ノート:黒澤明

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文芸評論家の小林秀雄との関係[編集]

この分野はまだ鳥羽口に立ったばかりで、ロシア文学者の高橋誠一郎氏が少しやってますね。これも覚え書きです。

 この意味で注目したいのは、一九七五年にロシアで撮った映画《デルス・ウザーラ》が日本で公開された後で若者たちと行った座談会で黒澤監督が、「小林秀雄もドストエフスキーをいろいろ書いているけど、『白痴』について小林秀雄と競争したって負けないよ」と語っていたことである。
http://www.stakaha.com/?page_id=3075

対談冒頭、小林は黒澤に対して「君の映画は見てないよ」って知らん顔したらしいですが、「黒澤天皇」よりも更に上の人がいたらしいですな。激論でもやったのか知らん、対談は雑誌に掲載されなかったらしいですが、その翌年、黒澤作品は何も公開されず、翌々年に突然、シェイクスピアとゴーリキーの翻案劇をやりましたね。小林対談で何があったんでしょう? 誰か研究して下さい。

すみません、対談というのは70年代のではなく、56年暮れにやった小林と黒澤の対談でした。
『影武者』はあんまり評価されることが少ないですが、見るとそんなにひどい出来でもないですね。三船主役の黒澤時代劇が慣れてしまってると、ピリッとした印象に欠けますけど(猫背の信長や太ったアンチャンの家康は、致命的欠点とまでは言えないでしょう)。
信玄(小林秀雄=『乱』の秀虎)に殉死する黒澤(影武者)の話ですね(これは私の私的な解釈なんですが)。もの悲しいラストで。「風林火山」の「動かざること山の如し」の「山」の座に座った影武者が、そこから、目の前に屍の山が積まれて行く壮絶な景色を信玄に代わって見ておののく。しかし、決定的な瞬間に影武者は「動くな!」と一喝して場を収める。「不動心」という奴ですね。「保守」というのとは似て非なるものです。一応、見ておくと話の種になって宜しいですな。--Crw会話2014年4月1日 (火) 09:27 (UTC)[返信]

『天国と地獄』以後について[編集]

典拠のない話なんで、覚え書きくらいな感じでここに書いときますね。黒澤の自殺未遂は71年末です。70年安保直後で、一年前には三島事件、半年後には川端が自殺してます。『どですかでん』が興行的に不首尾に終わったせいとも言われていますが、沖縄返還問題なども絡んで日本の難しい時代ではあったと思われます。

『天国と地獄』のページに少しありますが、この映画の公開が引き金で起きてしまったと思われる事件に「吉展ちゃん誘拐殺人事件」や「狭間山事件」があります。この作に続く『赤ひげ』や『どですかでん』を、こういった『天国と地獄』公開の余波から透かして見ると、『どですかでん』の電車少年は『天国と地獄』の「こだま」や「江ノ電」の続きに見えてしまう。『赤ひげ』の去定先生は三船でなければならなかった。

通して作品を見ると『天国と地獄』にまつわる様々の件が心の重しとなったままアメリカ進出の失敗なども重なって、黒澤は自傷行為に走ってしまったように思われるわけです。『天国と地獄』後の作品は、時代を知らなければ分からない難しさがあるかも知れません。

なにぶん自分の生まれる前の時代の話なんで、分からんことがいっぱいありますな。--Crw会話2014年3月24日 (月) 03:02 (UTC)[返信]

60年安保の年に、黒澤は悪の完全勝利に終わる『悪い奴ほどよく眠る』を作りまして、メイキング見ると、翌年『用心棒』からサングラスかけてますね。サングラスの色はだんだん濃くなって行きます。60年安保ってのは、言わば戦後日本の理想主義の終焉であって、以後日本は黒澤にとってコワモテぶらないとやっていけない国になってしまったらしいですね。ルーカスはダーズベーダーが暗黒面に落ちたのは共産主義に寝返ったからと思ったらしいですが、逆かも知れませんね。余計な話ばかりすみません・・・--Crw会話2014年3月27日 (木) 13:01 (UTC)[返信]

客観的な表記[編集]

「210.157.210.178」氏の投稿に

「自らの知的水準の高さを証明できるとでもいいたげな一部似非インテリ評論家の不当な攻撃」 「黒澤明の評価はそのような一部の誹謗中傷にもかかわらず、今後も映画史上にしかるべき地位を占めつづけるであろう」

等のように客観性を著しく欠いた感情的な内容がありましたので、これを是正すべく客観的な表記に書き改めました。個人的には思うところがあるのですが、私的な評価を交えない表現にしたつもりですので、異論があるようでしたらここ(ノート)で議論しましょう。--parole 2005年1月7日 (金) 03:56 (UTC)[返信]

徹底した男性主義路線[編集]

黒澤作品に出演していない女優が列挙されているが、五社協定で会社の壁もあって、東宝以外の専属女優は出演できないのだから、いちがいにはいえないと思う。--124.147.101.100 2006年8月8日 (火) 06:27 (UTC)[返信]

一番美しくを見て、細面の入江たか子を黒澤夫人と思って見て、見直したら女子工員隊長のコロっとした少女の方でありまして、目から鱗が落ちました。大物軍人を父親に持つ黒澤にとって映画製作は戦争であって、女性の好みは銃後の母だったようですな。--Crw会話2014年3月26日 (水) 14:30 (UTC)[返信]

黒澤の受賞歴[編集]

「生きる(ベルリン国際映画祭銀熊賞) 」「1990年米アカデミー賞特別名誉賞」「隠し砦の三悪人(ベルリン国際映画祭銀熊賞監督賞) 」は誤りの可能性があります。論拠は『生きる』についてはこちら。特別名誉賞、『隠し砦の三悪人』についてはこちらを参照してください--61.27.100.218 2006年12月18日 (月) 11:35 (UTC)[返信]

ですが、問題となっているマンガ『クロサワ』で明らかにされたのは、既にここで 言われているように黒澤明がアカデミー賞で受賞したのは単なる“名誉賞”だったと いうことと、日本では『生きる』が1954年度第4回ベルリン映画祭で“銀熊賞”を受賞 したとされてきたが、実は銀熊賞を受賞したのではなかった、ということです。  そこに引用されているベルリン国際映画祭事務局からの回答では、「黒澤明は一九 五四年、銀熊賞を受賞していません。“ベルリン市政府特別賞”を映画『生きる』に 対して、また黒澤自身に対しても授与しました」ということでした。

実際のところ海外での黒沢明の評価は? ttp://tv.2ch.net/movie/kako/1001/10014/1001441017.html 203.140.42.80 2007年9月9日 (日) 10:55 (UTC)[返信]

マグサイサイ賞について要出典とありましたが http://www.rmaf.org.ph/Awardees/Citation/CitationKurosawaAki.htm 黒澤本人の受賞コメント http://www.rmaf.org.ph/Awardees/Response/ResponseKurosawaAki.htm

ただ、こちらには Manila Film Festival Ramon Magsaysay Memorial Award http://www.kurosawa-drawings.com/page/8

とあります。別の賞かもしれませんが。 とりあえず、公式サイトに記述されているので要出典は消しておきます。

それから「要出典」付けてる人にお願いです。 映画祭の公式サイト調べるなりしてから「要出典」は付けてください。 私も面倒だからそこまでやる気はないけど。

「面倒」かどうかではなく、書いた人が「出典」を明記するべきだと思います。いずれにせよ、調べてから書いてもらわないと、記事の信憑性に不安が残りますが…。--125.170.134.77 2007年7月9日 (月) 17:23 (UTC)[返信]

三船敏郎との関係[編集]

本文中で、議論するのはwikipediaでは避けるべきですので、このノートで議論することを提案します。

三船敏郎との確執については、色々な話が面白おかしく広まっていて、 何が本当なのか良く分からなくなっていることは確かです。 (そもそも黒澤監督には真偽の良く分からないエピソードがかなり多い人です。) そこで、このノート上で文献を引用してひとつひとつのエピソードを確認していきませんか? とりあえずは、

  • 『トラ・トラ・トラ』の素人起用に対する三船発言
  • 確執はなかったという三船発言
  • 黒澤による三船の否定的評価
  • 野上照代の証言

などについて、どなたか出典を明示いただければと思います。 おーた 2007年1月18日 (木) 16:02 (UTC)[返信]

参考 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa129209.html

リアになる俳優はお決まりですか 「まぁこれはやっぱり仲代にやらせる他ないでしょうね。 まぁ、三船はもう衰弱しちゃってるから、とても、あの (しばし沈黙) あのリアみたいにあれほど人間としてね、こう極限状態の苦悩を耐えて 最後には発狂して死ぬまでをやるためにはね、相当な健康とね、相当な体力が無いとね とっても出来ませんよ、そりゃ」    演技力はどうですか? 「演技力はこれから取っ組み合いをするわけですけどね、僕は可能性はあると思いますよ」

最後のサムライー三船敏郎ー http://choco.2ch.net/movie/kako/1003/10032/1003248573.html

資料明示ありがとうございます。ただ、Wikipedia:検証可能性なども参照していただいて、Wikipediaで認められている、文献から直接引用ください。その上で、本文記事に書いていただければと思います。それから、ノートへの書き込みには署名をお願いします。半角のチルダ「~」を4つ並べて書いておけば、日付と共に自動的に署名されます。よろしく。--おーた 2007年6月17日 (日) 13:23 (UTC)[返信]

被写体深度とは?[編集]

被写体深度という言葉が使われていますが、そんな用語は存在しません。 被写界深度の間違いだと思われます。

他にもパンフォーカス撮影のことをよく理解せずに書いてある部分があります。

望遠レンズはもともと被写体(注:原文ママ)深度が浅い(ピントが合う範囲が狭い)。 それを補うために、通常の何倍もの照明を使った上で絞りを極端に絞って撮影を行った

とありますが 元々被写界深度の浅い望遠レンズでパンフォーカスにするためには 被写界深度を深くするために絞りを極端に絞る必要がある。 ただし、そうすることによって光量不足となる。 そのために、「通常の何倍もの照明」が必要となるのです。

現在の記述では、まるで「通常の何倍もの照明」によって 被写界深度が深くなるかのような印象を与えてしまいます。

「通常の何倍もの照明」が必要となる理由は。

元々被写界深度の浅い望遠レンズで、被写界深度を深くするために 絞りを極端に絞る必要があり、その結果光量不足という副作用が発生する。 それを補うためのものです。 絞りを極端に絞らなければ「通常の何倍もの照明」は必要ないのです。

ですから、普通の監督は光量不足の問題を回避するため パンフォーカス撮影は広角レンズで行います。

黒澤のマルチカム撮影をハリウッドの模倣みたいに書いてある部分も 不適切ですし、望遠レンズについても一面的に過ぎます。

さらにこの記述

馬が疾走する撮影のコツをジョン・フォード監督から教えて貰ったときの話を後年、黒澤は誇らしげに語っているが

私の記憶では、誇らしげにというより、コツ自体はジョークと黒澤と受け止めており 「いかにもフォードらしいね」と微笑ましく語ってたようですが。

いずれにせよ、望遠レンズとパンフォーカスとマルチカムについては ノートで議論し合意を形成した上で記述するということにしましょう。(以上の書き込みは2007年9月3日(月)13:12に203.140.42.206さんの手で行われました。--おーた 2007年9月4日 (火) 01:37 (UTC))[返信]

まずは、このページ(黒澤明)への編集参加、ありがとうございます。断片的な知識を書き込んでいかれる編集者がほとんどなので、きちんと体系的に記述できる方の参加はありがたいです。
「被写「体」深度」の指摘はごもっともです。マルチカム撮影についての記述と併せて文案を作成していただけますか?
それから、ノートへの書き込みの際には署名をお願いします。チルダを4つ並べれば書き込んだ時刻とアカウント名もしくはIPが自動挿入されます。--おーた 2007年9月4日 (火) 01:37 (UTC)[返信]

世界的な影響に関して[編集]

リチャード・ギアを忘れないでくださいね。 (この書き込みは 2007年3月27日 (火) 04:18 Johaness24 によるものです。--おーた 2007年11月18日 (日) 22:19 (UTC)[返信]

現在、黒澤明を尊敬していると公言した映画人の名前が多数並んでいて、今も増えていますがここまで多いとあまり意味は無さそうですし、検証可能性も満たせそうにありません。いっそのこと、削除してしまったほうが良いかと思われます。いかがでしょうか。--おーた 2007年11月18日 (日) 22:22 (UTC)[返信]

異議が出なかったので、削除します。--おーた 2007年12月29日 (土) 09:42 (UTC)[返信]

”『七人の侍』の影響からか、主役格が7人である映画は多い。” との事ですが、根拠がかなり弱いように感じます。その他に対してももう一度見直す点があるように思えます。 影響力が強いことは確かでしょうが、こじ付けの部位や不明瞭な点が多いと逆に怪しく見えてしまいます。

荒野の七人、荒野の用心棒について[編集]

「その他の映像作品」の中に「原作」として挙がっていますが、これは適切でしょうか?--JINKY.ECLEO 2007年12月28日 (金) 20:18 (UTC)[返信]

「受章」と「授章」[編集]

(お知らせ)当記事にて、「受章」と表記すべき箇所を、わざわざ誤字である「授章」との表記に修正する利用者がいるようです。詳細は「ノート:川端康成#文化勲章について」をご参照ください。--60.254.214.100 2008年7月20日 (日) 19:07 (UTC)[返信]

米アカデミー特別名誉賞[編集]

黒澤明が米アカデミー特別名誉賞を受賞したと何度も書く利用者者がいます。「炎の映画監督・黒澤明伝クロサワ」(小学館)にて、米アカデミー特別名誉賞は存在せず、マスコミのリリース・ミスであることが述べられています。編集合戦になるのも面倒なので、私はもう何もしませんが、誰か何とかしてください--Ooiei 2008年7月25日 (金) 12:15 (UTC)[返信]

アカデミー「特別名誉賞」の件について、すでにこのノートの#黒澤の受賞歴にて、アカデミー賞には特別名誉賞なる賞は無いということが文献をあげて指摘されています。(多数の受賞者が居る「名誉賞」ならあります。)ところが、黒澤が特別名誉賞という歴代でも3人しか受賞していない賞を取っていると何度も書き込んでおられるIP編集者(124.212.193.113)さんの記事によれば「黒澤が自らの著書で特別名誉賞のことを語っている」そうです。ただし出典は明示されていません。([1][2][3][4])
そこで、アカデミー賞に「名誉賞(Academy Honorary Award)」とは別に「特別名誉賞」に相当する賞があるのか改めて調べてみました。en:Academy Award#Specialcategoriesを見てもそれらしいものはありません。そこにあげられている5つのSpecial categoriesのうち、「名誉賞(Academy Honorary Award)」以外に黒澤が受賞しているものはありませんし、歴代でも3人しか受賞していないような賞もありません。また、米国アカデミーの公式webサイト(ここ)でも、見当たりません。そこにあるデータベースでAkira Kurosawaを検索しましたが、Akira Kurosawaが受賞しているのは1985年の『乱』と1989年のAcademy Honorary Awardしか出てきませんでした。124.212.193.113さんが「大変敬意ある映画監督に、芸術科学アカデミーの会員選出者が厳密に審査する」と解説する「特別名誉賞」が本当に存在しているならば、これはかなり不思議な事態です。
Wikipedia:検証可能性に従えば、こうした場合は書き込もうとする側が検証可能で信頼性のある文献を示す必要があり、それが無い限りは該当部分の記事を削除して構わないとされています。124.212.193.113さんにはたいへん申し訳ありませんが、まず、黒澤の自著の何ページに「特別名誉賞」のことが書かれているのか明示いただけますでしょうか(『蝦蟇の油』でしょうか?)。現在の不思議な状態について、何か分かるかもしれません。
また、こうした伝記記事で案外に厄介なのが「自伝」だということは指摘しておきます。本人の思い込み、あるいは口述筆記の場合は聞き取り者の勘違いなどで事実と異なる話が書かれる場合も少なくありません。自伝よりも他人の評伝の方が信頼が置ける場合もけっこうあるのです。
いずれにしても、「特別名誉賞」なるものが米国アカデミーで実際に存在することが証明できない状態では記事を置いておくわけにはいきません。124.212.193.113さんには納得できないかもしれませんが、ひとまず記事から削除して、このノートで記事の妥当性が証明できた時点で本文に戻すことにしたいと考えます。ご理解ください。--おーた 2008年7月29日 (火) 14:29 (UTC)[返信]

またしつこく理由も明示せず「特別名誉賞」と特定ユーザーが書き込んでいます。これ以上、同様の行為が続くなら投稿ブロックを行ってほしいです。--Ooiei 2008年8月2日 (土) 01:47 (UTC)[返信]

レジオンドヌール勲章の受章について[編集]

レジオンドヌール勲章記事にありました受勲者のリストを廃止することになりました。情報量を減らさぬため、リストに名前があるが、御本人の記事には受章の記載のないものについて、ノートでお知らせを致しております。あくまでリストに名前があったというだけで、本当に受章しているかの裏付けは取れておりません(これがリスト廃止の理由です)ので、ご確認の上で、記事に受章事実を記載するかなどをご検討頂ければ幸いです。以下はリストに記載されていた内容です。--Igitur 2010年4月15日 (木) 16:14 (UTC)[返信]

黒澤明の顔写真について[編集]

現在の編集における黒澤明の顔写真、誰が黒澤本人だと認識できるのか?渥美清?とでも勘違いされそうである。一般向けネット事典を志向するウィキペディアが、ヲタでっちあげ事典と蔑まれるようなイヤガラセ編集をしてはならないだろう。すみやかに「通常の顔写真」に変更すべきである--114.142.10.65 2016年9月2日 (金) 08:52 (UTC)[返信]