のためになるとも解釈できます。各項の詳細記事ではなく、全体をわかりやすくまとめた要約記事を欲する読者もいるでしょう。
以前同様の記事が削除されたのは、単純に価値のある用途が見つからなかっただけのことです。実際、この議論の前に行われたWikipedia:削除依頼/1945年の広島・長崎に対する原爆投下においても、私が他言語版との問題を指摘しなければ、おそらく削除の方向でまとまったでしょう。--ユキポン 2007年3月14日 (水) 03:30 (UTC)[返信]

3月16日のコメント[編集]

ユキポンさん、ご意見&書名方法のご教示、どうもありがとうございました。何分初心者のためしっかりしたマナーもわからず本当にご迷惑をおかけしました。うまく署名できて要ればいいのですが・・・ 長くなって申し訳ありませんが、ユキポンさんのご意見に対する私の答えを述べさせていただきたいと思います。

まず第1点目、Claptonさんの記事案が中途半端かどうか。非常に申し訳ないと思いますが、私は中途半端であると考えます。以下にその理由を述べるまでもなく、私が最初に書いた意見を読んでもらうとわかると思ったのですが、もう一度書かせて頂きます。 私が基本的にNorthfaceさんの「記事をカットしたり作成したりするにはしっかりした目的がなければならない」という意見に賛同していることは理解していただけたと思いますが、その点から考えて、Claponさんの記事には、基本的な目的を見出せない、というのがその理由です。 Claponさんはこのノートに「記事のコンセプト」を明記しておりますが、これはコンセプトとよべるものではありません。英語版からの翻訳を中心として、1では英語版と日本語版の記載をまとめ、2は「原子爆弾」からのコピー、3は英語版からの翻訳、そして4では新記事を記述する。。。 こういった具体的方法論の前に、まずここでコンセプトとして示すべきは、「この記事を作成した目的」であり、その目的のために「以下のような項目を記事として作成してみました」という形を提示すべきだったと思います。この記事案ではオリジナル記事と翻訳&コピー記事がミックスされており、これはユキポンさんが正そうとしている「情報の拡散・不整合」を生み出すものといえませんか?つまり、「基本的にはリンク以下の記事を参照すれば詳しくわかりますが、4に関してはこのまとめ記事でしか参照できません」、といった感じを私は受けました。 詳しくは他の点に言及した上でまとめさせていただきます。

それでは2点目。 他言語版のリンクの不完全性を正すことを目的とすることがなぜおかしいか?という問いに関して。 私は最初の書き込みで、「他言語版との対応」に関する意義を見出せないとして、その論拠も示しておきましたが、それに関する反論はしっかりいただけませんでした。私が主張したのは要約すると「他言語版との対応」にこだわるあまり、「実際に利用するであろう人々の利便を損なうことはおかしい」ということであり、その「利便を損なう行為」というのが、ユキポンさんが正そうとしておられる「情報の拡散」であるということです。勘違いしていただきたくないのですが、これは逆に言えば、「利用者の利便を損なう可能性のない方法が提案されるのであれば、それを素直に受け入れます」ということになります。これまでの議論の進み方では、ユキポンさん自身が主張している「情報の拡散・不整合」を是正するどころか、それを生み出す方向に進みそうな気がしたために、一言私見を述べたまでです。

「他言語版の原爆投下記事のリンクが広島だけ、または広島・長崎両方が貼り付けられているといういびつな状況を改善しようと取り組むこと」と自体は悪いとは思いません。が、現段階でとくに必要とも考えません。それが、私の言う「意義を見出せない」ということです。どうしてもそれを是正したい、というのであれば、そのために適切な方法をとっていただきたい、ということになります。

ユキポンさんの言うところの目的「多言語版との対応」と、そのための手段である「まとめ記事を作ること」は、論理的に見て必ずしも一致しません。まとめ記事を作ったところで、外国語版の執筆者がそのまとめ記事にリンクを張ってくれるかどうか、どうやって確信がもてるのでしょうか。現実問題として、外国語としての日本語に明るくない人間が作っている記事であれば、どれほど優れた日本語記事を作ろうと、記事の読み間違いなどからリンクの張り間違いは発生します。記事がうまくリンクしてもらえなかった場合、また「外国語版との対応のためのまとめ記事」を作り直すのですか。 極端な話、外国語との対応を考えるのであればそれこそ英語でまとめ記事を作成するべきではないでしょうか。つまり、英語で日本語記事の簡潔なまとめを作成し、そのページに「日本語の詳細記事は以下参照」、という形でリンクを示す、といった感じです(これはまったくの極論ですが、理解していただくためにあえて書かせていただきました)。 もしくは、「他言語版との対応」という目的を達成するための具体的かつ確実な方法としては、「外国語版のリンクの間違いを発見し、それをおかしいと考え訂正して欲しいと思う方(ユキポンさんなど)が、実際にその言語で書かれた記事のノートなりに現地語で問題を定義し、外国語版執筆者を説得して合意を形成する」ということではないでしょうか? 確かに、リンクの不具合を発見するごとにその都度外国語版に意見具申するのは現実的とはいえないでしょう。しかし、だからといって外国語との対応のためにとりあえず記事をコピーなり翻訳したりして「まとめ記事を作る」というのは、論理の飛躍というものです。

つまり、「まとめ記事をつくること」と「外国語版との対応を図ること」は目的-手段として完全にリンクするものではなく、何とかして「まとめ記事を作りたい」というユキポンさんの意図(つまりは目的)が、これまでの議論からでは伝わりにくい、というのが私の感想です。

以上、まとめると、「他言語版との対応」という目的のために「まとめ記事を作る」という方法をとることは、その対応関係を論理的に理解不可能、それゆえ現段階の議論を見た感じではまとめ記事自体が不必要、というのが私の基本的なスタンスです。ただし、「まとめ記事をつくる」ための「しっかりした目的」を提示してくださるのであれば、私は何の苦言も呈さずに即座に記事作成に同意します。また、「まとめ記事」が「外国語版との対応」につながる、というのであれば、その根拠を論理的に説明していただきたいのです。

ユキポンさんの提案に照らして考えて見ましょう。現状の問題点として、「外国語版で、日本語版の記事に対するリンクの不備がある」という点は認めます。そしてそれを是正したい、という目的も認めます。では、「そのためにどのような方法をとるか、そしてその方法がなぜ有効なのか」という点をまず議論すべきだったのではないか、というのが論理的な道筋と私は考えます。ところがそれを飛び越して、「中継点としてのまとめ記事作成」という方法論が決まったように存在しており、その方法の、初期目的に対する有効性が議論されていない。記事作成に関わっていない第三者として、そこに私は矛盾を感じるのです。

それから、「カテゴリやテンプレートと同様に、各詳細記事へ誘導するまとめ記事が存在することはむしろ読者のためになるとも解釈できます」という主張がユキポンさんの真の目的であれば、まとめ記事作成の意義がまったく異なることになります。この目的ならば、私の意見は前回の書き込みに記したとおり、「記事タイトル、およびリンク先記事に対する2,3行程度の簡潔な説明文くらいがすっきりしていい、長々とした記事になれば、中継点やまとめ記事としては非常に利用しにくくなる」ということです。

Northfaceさんが何度も主張してこられた、「目的が共有されるべき」、というのはこういうことだと私は考えます。共有する目的によって、採用する方法が異なるのだから、おのずからできあがる記事が変わってくるのは当然です。目的が「他言語版との対応」であれば、「まとめ記事作成」という方法は解決策になっていないため不必要、しかし目的が「読者のために各詳細記事へ誘導する」ことであるのならば、先ほど書いたとおり「記事タイトル、およびリンク先記事に対する2,3行程度の簡潔な説明文」を残し、完全な中継点とするにとどめる、というのが私の意見です。

それから、以上の議論を踏まえた上で、Claponさんの記事案を読み直してみてください。 容量も多く、がんばって執筆されたこと、およびそのために割かれた労力は認めますが、どういう「目的」でこの記事を作成したのか、それがあの記事では伝わってこないというのが私の率直な感想です。 まして、あの「記事案」から「外国語版との対応」を求めるという「目的」は見出せません。「外国語版との対応」が目的であの記事が出来上がったというのであれば、その論拠を示していただきたい。それこそが、Claponさんがあのノートで示すべき「コンセプト」である、というのが私の考えです。 あの記事を読んだ限りでは、もしかするとユキポンさんの抱く「目的」とClaponさんの「目的」とでは方向性が異なるのではないか、とさえ感じますが、ユキポンさんはあの記事案に基本的に賛成、ということですので、ますますユキポンさんが「まとめ記事」を作成したいという「目的」がわからなくなりました。繰り返しになりますが、「読者のために各詳細記事へ誘導する」という目的であるならば、まとめ記事を「わかりやすく簡潔であるべき」とするユキポンさんの意見は理解できますし、そのためClaponさんの案が「詳細すぎる」というのは当然だと思います。その目的の場合、私の意見は前に書いたように基本的にはそれに沿った上で、ユキポンさんが考える以上に「シンプルであるべき」というものです。 それゆえ、中継点としてのまとめ記事なのに「他の詳細記事には存在しない新しい記事がある」という事態を、現状では不必要かつ「情報の拡散を招くもの」であると捉えています。もちろん、この新しい記事を「この中継点を核として今後記述されることが望まれる新しい項目である」、としてあえて記載しているのならば、新しい記事の存在意義はあるでしょう。しかし、そういった「コンセプト」がはっきりとClaponさんからは示されていません。

その点で、Claponさんがノートに書かれた「コンセプト」というのは、はっきりいうと「目的」ではなく、「手段」であると私は考えます。つまり、はっきりした目的意識はないけれど、記事を作ることになったのでこういう「方法」で記事を作成してみました、といった感じです。私が中途半端だといったのは、「何のためにこの記事を作成するのか」といった目的が、あの記事からだと正直わからない、という記事構成の不明確さであります。しっかりした記事作成のコンセプトがあるのであれば、それをまず示すべきです、採用した方法ではなく。そうすると、現状打開のための建設的な意見が出てくるのではないか、と思います

それから、最後の質問に関して。 ユキポンさんは「以前同様の記事が削除されたのは、単純に価値のある用途が見つからなかっただけのことです」とかかれましたが、上記の議論を踏まえた上で、今回の記事にも私は価値のある用途を見出せません。今回新しく作成するまとめ記事に「価値のある用途」が存在するのであれば、それは何か、それをはっきり教えていただきたく存じます。「外国語との対応」が、「まとめ記事作成」の理由とは言えない、という私の立場は、すでに何度も書いたとおりです。

毎回長くなって申し訳なく思いますが、さし当たっての私の意見としては、「多言語版との対応」という目的のために、今回の記事案のような「まとめ記事」は不必要であり、現実的解決策とは言いにくい、しかし、他に有効な目的が存在するのであれば、その目的のために何らかの「まとめ記事」が作られることに異論はありません。ただし、「読者のために各詳細記事へ誘導する」ことが「目的」ならば、Claponさんの案のままでは不安が残る、ということになります。「まとめ記事作成」は何らかの「手段」であって、間違っても「目的」ではありません。どういった目的を持つかによって、作成される「まとめ記事」もずいぶん違ったものになると思います。 結局のところ、みなさんがこの記事をどうしたいか、という「基本目的」を見出さない限り、どれだけ新しい記事案が出されようと、議論は平行線に終わるのではないか、というのが、第三者としての意見です。--海外在住一学生 2007年3月16日 (金) 18:36 (UTC)[返信]

3月16日のコメントに対するレスポンス[編集]
要約すると、
  1. どういう意図でこのまとめ記事を作成したか不明
  2. 他言語版からのリンクのためにまとめ記事を作成するというのは論理の飛躍
という主張と読み取りましたがよろしいでしょうか。
1.については目的が伝わりきれていないようなので時間の取れるときに追記します。2.について、まず外国人がこの記事にリンクをしてくれるか?という心配は無用です。私やユキポンさんが他言語版に出向いてインターリンクするからです。そして、他言語版からの利便性だけがこの記事を作成する目的ではありません。他言語版からの利便性+特定の記事に偏っている情報を移すことによって、各記事へのアクセスを容易にするという目的も兼ねています。とはいえ、この概念がうまく伝わっていないようですので、1の目的と交えてご説明したいと思います。ちょっとお時間ください。
それから、今は他の方の意見が出揃うのを待っている状態ですので、議論を進めることはいたしませんのでご容赦ください。また後から議論に参加なさる方のために、要点をわかりやすく短く書くことも検討してください。(短く書くと正確性がおろそかになり誤読される可能性があるのですが。)--Clapon 2007年3月16日 (金) 21:25 (UTC)[返信]
まとめ記事の意図について記載する予定でしたが、ks aka 98さんからの質問の回答に記載したことと重複しますので、そちらを持って回答に代えさせていただきます。#Claponの回答をご覧ください。先の要約が正しいという前提で追記しますが、他言語からのリンクを主眼としているのではなく、情報のハブ記事としての役割をメインとしています。海外在住一学生さんが指摘なさっている「他言語版からのリンクのためにまとめ記事を作成するというのは論理の飛躍」というご指摘は正しいと思いますが、リンクのためにまとめ記事を作成しているわけではなく、回答中にある理由によるものです。--Clapon 2007年3月24日 (土) 06:56 (UTC)[返信]

Claponさんお疲れ様でした。海外在住一学生さん御意見ありがとうございます。

ひとまず意見が出揃うまで待ちましょう。Northfaceさんと٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ さんは、かんたんな感想でもよいので、コメントをお願いします。既にいただいているコメントを一部整形しました。--Ks aka 98 2007年3月14日 (水) 05:28 (UTC)[返信]


遅れて申し訳ありません。なお、章節が冗長であり編集に差支えるため、子節にさせて頂きました。以下、質疑に掛かる2点に付いて、私なりのコメントです。
ファイル:TRON 9-9267.gif「この記事を作成した目的」は、ここに回答できる者はおりません。何故ならば初版執筆者は少なくとも現在、ウィキブレイクの様子が見られており、確認のしようが無いからです。その上で、私も含めてここにいる各位が自分なりの項目の意義を見出し、或いは見出せず、議論を行っています。なお、初版執筆者の不在による「作成した目的の事実上の意義無し」に基づく本項目不要論はいささか乱暴であり、無粋であるとも思われます。百科事典である以上、意義を見出した者にとっては、それが既に存在意義であり、「俺には不要」は削除事由には成り得ないからです。
ファイル:TRON 9-9268.gifインターリンクは必須とまでは言わないものの、推奨であると考えます。これはウィキペディアが、ウィキメディアという一大プロジェクトの一環であり、且つ、日本語版ウィキペディアはそのウィキペディアという下位プロジェクトの一つであるからです。また、個々の項目中に現れる単語などを以って関連項目へのリンクを張ることも、ハイパーテキストとしての有効性を活用した、電子事典である故の機能です。インターリンクはこうしたものの一つであると考えます。しかし、言語や国・地域が異なる事で、字義や概念が異なることは多く、インターリンクは必ずしも一対一の様を成しません。有効な解決策は私には判りませんが、本項目で行うようなものは、その一例ではないかと思います。無論、これが最良であるのかどうかはまた別ですが、少なくとも私は、否定されるのであれば、その対案を出すのが建設的な態度ではないかと考えます。
--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年3月17日 (土) 16:45 (UTC)[返信]

Northfaceさんのコメント[編集]

利用者:Clapon/記事修正案/広島市・長崎市への原子爆弾投下 (簡易版Clapon案)を読ませて頂きました。 まずはClaponさんには長文の英訳をご苦労様でしたと申し上げます。

さて、既に色々と懸念点の表明が出てきているようですね。それらのまとめといくつかの追加の懸念点をリストしてみます。

  1. この新しい文章を作成した目的は何なのか?
  2. この新しい文章のコンセプトは何なのか?
  3. この新しい文章の想定される読み手は誰なのか?
  4. その読み手は、日本語版のユーザー? それとも他言語版のユーザー?
  5. この新しい文章は長大だが、果たして他の記事への中継点と言えるのか?
  6. この新しい文章は、中継点としてうまく機能するのだろうか?
  7. 中継点で無いとすれば、これは何を目指しているのか?
  8. 他の記事からのコピペはしないという約束が破られているのではないか?
  9. この新しい文章は長大だが、本当にオリジナルな文章は何行あるだろうか?
  10. コピペである場合、著作権の配慮はされているのか?
  11. コピペである場合、コピペ先の文章が正しいことの検証はされているのか?
  12. コピペである場合、コピペ先の項目が更新されれば、それに同期してこの新しい文章も更新してゆくのだろうか?
  13. この新しい文章は、信頼できる文献を参照して作成されたのだろうか、あるいは文献参照はしていないのだろうか?
  14. この新しい文章はWikipedia内(日本語版および英語版)からの無批判な記事の切り貼りで構成されたものではないか?
  15. この新しい文章に、今まで日本語版になかった新しい情報は含まれているのだろうか?
  16. この新しい文章は、中途半端な類似記事を日本語版に新たに追加するだけではないのだろうか?
  17. この新しい文章は、日本語版における原爆関係の情報の拡散を引き起こすのではないだろうか?


私の意見を率直に申し上げれば、懸念点が非常に多いこの新しい文章が今までの議論の課題の解決となっているかは疑問です。この新しい文章をこの項目に投下することによって、課題は解決せず、そればかりか複雑になるだけでしょう。

別のところでも書きましたが、重要なことは、問題解決のために新たな問題を生み出すような手段は不適切であり、採るべきではない手段であるということです。 そのような手段は問題を解決したのではなく、問題を別の形にしただけに過ぎません

私はClaponさん達には読み手の視点に立って、今一度見直しをかけることを強く勧めます。 この新しい文章がこのまま投下された場合、読み手は混乱するばかりでしょう。 中継点のための記事がこのように長大で、英語版翻訳や日本語版既存記事からの切り貼りで構成するというような合意形成はされていないことも留意ください。

中継点作成の着地点イメージとしては、٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥さんが2007年2月3日の提案で示したエルサレム聖書が参考となると私も思います。

以上の理由にて、今回の案の記事への投下に反対します。

--Northface 2007年3月17日 (土) 16:57 (UTC)[返信]

くだんの翻訳記事は非常に興味深いと思われますよ? しかも記事的には「ヒロシマ」や「ナガサキ」に分断する事が困難な内容も多く含まれており、価値のあるものとお見受けします。あと、もしかしたら誤解をされているのかもしれないので念の為なのですが、個人的には「エルサレム聖書」は「旧~」や「新~」並に加筆を望みたいと考えています。というのも、もともとこの聖書はフランス語訳の「La Bible de Jerusalemm」の事であり、しかし項目翻訳元の英語版ではフランス語訳聖書「La Bible de Jerusalemm」に付いてはこれ以上に詳しく書かれておらず、且つ英語圏にとっては「Jerusalem Bible」と言えば英語訳聖書「Jerusalem Bible」を指す為、原著であるフランス語訳聖書「La Bible de Jerusalemm」の記事が存在しないからです。そして書くとすれば「エルサレム聖書」の項になるからです。フランス語訳聖書「La Bible de Jerusalemm」の詳細記事は「Jerusalem Bible」でも「New Jerusalem Bible」でも無く、「エルサレム聖書」にしか書けないのです。これは今回の「広島・長崎に対する原爆投下」にも言える事であると考えます。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年3月17日 (土) 17:44 (UTC)[返信]

Claponのコメント[編集]

御意見ありがとうございます。まずみなさんに誤解していただきたくありませんが、今回の案の詳細内容については暫定版ですので、まずは内容よりもこの記事の構成はどうかという観点でご意見をいただきたく思います。詳細文章についてはこなれていない、重複がある、冗長的である、誤りが含まれている可能性がある、これらすべてご指摘の通りでして、現在の内容のまま正式記事とするつもりは毛頭ございません。しかしまずは暫定版を全員に見ていただきたく、それ以上の編集を控えておりました。また構成如何によっては詳細内容について議論する意味がなくなりますし、それらの議論は構成が決まってからのほうがよいと考えています。--Clapon 2007年3月17日 (土) 20:27 (UTC)[返信]

ユキポンさんによる短縮版の提示[編集]

Claponさんの草案が長大であるという指摘は私も同感ですので、私の方でその草案を修正した利用者:ユキポン/広島市・長崎市への原子爆弾投下記事ユキポン草案をまとめました。要約記事としてはこれ位の長さが適当ではないかと思います。--ユキポン 2007年3月18日 (日) 01:00 (UTC)[返信]

さらに短い版をユキポンさんからいただきました。この「ユキポン草案」についての意見はこの下にお願いします。記事の分量についてを含む、草案に関する論点の多くは、「Clapon草案」「ユキポン草案」に共通すると思われますので、特に「Clapon草案」に限定されるご意見の他は、基本的にこれ以下に記述願います。また、誤記や記述内容・表現についての問題点などは、現時点では主要な論点としないということでお願いします。重要な内容の取違があり、かつウィキブレイクに入るため以後自ら修正できない可能性がある場合などは、その修正に関する議論が生じないように出典を示し直接記述を訂正するか、それぞれの草案のノートページで誤りや論点を指摘するに留めるようにしてください。では、再びコメントをお願いします。--Ks aka 98 2007年3月18日 (日) 07:32 (UTC)[返信]
記事の長さとしてはその程度が適当だと思います。念のため書いておきますが、私の案はあえて翻訳したまま・コピーしたままを残しています。それは、翻訳・コピーでの記事追加に対して異論があるだろうと予想したため、どこからコピーしたかを明記しておく必要があるだろうと考えたためです。それから、核兵器廃絶への動きについて削除されていますが、どうしてでしょうか?いまこの内容を取り扱った記事がないので、追記してみたのですが。--Clapon 2007年3月19日 (月) 04:31 (UTC)[返信]

とりあえず、原文(Clapon草案)をどこまで削除できるかを検討したのが私の草案です。核廃絶運動に関しては、広島・長崎原爆投下だけが原因という訳ではないので、削除してみましが、簡単な数文くらいなら加えても良いかと思います。また、原爆投下が日本の降伏や世界に与えた影響など、まだまだ加筆の余地はあるかと思います。今しばらくお待ち下さい。--ユキポン 2007年3月20日 (火) 21:57 (UTC)[返信]

Clapon氏草案のまとめ記事について[編集]

コメント待ち、ですが、ちょこっと。Northfaceさんの質問のうち、内容に関わらないものについて、Claponさんとゆきぽんさんはご回答頂けますか?

  • 読み手
    • この新しい文章の想定される読み手は誰なのか?
    • その読み手は、日本語版のユーザー? それとも他言語版のユーザー?
  • 中継点としての役割
    • この新しい文章は長大だが、果たして他の記事への中継点と言えるのか?
    • この新しい文章は、中継点としてうまく機能するのだろうか?
  • 他の記事との対応
    • コピペ先の項目が更新されれば、それに同期してこの新しい文章も更新してゆくのだろうか?
    • この新しい文章は、日本語版における原爆関係の情報の拡散を引き起こすのではないだろうか?

ぼくからも質問します。

  • おふたりの記事は、「広島・長崎に対する原爆投下」あるいはそれに類する名称への移動を想定しているのか、このままの項目名を前提としているのか。
  • この分類を参照した上で、どのような性質の記事だと考えて投稿しているか。

よろしくお願いします。--Ks aka 98 2007年3月21日 (水) 11:20 (UTC)[返信]

Claponの回答[編集]

返答いたします。
  • この新しい文章の想定される読み手は誰なのか?
  • その読み手は、日本語版のユーザー? それとも他言語版のユーザー?
日本語版の読者です。そのなかで、原爆投下について十分な知識を持っていない読者に対して、包括的な情報を与える記事との想定で作成しました。現在の原子爆弾広島市への原子爆弾投下長崎市への原子爆弾投下の記事構成では、個々の詳細内容はわかりますが原爆投下前後の情報が読み取りにくく、また本来は広島・長崎両方に関連する項目が広島の記事に集中的に書かれている、原子爆弾そのものについて記載するべき記事であるのに、本編よりも原爆投下に関する記述のほうが長い、などの問題があると感じました。そのため原爆投下関連情報のハブとなる記事を作成したいという意図があります。
  • この新しい文章は長大だが、果たして他の記事への中継点と言えるのか?
  • この新しい文章は、中継点としてうまく機能するのだろうか?
単に中継点だけでよいのであれば、ここまで長大である必要はないでしょうし、意見が分かれるところでしょう。私個人の意見としましては、前述の通り本来は包括的な情報としてまとめておくべき内容が個別記事に散乱しているという印象ですので、単に他言語版からの中継点ではなく、あえて情報を集約させるために長大な内容にいたしました。全体の流れと概要がわかる記述を記載し、それ以上の詳細は個別記事に譲るというつもりです。なお、個別記事と今回作成した記事の記述量が変わらない部分もありますが、それは個別記事の記述量が足りていないだけだと考えます。
  • コピペ先の項目が更新されれば、それに同期してこの新しい文章も更新してゆくのだろうか?
現在はコピペですが、別に翻訳やコピペにこだわっているわけではありませんし、独自記述でも問題ありません。この記事は原爆投下全体の概要を説明する目的で作成いたしました。したがって、概要が記載されていればよく、本来はもっと詳細が記載されるべきコピペ先の項目と同期する必要性は感じません。今回翻訳とコピペにしましたのは、英語版の記事が概要を掴むのにちょうどよい内容であったことと、原子爆弾の記事内容がちょうどよい内容であったからです。
  • この新しい文章は、日本語版における原爆関係の情報の拡散を引き起こすのではないだろうか?
前述の内容の繰り返しになりますが、逆に今のほうが情報が拡散しているという印象です。ハブ記事を設けるべきです。
  • おふたりの記事は、「広島・長崎に対する原爆投下」あるいはそれに類する名称への移動を想定しているのか、このままの項目名を前提としているのか。
現在の項目名ではなく、類する名称への移動を想定しています。
  • この分類を参照した上で、どのような性質の記事だと考えて投稿しているか。
「まとめ記事」です。広島と長崎の原爆投下の間に起こった出来事、原爆投下後に起こった出来事は、広島・長崎どちらの記事にもかけないことです。今、どちらかの記事に記載されているとすれば、それは情報が偏っていることだと思います。また、このような記事を設けることや記載の内容については議論が必要ですし、その議論は ks aka 98さんがおっしゃっているように既存の記事内容に影響を与えずに進めたいと考えています。一部の方に記事の破壊を前提としていると受け取られていることは非常に残念です。
以上です。--Clapon 2007年3月21日 (水) 13:36 (UTC)[返信]

多忙ゆえ、ご無沙汰していました。失礼。

Clapon氏草案の件ですが、これは「中継記事」ではなく「まとめ記事」であるとのこと。 少し驚きました。今日までの長い議論の中で、合意しかかっているのは「中継記事」のはずですが?

また、想定読者が「日本語版のユーザー」であるとのこと。 これも驚きです。今日までの長い議論の中で、この記事の目的は、他言語版からのアクセスについて考えれば無意味とは言えない (Ks aka 98さん,2007年2月15日)、「他言語版との利便性を向上させるため」(ユキポンさん,2007年3月3日)、このように合意形成の努力がなされてきましたが、Claponさんの案の想定読者が「日本語版のユーザー」であるとすれば、これまでの議論の流れを無視していることになります。

もちろん新しいアイデアを考えるのは自由ですが、Claponさんの新しいアイデアで合意形成が得られるかどうか、ご自身でまず努力される必要があるようですね。

私は、海外在住一学生さんが投稿された筋の通った批評に、どう誠実に回答するかを注視したいと思います。

--Northface 2007年3月24日 (土) 06:15 (UTC)[返信]

合意と一致していないというご指摘を以前からいただいておりますが、私はまだ合意はほとんど形成されていないという認識です。中継点を作成するという点で合意した程度であり、その実現方式についても合意が得られておりません。「まとめ記事」でも中継の役目は果たせますし、私はまとめ記事を設けるという主張をしておりました。したがって今後合意を形成するための前準備として、まずは私の思う記事を作成したわけですので、合意を無視しているというご指摘はあまり意味がないのではないでしょうか。また、そのような認識ですので、どの部分が合意を無視しているのか判断しかねますのでご提示いただけると助かります。また、過去の議論に固執なさるよりも記事に関してのコメントをいただきたく思います。--Clapon 2007年3月24日 (土) 06:50 (UTC)[返信]
「日本語版の読者」を対象とする、という回答の何が驚きなのか、全く理解できません。日本人読者であろうと、外語版からインターリンクで来られた方であろうと、日本語版ウィキペディア閲覧者は須く「日本語版の読者」です。たとえ母語が日本語で無くとも、日本語版の事典を調べに来た時点でその人は「日本語版に用があって来た」という「日本語版の読者」です。Northfaceさんが外語版読者を対象とされたいのであれば、他の言語版に行かれる事をお薦めします。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年3月24日 (土) 07:29 (UTC)[返信]


Claponさんの回答からは合意を破棄し、自己の案で独走するとの意見表明と受け取りました。 現在の案で合意形成が得られるかどうか、ご自身でまず努力される必要があるようですね。

٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥さんの暴言に関してはスルー致します。(言葉は大切に扱った方が良いですよ)

--Northface 2007年3月25日 (日) 13:50 (UTC)[返信]

何が暴言であるのか、これもまた皆目理解出来ませんね。逆に質問しますが、Northfaceさんは本項目を、誰を対象としたものになさりたいのですか?--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年3月25日 (日) 14:03 (UTC)[返信]
Northfaceさんはちょっと誤解されているように思うのですが、私は叩き台として案を出したわけですので、この内容をむりやり通そうとは思っておりませんよ?どこで独走という発想がでてくるのか理解できません。案として不十分であると思われるなら、具体的に指摘していただければ返答なり改善なりいたします。それが案を作成した目的ですので。この叩き台は#議論の前進か、あるいは議論を元に戻すかで ks aka 98さんが提案された「要約であれ、独自視点であれ、コピペであれ、新規書き下ろしであれ、まずは叩き台となるものが必要だと思います」という案に賛同して、私なりの叩き台としたものです。申し訳ありませんがNorthfaceさんのご主張がよくわからないのですが。--Clapon 2007年3月25日 (日) 14:24 (UTC)[返信]
指摘、というよりも、対案を出して頂く方が、これまでの流れを見るに建設的であるように考えます。これまで、案を出しては否定して、という繰り返しであった事を踏まえると、これからは否定するならば対案を出す事を推奨(本当はルールとしたい処ですが誰もがClaponさん達のように自案を出せる頭脳を持ち合わせている訳でもありませんので)という事にしたら如何でしょうか。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年3月25日 (日) 14:41 (UTC)[返信]
そうですね。対案を出していただいたほうが議論が進むと思います。単に否定されるだけでは建設的な意見交換にならないと懸念しております。対案を出すのが難しい内容であれば、少なくとも記事の内容について「どういう理由で」「何が問題なのか」を客観的に判断できるコメントを提示いただきたいです。--Clapon 2007年3月26日 (月) 02:17 (UTC)[返信]

ユキポンの回答[編集]

少々遅くなって恐縮ですが、Ks aka 98さんの質問に対する回答です。

  • この新しい文章の想定される読み手は誰なのか? その読み手は、日本語版のユーザー? それとも他言語版のユーザー?
    • 日本語版のユーザー、および日本語を理解する他言語版のユーザーです。原爆投下に至る大まかな流れを知りたい読者に向けた記事であると解釈しています。
  • この新しい文章は長大だが、果たして他の記事への中継点と言えるのか?
    • 既に私の草案では必要最低限の情報に絞りましたので、もはや長大ではないと認識しております。
  • この新しい文章は、中継点としてうまく機能するのだろうか?
    • 詳細記事への案内を各項目の文頭に太字・斜体で目立つように書かれているので、中継リンクとして十分わかりやすいよう表示してあります。
  • コピペ先の項目が更新されれば、それに同期してこの新しい文章も更新してゆくのだろうか?
    • この記事では基本的な情報だけ述べているので、歴史的発見でもなければ簡単に変更することはないと思われますが、万一そういったことが起これば更新する予定です。
  • この新しい文章は、日本語版における原爆関係の情報の拡散を引き起こすのではないだろうか?
    • 私が懸念する情報の拡散(「分散」と呼ぶべきか?)とは、Wikipedia:記事の分割と統合#統合すべき場合に記述された「同一の概念や事物に関して、別名で記事が作られた場合」に抵触する状態です。今回の草案ではいずれの項目も要約にとどめ、詳細を扱った記事へのリンクも貼り付けられているので、情報の拡散・分散に関しては懸念すべき問題はないと思います。
  • 「広島・長崎に対する原爆投下」あるいはそれに類する名称への移動を想定しているのか、このままの項目名を前提としているのか
    • 「広島市・長崎市への原子爆弾投下」への移動を想定しています。理由は「中継点の名称はどうするか?」にある通りです。
  • この分類を参照した上で、どのような性質の記事だと考えて投稿しているか
    • 現状では「まとめ記事」です。他の記事に影響を与える手法はこの場の議論だけでは収まらないので、とりあえずこの記事の枠内で出来ることから進めていきたいと思います。

以上が私の見解です。--ユキポン 2007年3月24日 (土) 06:38 (UTC)[返信]

ユキポンさんの文章からは今一つこの案で何をしたいのかが見えてきません。 現在のユキポンさんの案は中継点とはいえません。何か別のものです。

やはり、他人の案を編集して自分の案だと誤魔化すのではなく、一から自分で書き起こす努力してみてはいかがでしょう?

自己努力をしない人は人の心を動かすことは難しいですよ。

--Northface 2007年3月25日 (日) 13:54 (UTC)[返信]

私の草案から意義を見出せないのは、単にNorthfaceさんの理解しようとする姿勢が欠けているからでは?あと、「中継点ではない何か別物」と主張したいなら、まずその理由を書いて頂く必要があります。確かに、他者の意見を理解しようという姿勢に欠けた人の心を動かすことは至難の業でしょう。--ユキポン 2007年3月25日 (日) 15:13 (UTC)[返信]

記事案の構成について(2007年4月4日以降)[編集]

1週間議論が停滞しているようですが、みなさんコメントが付けづらい状況なのかと思います。そこで、記事案の構成についてみなさんの考えをお聞かせください。なお、Clapon案もユキポン案も大まかな構成は同じですので一緒に扱います。個別の案についての意見の場合はその旨を明記してください。

  • 「まとめ記事」の存在意義について - 前述のとおり、現在は原爆投下関連の記事が散乱しており包括的な情報を得られる記事がないためにまとめ記事を作ろうというのが私の案の目的です。ユキポンさんの目的も「原爆投下に至る大まかな流れを知りたい読者に向けた記事であると解釈しています。」とのことで、私と大きく違わないと考えております。それをご理解いただいたうえで
  1. 「まとめ記事」は必要だと思われますか?
    1. 必要と思われる場合、記事の構成はどうでしょうか
    2. 不要と思われる場合、包括的な情報を得られる記事がないという懸念がありますがどのようにお考えですか?

具体例を交えた御意見をお待ちしております。--Clapon 2007年4月3日 (火) 15:25 (UTC)[返信]

長文書いたファイルが行方不明中でレスが遅れております。取り急ぎお詫びします…。--Ks aka 98 2007年4月3日 (火) 15:35 (UTC)[返信]

まとめ記事は「あっても良い」というのが意見です。個人的には「あるべき」とまでは言わない迄も「あった方が良い」というレベルであり、どちらかと言えば積極的なベクトルです。ただし無理に捻り出して書くのでは無く、ヒロシマ・ナガサキの項目に分けて書く事の困難なもの、複合する内容、補足する事でより興味深い学術的好奇心を満たすものです。具体的には各々を個別視する日本と同一視する海外との温度差に付いて他言語版の翻訳も交えて記述したり、或いはもし出典が存在するのであれば仮にヒロシマやナガサキ以外に落とされた際のシミュレート記事等にも言及できれば、大変興味深いものになると考えます。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年4月3日 (火) 16:15 (UTC)[返信]

私情により遅くなりましたが、利用者:ユキポン/広島市・長崎市への原子爆弾投下記事ユキポン草案を改定しました(原爆使用の賛否」「ソヴィエト連邦への影響」の追加など)。まとめ記事としてはこの位でいいのではないのかと思うのですが、いかがでしょうか?--ユキポン 2007年4月8日 (日) 17:07 (UTC)[返信]

確認[編集]

٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥さんのコメント(2007年3月25日)とClaponさんのコメント(2007年3月26日)を見る限り、現在はClaponさんとユキポンさん以外の案及び対案の掲示待ちという認識で間違いないでしょうか。もしそうなら、案を掲示する意向があるということの表明と何時ごろまでに掲示できるかということの目処を知らせていただきたいと思います。--sabulyn 2007年4月9日 (月) 15:50 (UTC)[返信]

きっちりとした対案を待っているわけではありません。私やユキポンさんの案のどこがよくてどこがよくないかといったコメントも募集中です。しかし今までの経緯がありますので、単にコメントだけではなく具体的な指摘や改善案ともに出してほしいということです。対案になると敷居が高いと思いますので、気軽にコメントしていただくのでかまわないです。なお、後半の部分には賛同いたします。対案やコメントを準備中の方がいらっしゃれば、いつごろになりそうかだけでも教えていただきたいです。--Clapon 2007年4月10日 (火) 00:17 (UTC)[返信]

まとめ役をはなれて思ったこととか提案とか[編集]

遅くなりました。長くてスミマセン。

まず、Sabulynさんがお越しいただいているので、原子爆弾のノートでのご意見を見て、一つ提案させてください。「原子爆弾」から、実戦での原爆投下関係の項目を外したいというご意向でしたが、今の長崎や広島の項目名にしても、現在想定されている「原子爆弾の投下」という項目名にしても、検索で辿りつくのが難しいように思います。実戦で広島・長崎投下された原子爆弾およびその関連事項を調べようとする閲覧者の立場に立つと、とりあえずは「原爆」、事典で引く上で「原子爆弾」として検索するのが自然ではないか、と。「原子爆弾」から関連項目などでリンクを貼ることで足りるという考えもあるかとは思いますが、「原子爆弾」を、現在の「原子爆弾」の記述の要約によるハブ的な機能を持つ関連項目の総合ページとして、今の「原子爆弾」を「原子爆弾(兵器)」などと改名して項目移動、実戦での使用例は編集除去という形にするのはいかがでしょう? 

続いてClaponさんとユキポンさんの案についてです。お二人の案と、お答え頂いた意図から考えると、これは他言語版からの中継点(あるいはそれを発展させたもの)ではなく、移動を前提とした日本語版閲覧者向けのまとめ記事であり、他の項目の内容の要約を含むものと考えます。

となると、現在の日本語版内の項目としてはアクセスしづらいが他言語版からの中継点として一定の意義が認められるために削除には及ばなかったこの項目と、まったく異なるものと思われます。つまり、たとえば「原子爆弾投下」という項目を新規に立て、「広島市への投下」「長崎市への投下」の上位に位置づけて、この「1945年の…」という項目を削除する、という形に近い(このノートでの議論を残すという意味合いで項目の移動という形をとってもいいと思います)。ということになると、削除依頼への対処から流れてきた立場としては、手に余る感じがしますし、Norcefaceさんほか要約記事に反対する立場からの意見が停滞しているというか、依然としてすれ違いが続いている感じもあるので、ちょっとまとめ役から離れて意見を述べます。

とりあえず他の項目の記述に影響を及ぼさないということが、試案を書いてみることを提案したときのお願いの一つでした。Claponさんの案のコンセプト説明では、たとえば

  • 投下までの経緯について、日本語版ではマンハッタン計画、太平洋戦争、原子爆弾に記述が分かれていましたので、これらの集積も兼ねて翻訳記事で補完しました。なお、投下候補地の選択については英語版と日本語版原子爆弾の記載内容を統合したいと考えています

とありますが、集積・補完する上で、現時点で投下までの経緯がもっとも詳しいと思われる「広島の原子爆弾投下」との調整は避けられないように思います。現在の記述されている情報量などを考えると、実質的には「広島」を分割・再編することになるではないかと思います。また、どこを最も詳しい記述がある項目とするか、どこはどこからの要約なのか、どこは項目名に沿った視点でのまとめなおしなのか、としてというような、原子爆弾関係の構造全体について整理しておかないと、後にコピー&ペーストによる移動が双方向で行われてしまったときに、履歴が複雑になりすぎてしまうという懸念があります。

こうしたことを考えると、Northfaceさんの同意は得られないように思います。しかしこれは、大がかりな改変や他項目の記述への影響を及ぼすことを、曖昧さ回避的な「1945年の…」のノートでの議論で決定づけてしまうことへの危惧もあるでしょう。

記述内容を見ると、「広島」の項目にある投下までの経緯は広島に限った記述ではなく、「原子爆弾投下」あるいは「マンハッタン計画」にまとめて置くという提案は合理的だと思いますので、「広島」の執筆者との調整の上で作業を進めるのがよいと思いました。以前のユキポンさんによる説得はうまくいかなかったようですが、具体的な案もありますし、あらためてClaponさんや٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥さんが対話に向かうことで好転するかもしれません。大がかりな構成の整理を前提としての議論であれば、Northfaceさんも協力してくれる可能性があると思います。

分量としては、要約部はユキポンさんの案程度でよいと思いますが、これは個人的な感覚なので、他の意見もあるでしょう。「原子爆弾」が上で述べたような形になるなら、ユキポンさん案をもっと刈り込んで、「原子爆弾の投下」はユキポンさん案とClaponさん案の中間くらい、でしょうか。なんとなくイメージしているのは、以前見た英語版の現代音楽です。要約部は、主記事へのリンクと要約、という形。

構成としては、全体としてお二人の案と同じ方向ですが、他の項目との関係として、

  • 戦局の背景と日本軍の動向(書き下ろし)
  • マンハッタン計画の要約と案内

  (都市選定などについては、ここをもっとも詳しいものとして位置づけ?)

  • 長崎市への投下の要約と案内
  • 広島市への投下の要約と案内
  • 被爆者の要約と案内
  • 広島・長崎の比較など(書き下ろし)
  • 投下後の動向(書き下ろし、または被爆者の要約と案内)

という感じになるでしょうか。--Ks aka 98 2007年4月12日 (木) 17:05 (UTC)[返信]

御意見ありがとうございます。そしてそれに対する意見の表明が遅くなってしまったことをお詫びいたします。ks aka 98さんのご意見を読ませていただき、私が考えたことを書きます。
まず記事名についてですが、原子爆弾原爆投下というイメージが日本人には強いでしょうが、それぞれの言葉が指すものは兵器と過去の事実であり、イコールではありません。ですので原爆投下に関する内容を「原子爆弾」という名前の記事に書くことには違和感を感じます。(現状はそうなっているのですが。)クールダウンの目的で意図的にこれらの議論から距離を置いていましたので、ノート:原子爆弾で議論が進んでいることを存じませんでしたが、兵器としての原子爆弾とは関係ない原爆投下の記事を分離しようという動きに私は賛成いたします。兵器の部分を(兵器)をつけて別記事にするよりは、「原子爆弾」に兵器そのもの、「原爆投下」(もしくは類似の名前)に過去の事実を書くほうがすっきりするのではないでしょうか。まあこれらの議論はどういう記事構成にするかが決まってからでもよいように思いますので、意見の表明にとどめます。
次に、「原子爆弾投下」という項目を新規に立て、「広島市への投下」「長崎市への投下」の上位に位置づけて、この「1945年の…」という項目を削除する、という形に近いというka aka 98さんのご指摘はその通りです。内容をすべて置き換えるということで、単なる中継点だけではない記事になります。試案を作る際に、「広島の原子爆弾投下」のほうの記述は極力手を加えないようにと思いましたが、すでに広島に長崎と重複する内容が記述されている以上、何らかの手を加えざるを得ない状況だと思いました。これについてはまずこの「原爆投下」のような記事を作成するべきかという点で合意を得た上で、「広島の原子爆弾投下」および「原子爆弾」に議論の場を移そうかと考えていましたが、意見がつかない現状ではそれすら難しい状況です。方向性が定まった際には、各記事の交通整理を十分に行い履歴が錯綜しないように注意する必要があることは留意しておきます。
正直申し上げて、今ある記事をスクラップ&ビルドするのはいろいろと骨が折れる作業だと思いました。こちらの議論も膠着していますし、どうやって進めたものかと途方にくれている部分もあります。ks aka 98さんにご意見をいただきましたので、私のほうでもまた考えてみます。--Clapon 2007年4月18日 (水) 13:08 (UTC)[返信]

議論が停滞しているようですが[編集]

ここ1ヶ月ほど、議論が完全に停滞しているようです。結局のところ

  1. 現状のまま(この項目は削除する)
  2. 広島市への原子爆弾投下他から本項目へ転記をする

の二者択一のように思えるのですが、転記をする様子もありませんし…

結局のところ、皆様は当該記事群をどうしたいのでしょうか。現状のままでも問題はないように思えるのですが、この考え方は甘いのでしょうか。--Avanzare 2007年5月30日 (水) 06:34 (UTC)[返信]

私も現状のままでとくに不都合はないと思います。より良いものにしたいというこれまでの議論をないがしろにはしたくありませんが、上のAvanzareさんの指摘後も議論の再開ないし結論をまとめる動きが出てこないので、改名提案テンプレートは削除します。--MikeAz800o 2007年6月26日 (火) 00:10 (UTC)[返信]
どうもありがとうございます。議論が進まない以上、現状維持で致し方ないと思っています。私自身もそれを押し切って実行するまでの努力ができず、結果として中途半端に終わってしまい申し訳ない気持ちです。やっぱり人が集まってこその議論だと痛感しました。--Clapon 2007年6月26日 (火) 00:18 (UTC)[返信]

一年以上前に終わった話なんですね。基本的に現状維持で、多言語からのリンク(当事国での説明として?)はこのページを推奨するというスタンスですか--Aki4 2008年8月8日 (金) 15:26 (UTC)[返信]

現状のままで問題はないと考えます。既に結論(議論が進んでいないのは、現在の状態で良いと考えられている方が大多数と推察出来ます)は出ています。これ以上の議論は必要ないのでは?--男梅 2009年9月13日 (日) 01:44 (UTC)[返信]

1945年の原爆投下はテロリズムだったと言えますか[編集]

この議論は英語のウィキペディアで出てきて、ここの編集者がどう思うのか気になりました。そこのノートはこちらです。このページで答えましたら私が伝えます。投稿はいつも有難うございます。 Theanphibian 2007年7月8日 (日) 22:41 (UTC)[返信]

Help needed for article on Wikipedia in English[編集]

Hello, I am sorry that I cannot read nor write in Japanese. But I hope that someone can read this note and react to it.

On the Wikipedia article List of massacres, which counts hundreds of events, a group of users have repeatedly deleted the entries relative to the nuclear bombing of Hiroshima and Nagasaki. Among many false reasons, they claim on the Discussion Page of the article (and also here) that these two events and the last bombing of Japan on Aug. 15th 1945 were NOT massacres, because "no reliable source" has written that it was a massacre !!! Others and myself think that it is outrageous, but now I have been blocked from editing because I could not accept this lie (the deleted text is here in the article's history).

It would be appreciated if anyone concerned by this shocking situation could contribute to rectifying the truth.

ありがとう , Michel Tavir

interlinkなし[編集]

I have to put the interwikilink to de:Atombombenabwürfe auf Hiroshima und Nagasaki here, otherwise bots on de.wikipedia.org will continue to falsely put an interwikilink to 長崎市への原子爆弾投下 in the article de:Atombombenabwürfe auf Hiroshima und Nagasaki (which covers both Nagasaki and Hiroshima). --Asthma bronchiale 2008年7月8日 (火) 22:36 (UTC)[返信]

「日本への原子爆弾投下」への改名提案[編集]

以上です。みなさまのご賛同をお願いします。--Nife 2009年8月24日 (月) 19:00 (UTC)[返信]

記事「日本に対する原子爆弾投下」という記事で、1945年に米国が日本のどの都市に原子爆弾を落とすかを絞り込む過程が書ければいいと思います。--経済準学士 2009年8月24日 (月) 19:42 (UTC)[返信]

この記事名を日本への原子爆弾投下とし、上の記事の部分を移動することを提案します。--Nife 2009年8月31日 (月) 21:58 (UTC)[返信]

ご異議ないようでしたら、明日から着手しましょうか?--Nife 2009年9月12日 (土) 12:13 (UTC)[返信]

(取り下げ)変更する必要がないという男梅さんの書き込みが上段にありましたので改名提案は取り下げて、別に日本への原子爆弾投下という記事を新規作成しました。経済準学士さんのご協力に感謝します。--Nife 2009年9月14日 (月) 19:39 (UTC)[返信]